RENT(レント)とは、アメリカ合衆国のミュージカル作品・映画作品である。
原作者の急逝という悲劇を乗り越えた「伝説の初演」で知られる。
初演は1996年2月13日。
最初はオフブロードウェイの劇場にて上演、4月29日からはブロードウェイに舞台を移し、12年4ヶ月のロングラン公演を記録した。これは歴代8位のロングラン記録である。
1996年のトニー賞ミュージカル部門を始めとした数々の賞を受賞しており、熱狂的なファン「レントヘッズ」によって強く支持されている。
現在でも『RENT』ツアーがアメリカ国内各地で地方公演され、日本を含む世界15ヶ国でも上演。2005年には映画化され、オリジナルキャストの大半が揃い踏みしている。
日本では1998年に初演。以後2017年まで合計7回上演されている。
プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』を下敷きとしている。
1989年のニューヨーク、イーストヴィレッジでの1年間=525600分の物語。
落ちぶれたロックミュージシャン、ルームメイトの映像作家。彼らが滞納していた「家賃(レント)」を払うよう要求する大家。
彼らを中心としてダンサー、大学講師、ドラァグクイーン、パフォーマー、エリート弁護士といった登場人物の、それぞれが抱える貧困や問題を描きつつ、共に在る喜びや愛を歌とダンスで綴っていく。
登場人物には性的マイノリティとしての描写のほか、HIV陽性やドラッグ中毒などのネガティブな側面が存在し、80年代末のニューヨークでの自由奔放な世界が描写されていく。
1960年2月4日、ニューヨーク州にて誕生。幼い頃から音楽や演劇に興味を持ち、楽器の演奏を通じてその道に進んだ。
大学に入り作曲を始め、学生による演劇に曲を上梓。彼を指導していた学部長に認められ、彼の書いた作品に曲が使用される事となるなど、早くから評価されていた。
卒業後は様々な舞台に身を置く友人らと共にルームシェアし、週末はウェイターとして勤務する傍ら、ミュージカルの脚本の執筆や作曲に没頭する。
暮らしは貧しく、暖房もないロフトでの厳しい生活が続いた。親友をエイズで失う悲しみや、つきあっていた恋人をレズビアンの女性に奪われるなどの実体験は、『RENT』作中にて描写されている。
しかし徐々に作品が評価され、複数の賞を受賞するなど前向きな評価を得ていく事となる。
1988年、『RENT』の原型となる『ラ・ボエーム』のロックオペラが構想開始。ラーソンは脚本と作曲に抜擢された。
その後1990年代に入り、イーストヴィレッジにおけるボヘミアニズムが衰退。その只中で生きてきたラーソンは、イーストヴィレッジを舞台とした全く新しいミュージカルを作りたいと考える。そして企画者から企画そのものを買い取り、『RENT』として世に出す事を決めた。
『RENT』における曲は42曲で、通常のミュージカルに比べると遥かに多い。だがラーソンは300曲にものぼるナンバーを作曲。ジャンルにこだわらないバリエーションの広さによって、彼の非凡な才能は改めて評価されている。
7年という歳月をかけて『RENT』は完成した。自身にとって初の本格的なミュージカル上演を控えたラーソンだったが、1996年1月24日の夜に体調不良を覚え、最後のリハーサルを見届けてから病院に向かう。
過労と診断されて帰宅するが、『RENT』初日にあたる1月25日未明に自宅のキッチンで倒れ、35歳の若さで生涯を閉じた。
死因は胸部大動脈瘤破裂。死亡の2週間前にも2度変調を覚えて病院に行ったが、誤診によって見落とされた結果の死であった。
作者の急逝により、初日の上演は不可能かと思われた。しかしキャスト全員が舞台に並んで立ち、台詞や歌を演じるという「リーディング形式」による追悼公演に変更された。
やがて中盤に入るとキャストは興奮を抑えきれなくなり、舞台上で踊りはじめ、最後まで見事に演じきった。
Thank you Jonathan Larson(ありがとう、ジョナサン・ラーソン)
と叫んだのに端を発し、キャストも観客も皆その言葉を口にし、惜しみない感謝と哀悼を寄せた。
以来この「Thank you Jonathan Larson」は、世界各地で上演される『RENT』のカーテンコールにおいて、舞台上にスライド投影されるのが伝統となった。映画版でもエンドクレジットの最後にこの一言が表示されている。
奇しくもこの初演は、『ラ・ボエーム』の初演から数えて100年目の上演であった。
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最終更新:2023/12/10(日) 16:00
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