724
1 ななしのよっしん
2008/08/30(土) 11:14:40 ID: /GMCARz+du
2 ななしのよっしん
2008/09/06(土) 01:50:55 ID: 8E6IJ8E82H
演義での印象からスーパー軍師の印象が強いが、実際の所は長期的な戦略眼を持った物凄く有能な内務官僚といった所だったらしい(逆に言うと、内務官僚の孔明が前に出なきゃいけないほど蜀は人材不足だったとも言える)。
とはいえ、それなりに軍を指揮する腕があったのも確からしく、奇策は得意ではないものの確実な用兵によって勝利をもたらし、また決して大敗北を喫さなかった。
その確実さは降した後とはいえ敵方(晋)に属していた正史の著者、陳寿をして「孔明は己の得意・不得意を把握していて決して不得意に挑む状況を作り出さなかった。それこそが孔明が天才である証だ」と褒めさせている。
3 ななしのよっしん
2008/09/24(水) 22:38:48 ID: lC2rFe1web
アニメの「かりあげクン」本編があがっていた頃は
「現代の孔明」といわれていた。
覚えている方はいるだろうか?
4 ななしのよっしん
2008/10/03(金) 04:17:55 ID: odI2mJCqSH
5 ななしのよっしん
2008/10/03(金) 07:21:07 ID: odI2mJCqSH
諸葛亮いわく、
「 」
6 ななしのよっしん
2008/10/06(月) 14:30:56 ID: 8FV+OmvbP4
>>5
素晴らしい・・・。なんか知らないが、懐かしくて
涙がでてきた。
7 ななしのよっしん
2008/10/23(木) 00:32:06 ID: jsYaJ5pSKe
8 ななしのよっしん
2008/10/28(火) 19:14:59 ID: cHLy4DZ/6o
>>2
たいしたことじゃないが、陳寿は元は蜀の文官な。
確かに蜀滅亡直前だけど、一応まだ蜀将だった時代の羅憲に推挙されてる。
正史で劉備や諸葛亮等が晋(及びその前身の魏)からみたら敵、しかも皇帝を「僭称」した割に好意的な書かれ方が多いのは
陳寿が蜀出身だからというのにかなり依存している、といわれてる。
孔明自体もそんなに戦争の指揮官としての能力は低くはない(実際に魏軍を大敗させたりしている)けど
やはりホウ統、その後は法正の方がそっちの方は得意だったみたいだな、
実際彼らが生きてる間はほとんど軍事は任せていたらしいし。
9 ななしのよっしん
2008/11/02(日) 10:43:58 ID: FM8UqYOLrI
孫子の兵法書とか読んだらわかるけど、
戦争が上手いっていうのは用兵が上手いとか奇策が使えるとか以前に
いかに国力を充実させ外交を駆使して勝つ為の準備を整えられるかにかかっている。
実際の孔明はこういうところに優れていたんだろうね。
10 ななしのよっしん
2008/11/23(日) 09:07:07 ID: YCCfNuBHp4
概要の三行目にある後出師の表の創作説だが、
228年に出たはずの後出師の表の中に、死んだ武将として趙雲の名前がある。
趙雲が死んだのは229年とはっきりしているので、この矛盾が創作説の大きな裏づけになってるようだ。
とはいえ後出師の表も間違いなく名文。
11 ななしのよっしん
2008/12/23(火) 02:10:46 ID: 8E6IJ8E82H
演義の影響で儒家的な思想の持ち主と思われているが、その思想はどちらかと言えば法家的。もっとも、ドライな法家思想の持ち主でなければ当時はど田舎とも言える蜀を不利とはいえ他の二国と渡り合える国力にできたかは怪しくはあるのだが
12 ななしのよっしん
2008/12/23(火) 02:15:42 ID: PlbKNNBmEJ
>>11
演義の影響で儒家的?
そんな描写あったっけ?
道教のイメージはあるけど。
13 ななしのよっしん
2008/12/23(火) 19:55:24 ID: 6eE72FLwwt
14 ななしのよっしん
2009/02/23(月) 12:20:00 ID: pBcv4roqgH
15 ななしのよっしん
2009/03/01(日) 13:51:02 ID: 22rYy3Imda
演義の腹黒チート軍師も好きだが正史の孔明も好きだな
とはいえ、演義は周瑜カワイソスだがw
実在の孔明もあの時代じゃ高いレベルで器用だったように思う
夷陵の後、蜀を建て直したのは立派だよ
16 ななしのよっしん
2009/03/30(月) 20:49:21 ID: YqYirpGtvQ
仮にも神に祭り上げられた関羽とタメ張れる人気取ってるんだから、
何だかんだで人気はトップクラスだな。
17 ななしのよっしん
2009/05/15(金) 22:25:49 ID: YpQZshtrrD
上の記事で、魏延による長安奇襲の献策を退けたっていう点。
私は、退けた判断のほうを支持する。
魏延が挙げた、長安奇襲が成功する理由の中に「長安方面司令官が夏侯楙であること」という箇所がある(夏侯楙のダメっぷりはwikiあたりを参照のこと)。ところが、このダメオヤジは直後に(奥さんとすったもんだを起こしたのもあるけど)司令官を解任されて中央へ召還。
しかも、その後始末には明帝みずから行幸して、長安を鎮撫している。明帝の還幸は北伐の撤兵と同時期なので、彼の長安滞在が軍事目的であったのは明らか。
日数的ずれは生じるといっても、こうした魏の体制を相手にして、長安奇襲が成功したとして維持できるか?と問われれば、難しいと言わざるを得ない。
そもそも、北伐に関しては、従来のような「諸葛亮VS司馬懿」という脚本ではなく、彼らの周辺の動きも含めて考察すべきだと思う。
この奇襲作戦についても、諸葛亮と魏延の伝だけを付き合わせれば“意見が分かれる”決断ということになるだろうが、肝心の魏の情勢を併せて考えなければ、木を見て森を見ない意見でしかない。
18 ななしのよっしん
2009/05/21(木) 04:47:33 ID: 8E6IJ8E82H
>>17
まあその辺は戦術レベルで見るか、戦略レベルで見るかっていう部分だろうね。
戦術レベルで見るなら魏延の献策はややリスキーではあるものの決して間違った判断ではない。仮に実行したら成功していた可能性も結構高い。
だけど、戦略レベルで見ると取った後の防衛や兵站、また国力の消費を考えると彼我の戦力差を考えるとあまりに危険であると考えざるを得ないし、そもそも戦略レベルだと長安奇襲が成功したとしても、そのような状況になってしまったら「失敗」だろうし。
まぁ本気で魏を潰しに行っていたという仮定で話を進めたが、孔明の北伐は「攻撃的防衛」(敵が完璧な状態で攻めて来れない様にちょっかいを出し続けるという考え。完璧な状態で来られたら国力で圧倒的に劣る蜀は9割9分詰むので。あと、副次的作用として国内の不満を外敵に向けるという作用も)であったという説もある。
19 ななしのよっしん
2009/06/16(火) 22:21:08 ID: I5jn5zUW7f
もともと国力に差があるから孔明の意見でも魏延の意見でも勝ち目はなかったんだろうな
孔明の策だと普通に勝ち目が薄い 魏延の策だと長安とってもすぐ取り返される
この状態からひっくり返すのは無理だろう・・・ 魏の要職全員暗殺でもしてみるか?
20 ななしのよっしん
2009/08/13(木) 21:13:34 ID: qgBF5erzka
なんか長安取られた後、魏の配下が一枚岩となって反攻して当然みたいな感じなレスが多いけど、この時代下り坂になった国に対して配下が忠誠を尽くすとは限らんよ。三国志では大国ではそういう描写は少ないけど、国力で圧倒する大国が小国とのたった一度の負け戦で滅亡なんてざらです。特に中国は他民族だし、弱り目に独立ってのは近代までよくある話。
特に次の時代の五胡十六国時代では華北では、統一まじかで敗戦⇒反乱、地方民族の独立⇒戦国時代に逆戻りというのを繰り返すので遠征事体は無茶ではあっても無理ではないと思う。
敗戦して、後世での分析で負けて当然だったと結論がでるのは仕方がないことだが、戦略と運次第ではこの時代では数倍の国力を覆すのはよくある話ですよ。
21 ななしのよっしん
2009/08/13(木) 21:33:19 ID: Hn/Wd1zvyd
巴蜀に引きこもった時点でもうだめぽ。
江南はまだしもこんな山ん中の桃源郷じゃ勝ち目ないよ。事実こんなとこから天下取った王朝なんてないし。
一人の軍師の奮闘でどうにかなるのはあくまで講談の中での話でしょ。
22 ななしのよっしん
2009/08/13(木) 22:32:36 ID: qgBF5erzka
>21
田舎では天下取れないというわけではない。
それをいったら清とか北魏とかのほうがよっほど田舎だw
一人の軍師の奮闘で逆転するとは言わないが、国力とか兵力とかで考えるのが馬鹿らしくなる時代ではある。
一度、五胡十六国で興亡した国を勢力図こみで見てみるといいよ。
100年ちょっとしか経ってないのに大国が小国に飲み込まれる回数が2桁いきそうだw
23 ななしのよっしん
2009/08/13(木) 22:46:44 ID: Hn/Wd1zvyd
清(満州)も北魏(鮮卑)も遊牧出身じゃん。五胡十六国もほぼみんな遊牧王朝だし。
ノーマッドは基本的に戦闘力で下駄履いてるから漢族系の蜀漢とは同列には出来ないんでない?
他方で三国時代の巴蜀なんてほとんど未開拓で超がつくほどの田舎だったわけだし(いまも大して変わらんけど)。
24 ななしのよっしん
2009/08/16(日) 14:00:56 ID: mXVLJWENvj
劉邦の漢も最初は似たようなものだったんじゃないのか?
人材の質が違い過ぎだけど
25 ななしのよっしん
2009/08/20(木) 09:29:54 ID: D3VvkOesQN
>>18
魏延の策は自分が行けば長安はすぐに降伏するという、魏延の自信に立脚しており、失敗すれば代替作戦も取れず全軍撤退に繋がるという代物で孔明以外の将でも採用されないと思う。
26 ななしのよっしん
2009/11/05(木) 01:34:08 ID: t79+RuR9iZ
まぁ孔明最大の誤算は最終的に残った一流の将が自分と、仲の悪い魏延だったことじゃないかと思う。姜維は若すぎたし、馬岱くらいじゃ司馬イは止められんし。
もし魏延と自分が最後に残る将だと知る先見の目があったなら、例え反骨の相があろうができるだけ親交を深めて放さないようにしただろう。桃園の三兄弟や軍師勢が死ぬのが早すぎたんだわな。
27 ななしのよっしん
2010/01/13(水) 23:00:48 ID: s4UkWJ/kTh
>>21
それ言い出したら呉と喧嘩してる時点で既に詰んでるんだが
28 ななしのよっしん
2010/01/25(月) 15:29:44 ID: LyxYPoVPv/
東洋全世界で忠臣の代表格と謳われたが
ニコ動では何でも彼のせいにされてしまう。まて、この書き込み自体孔明の罠かっ
29 ななしのよっしん
2010/01/26(火) 19:03:58 ID: LiNcXX9jRh
>>26
反骨とか桃園とか、演義創作をさも史実のように語るのってどうなんだろう。
演義は演義で魅力的なんだけど、歴史ではないから、演義であると分かる但し書きをしておいてほしい。
史実の諸葛亮は魏延を十分重用してると思うがね。むしろ謂れない非難から庇ってあげてるのに。反発して不敬で殺されてもおかしくない暴言吐く魏延が大人げないw
30 ななしのよっしん
2010/01/31(日) 09:09:44 ID: cLd8pVvJNB
演技の話に史実でチャチ入れられても困ります
ほめた!
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