Atari2600 単語


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アタリニセンロッピャク

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Atari2600とは、米国アタリ社から発売されたカートリッジ交換式家庭用ゲーム機である。
当初は「Video Computer System」という名称で販売されていたため、「AtariVCS」と呼ばれることもある。

概要

1977年アメリカにて200ドルで発売。アタリ社長であったノーラン・ブッシュネルアタリ社の経営権をワーナーコミュニケーションズ社に売却し、アーケードゲームで得ていた売上金と共に資金として開発した。

当初は高い価格設定が足を引っり売り上げは不調だったが、1980年移植された「スペースインベーダー」の人気により爆発的に普及。いきなり40万台作って山のように余っていた在庫はあっという間に捌けた。最終的に対応ソフト500本をえ、全世界1500万台を売り上げるヒットとなった。

人々に「家庭用ゲーム機」を根付かせ、庭用市場を開拓した偉大なハードである。

1982年には、ライバルハードに対抗するために後継機となるAtari5200が発売された。これをきっかけにVCSはAtari2600に名称を変更した。また1984年にはヒットしなかったAtari5200の後継機としてAtari7800が、1986年には廉価版のAtari2600Jrが発売された。Atari2600Jr海外安価ゲーム機として市場を獲得し、2600と合わせれば販売台数は3000万台に登る。

日本でも1977年に東洋物産が輸入販売を行ったが、9万円前後という高価格だったため普及しなかった。2年後の1979年にはエポック社が「カセットTVゲーム」という名称で販売。4万円ほどに値下げされたが、やはり価格が足を引っり普及には至らなかった。ちなみにスペースインベーダー移植を提案したのは、このエポック社である。

1983年5月、なかなか日本市場に参入できないアタリ社は「アタリ2800」という名称でデザインを一新し、価格も24800円に下げてテレビCMも打ち日本上陸を図った。性的には全に世代遅れであったが、圧倒的なソフト資産日本での同時発売ソフトは25本に登る)を武器にしたアタリ2800は襲来のように受け止められた。

しかしその2ヶ後、ファミリーコンピュータが発売されてたちまちブームになり、市場任天堂の独壇場となった。高機かつ14800円という低価格のファミコンを前には勝ちがなく、1年足らずで日本市場から撤退した。

トラックボール基本的なコントローラージョイスティックであるが、パドルコントローラー光線銃なども発売された。また、コネクタのインタフェースはデファクトスタンダードとして、同時期に発売された多くのパソコンX1MSXなど)で採用されたため、採用した製品の間で互換性を持つことになった。アタリ規格ジョイスティックポート等と呼ばれる。
セガSC-3000/SG-1000で採用し、メガドライブまで使われたが、ピン配列が標準とは異なるためそのままでは互換性がない(改造は可)。

90年代にはアタリ社から許諾を受けないコピーゲーム集の「TVボーイ」が日本で販売されたこともあるが、正式にアタリ社の許諾を受けたAtari2600のゲーム集もいくつか発売されている。また現在では、XBOX360WindowsLiveレトロゲーム配信サービスGameRoom」を利用すれば、Atari2600やインテリビジョンアーケードソフト無料プレイすることが可である(もちろんライセンス済み)。

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