馳浩 単語

142件

ハセヒロシ

2.4千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

馳浩(はせ ひろしとは、自由民主党所属の日本政治家参議院議員→衆議院議員石川県知事)である。元アマチュアレスリング選手、元プロレスラー

人物・プロレスラーとしての概要

星稜高校アマチュアレスリングを始め、高校三年で国体優勝卒業専修大学に進学し、レスリング部の将を勤めつつ教員免許も取得した。
大学卒業後の1984年校の星稜高校国語科教員として就職すると、直後に開催されたロサンゼルス五輪アマチュアレスリング・グレコロマン90kg級で出場を果たす。

翌年の1985年高校を退職し、大学先輩でもある長州力が率いるジャパンプロレス入門[1]したが、日本デビュー前の海外遠征中にジャパンプロレスは崩壊。長州に従って新日本プロレスから日本デビューを果たす。デビュー戦でいきなり代名詞であるノーザンライトスープレックスによりIWGPジュニアヘビー級王座を奪取、以後へビー級に転向すると闘魂三銃士の同世代として活躍し、IWGPヘビー級タッグ王座獲得やSGタッグリーグ優勝を果たす。また、ともにジャパンプロレスに入団した佐々木健介とともに新日本プロレス場で後進(いわゆる「第三世代」にあたる)の導に当たった。新人の導だけでなく、中西学永田志・石澤藤田和之アマチュアレスリングで鳴らした選手のスカウトも行っている。

1995年には浪健四郎の紹介で知り合ったタレント高見恭子結婚して話題となった上、参議院議員に当選するなど(後述)順満帆なを歩むように見えた。
しかし、レスラーと議員の「二足のわらじ」のを嫌った長州の考えから、翌年の1996年1月東京ドーム大会で「ラストマッチ」が行われ引退……と見せかけて全日本プロレスに移籍し、今度は四天王と相まみえることとなった。
2001年全日本プロレスが分裂し選手が大量離脱した際も全日本プロレスに留まり、翌年にはユニット「BATT」を結成していた武藤敬司全日本プロレス電撃移籍を果たすと「黒幕」と噂されるようになる。
国会議員としての年数を重ねるとともにプロレスラーとしての活動は減少していくものの、長州力ジャパンプロレスの失敗にこりずに2003年に立ち上げたWJプロレスに旗揚げ戦から参加し、当時参議院議員(全例)だった大仁田厚の化身であるグレートニタと政史上初の国会議員同士の試合を行ったこともあった。2006年8月現職の文部科学副大臣として全日本プロレス両国国技館大会で引退

「元・国語先生」という肩書きに加えテクニックで勝負することから知的な印を持たれていたが、ビデオ解説下ネタを連発する、「週刊プロレス記者(のちに編集長になる佐藤正行)が寝ている間にを剃り落とし逆モヒカンにする、テレビ朝日の「ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング」で山田邦子ブチ切れるなど、プロレスラーらしい面も持ち合わせている[2]

得意技はノーザンライトスープレックスジャイアントスイング、裏投げ、逆チョップ甲高いをくねらすなど。

政治家としての概要

1995年参議院選挙石川選挙区に所属(自民党推薦)で立補、初当選当選後に自民党に入党し、2000年には参議院議員を辞職して衆議院選挙石川1区に立補し当選した。以後、復活に甘んじることはあったものの7期連続当選している。

文教族のドンであった森喜朗に担がれて(誘われて5で即決したという)政治世界に入った上、元教員・オリンアンであったことから自身も文教族として活動し、衆議院の委員会・自民党内でも教育関連の職に就く。また、人脈を活かして東京オリンピック招致についても活動した。

プロレスラー議員の先駆けは1989年参議院選挙当選したアントニオ猪木であるが、選挙戦中秘書役を務めていたのが馳であり、国会議員というものが馳の視野に入った時だという。その後も神取忍・大仁田厚が参議院議員に当選しているが、いずれも全補であり、いわゆる「有名人」である[3]。そんな中、馳はプロレスラーとしては初の参議院選挙区選出議員、かつ初の衆議院議員である。2016年にはプロレスラーとしての活動期間を議員としての期間が上回るまでになった。そして、2015年10月に文部科学大臣に就任し、2016年8月まで務めた。

2021年衆議院選挙に立補せず2022年に行われる石川県知事選挙に立つことを表明。翌年の選挙当選石川県知事となった。

自民党所属議員ではあるが、夫婦別姓制度の環境整備をくから野田聖子とともに要望する、LGBT政策を考える議員連盟に所属するなど、リベラルな政策を持つ一面もある。

関連動画

現役時代。

まさかのリング外でのアントニオ猪木との対決

関連商品

関連コミュニティ

関連項目

関連リンク

脚注

  1. *ジャパンプロレス全日本プロレスと業務提携していたため、練習生時代にジャイアント馬場導を受けていた。
  2. *この番組は旧来からのプロレスファンには嫌悪されていたため、馳に対する非難のがないどころか賞賛すらされたという。
  3. *なお、1995年には高田延彦2001年には佐山聡(初代タイガーマスク)も全例で立補し、落選している。
この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
小春六花[単語]

提供: NoirAuslese

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/06/02(日) 16:00

ほめられた記事

最終更新:2024/06/02(日) 16:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP