基本データ | |
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正式名称 | トルコ共和国 Türkiye Cumhuriyeti |
国歌 | 独立行進曲 |
国花 | チューリップ |
国鳥 | ワキアカツグミ |
公用語 | トルコ語 |
首都 | アンカラ(Ankara) |
面積 | 780,580km²(世界第36位) |
人口 | 約6900万人(世界第17位) |
通貨 | 新トルコ・リラ(TRY) |
トルコとは、西アジアにある国である。オスマン・トルコ帝国の後裔の国で、1923年にトルコ共和国が建国され現在に至る。
正式な国名は「トルコ共和国」。漢字表記は土耳古で、土と略される。
黒海と地中海に挟まれたアナトリア半島、およびバルカン半島東端のトラキア地方を領土とし、地勢的定義におけるアジアとヨーロッパにまたがる。
国際連合による区分では西アジアに属し、イスラム教国であることや地理的な要因から中近東の一国と受け止められることが多い一方、近年では経済・政治の面からヨーロッパ諸国として扱われる場合がある。具体的には、北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるほか、現在欧州連合(EU)への加盟を申請している。またスポーツ団体では欧州サッカー連盟(UEFA)、欧州オリンピック委員会(EOC)などヨーロッパ側の団体に所属している。なおトルコ政府は独立後ほぼ一貫して欧化、西洋化を目指している。
古くはヒッタイトからギリシア、ローマ、イスラムなど様々な文明・文化が花開き、かつ東西から人が行き来する要衝の地であったため、東西の文化が混交した独自のものが存在する。
日本では馴染みが薄いが、トルコ料理はフランス料理、中華料理とともに世界三大料理に数えられることがある。中央アジア由来のトルコの伝統料理と、ギリシャやシリアなど東西の料理が混じりあい独自の発展を遂げたトルコ料理は、近隣諸国の食文化にも影響を与えている。
なお日本で古くから親しまれてきた「シシカバブ」はインド料理であり、近年屋台などで見られるようになったトルコ料理の「シシュ・ケバブ」は由来は同じだが調理法は異なる別の料理である。
対日感情は非常に良好であり、世界でまれに見る親日国家である。トルコの対日感情の形成は、オスマン・トルコ帝国まで遡ることができる。19世紀のオスマン・トルコはかつての栄華から衰退の道を進んでいた。
1890年、日本の和歌山県沖で、オスマン・トルコ帝国海軍のエルトゥールル号が、台風により沈没した。このとき、大島村(現在の串本町)の村民が、台風による暴風にもかかわらず救助活動をし、それにより69名の乗組員が救助され、帝国海軍の手によって、オスマン帝国まで送り届けられた。この、救助活動が新聞により報じられトルコの人々の対日感情に大きく影響し、これが起点となりトルコの人々の対日感情は非常によいものとなった。
1985年、イランイラク戦争の泥沼化により、当時のイラクの大統領であったサダム=フセイン(故人)は次のような声明を公布した。
「48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は、無差別に攻撃する」
この声明により、イラク駐在・在住の外国人はパニックになり、各国は、自国民の救出のため救援機をとばした。しかし、日本は憲法9条の制約により自衛隊による救援ができず、民間で救援機を出すことを決意した日本航空も労働組合の反対や前記期日までの脱出が困難であることを理由に実現しなかった。これにより、日本国では、邦人200名以上の救出は事実上不可能になり、日本政府は、各国にたいして邦人の救出を依頼したが、多くの国が自国民で手一杯で、断られた。そんな中トルコ大使館に依頼したところ、当時のトルコ大使であるビルレル大使は
「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」
と答え、本国に連絡し、チャータ便の最終便を2便増やし、邦人を救出してくれた。このとき、トルコ側は、日本人を優先的に飛行機に搭乗させてくれたらしく、500人以上のトルコの人々が飛行機に乗れず、陸路からトルコ本国へ脱出した。
以上の話から見ても分かるとおり、トルコの人々は親日的である。しかし、それに対する裏切り行為ともいえることが、新潟県柏崎市で起こった。
柏崎市にあるトルコ村に、トルコ政府から両国の友好のためにケマル・アタテュルク像が送られた。ケマル・アタテュルクはトルコにおいては国民的英雄である。分かりやすい例えでいえば、中国の岳飛・韓国の李舜臣のような存在であるといえるかもしれない。もちろん、かの国みたいに妄信的な信仰はないが……。
しかしこのトルコ村は、来園者数の減少により赤字経営のため2006年に閉園してしまった。このとき、民間会社に売却されたのだが、様々な要因によりこれに関係した訴訟が起こることとなった。
2007年に柏崎市を襲った震度6の地震によりケマル・アタテュルクの像が傾き、倒壊を防ぐために像は台座から外された。そして像はその後、寄贈されたものとは思えないような扱いを受けた。現在、ケマル・アタテュルクの像は敷地内に野ざらしの状態にあり、トルコの人々に失念と怒りの念を抱かせている。
これについては係争中であるため、どうもこうも出来ず、ただただトルコの人々の対日感情を悪くなっているのを見ていく状態になっていたが、それではいけないという2ちゃんねるのVIPEER有志により、ケマル・アタテュルク像をエルトゥールル号の舞台となった串本町に移転させる会が発足された。
トルコ関係の動画は以下のようなものがある。
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最終更新:2024/06/06(木) 04:00
最終更新:2024/06/06(木) 04:00
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