メタルラックとか家電製品とかプランター(鉢植え)とかでたぶん有名な企業。
概要
生活用品、家具家電、資材などを製造販売している。元々がプラスチック製品の製造から始まっていることもあり、主にホームセンターを通じた強力な販売網を持っている他、現在ではネット通販なども行っている。カタログ等を見て知っている人も多いのではないだろうか。
本社のある宮城県や東北地方を本拠地とするスポーツチームや文化活動に対して積極的に支援を行っていることでも知られ、ベガルタ仙台や東北楽天ゴールデンイーグルスのユニフォームスポンサーを務めている。
ニコニコではアイリスオーヤマの製品を実際に使ってなんかやってみた系の動画が散見される。
沿革
1958年、大阪府東大阪市にプラスチック製の養殖用ブイや育苗箱を製造する個人事業の町工場である大山ブロー工業所として創業。創業者は在日韓国人の大山森佑であるが、1964年にその森佑が急逝し、息子の大山健太郎が19歳の若さでこの町工場を受け継ぐこととなる。
試行錯誤の末にブイや育苗箱からプラスチック製収納ボックスなどの製造へシフトし、これが大当たりして業績を拡大。
1971年には法人化、1972年に生産工場を東大阪市から宮城県仙台市へ移転。1989年には本社機能も仙台市へ移転させ、1991年には社名を現在のアイリスオーヤマ株式会社へ変更した。
2018年7月に健太郎が代表取締役会長、息子の晃弘が代表取締役社長に就任した。
プラスチック製の収納ボックス等がヒットしたため規模が拡大したが、10年代からはシャープや東芝などの企業の不調に乗じて、これらの企業からリストラされた優秀な技術者の受け皿となり、安くて性能のよい製品でシェアを上げるなど家電分野などでも成長している。
現在のアイリスオーヤマの代表取締役会長である大山健太郎は経営者として二代目であるが、企業規模を大きくし現在の地位を築いたという観点から、実質的な創業者、もしくは中興の祖として評価されている。
なお、大山健太郎は2002年に一家揃って日本国籍を取得し帰化している。
企業
ホームセンターや家電量販店と同じく、プラスチック製品や金属製品、および独自ブランドで冷蔵庫や洗濯機などの白物家電を、開発・販売している。
国内に複数の製造拠点を持ち、各拠点においてプラスチック、家具、家電、金属製品といった製品を製造し、併設した倉庫から直接小売店に配送する形式をとることによって流通コストを抑えている。加えてロボットによる自動化も進めているので人材不足にも対応している。
さらに様々な素材の加工技術を自社で蓄えておくことで、高い内製化率を実現し、他の事業で培った技術や部品が別事業にまで応用できるようになっている(デパートメントファクトリー)。[1]
上記の通り、2010年代よりリストラや早期退職にあった大手家電企業の技術者たちを大量採用して技術やノウハウの蓄積を行ったことにより、自社の製品開発能力を高め、商品のラインナップも増やしたとされる。 [2]
スピード
週に1度、社長 + 経営陣 + 各部署の関係者である約50人が集まる「全体会議(新商品開発会議)」が行われる。そこでは年齢も役職も関係なく発表の場に立ち新商品をプレゼン・議論することになっており、OKが出れば即座に開発に入る。
まずは小さく始め、売れる商品をブラッシュアップしながら、「これがいける」となったら一気に投資をし増産に踏み切るという。さらには社長の一言で新企画が即決されることもある。 [3] [4]
テーマ
最も重要視される基準・テーマは「いくらなら売れるのか」である。
多くの家電メーカーでは新機能を加えればそのぶん価格も上げるのが常識とされている。しかしアイリスではまず「魅力的な価格」を決めてからその価格を実現するために原材料や機能を徹底的に見直していく。
客が値ごろと感じる価格にできるかが製品化の絶対条件とされており、客が「このぐらいなら(買える)」という許容範囲に合わせて原価をブラッシュアップするようにしているという。 [5]
伴走方式
新商品の提案と開発も早いが、他に「伴走方式」と呼ばれるスタイルをとっているのがもう一つの強みである。
通常の企業は、開発→生産→営業という順番に商品を渡していく「バトンリレー方式」が一般的だが、アイリスでは商品開発、知的財産、応用研究、品質管理、生産技術、これら各部署の作業を同時並行で行っている。これが商品を素早く出せる理由となっている。
オンライン会議
そして、情報共有の方法として国内外の拠点と密に連絡をとるためにオンラインを活用した、社内コミュニケーションを行っている点にある。社内の至るところに円卓が置かれ、立ったまま打ち合わせをすることで無駄な会話を省けるほか、重役とも肩を並べて近い距離感で情報共有できるという。
2020年頃から新型コロナウイルスの影響でテレビ会議(あるいはオンライン会議)が注目を浴びるようになったが、アイリスでは東日本大震災(2011)を機にテレビ会議システムで全国の拠点と情報が共有できる体制を構築しており、2015年時点ではすでに全社でこの会議ができるようになっている。
発言録
(「余震が続いて安全とは言えない地域に経営トップが入ることに不安はなかったか」とメディアから問われて)
「そんな不安は全くありません。それよりも、トップが一大事に現場に駆けつけることの方が重要なのです。現場を見なければ適切な指示ができない。一大事であればあるほど、現場に出ることが重要です。」
「大きな災害に直面したときは需要が一気に変わる。
その時に、いかに機敏に対応できるのか、それで企業の成長が決まってくる。」
余談・その他
- 1970年代は「漬け物用の樽」や「塩辛の容器」といったプラスチック製品を大阪と仙台の二拠点で製造していたが、第一次オイルショック(1973)によって倒産寸前に追い詰められた。そのため、大山健太郎は創業の地である大阪工場を閉鎖し仙台工場を残すことを決断。この時仙台への異動に同意した従業員はわずか5名で、大山は会社資産も仲間も大幅に切り捨てた状態での再スタートとなった。この時の経験が現在のアイリスオーヤマの企業理念につながっているという。 [6] [7]
- 2011年の東日本大震災では本社が仙台にあるアイリスオーヤマもダメージを受けている。大山健太郎はトップである自らがまず現場入りする必要があるとの考えから仙台入りし、被災者への生活物資供給のため本社機能の回復を優先した。また、今後の企業や家庭がLED化で節電志向になっていくだろうと考えたことから、LEDの開発加速を指示したという。 [8]
- 新型コロナウイルスの流行にともない、2020年2月にはマスク製造の設備購入を決めており、同年7月から製造開始。これまでドラッグストアやホームセンターにマスクを卸していたが、アイリスが手掛ける国産マスクは全国のスーパーなどからも引く手あまただったという。 [9]
- 大阪の家電開発拠点の開発チームは若手からベテランまで様々な人材が混在している。家電事業部・統括事業部長の石垣達也によると「最初は思想がぶつかってケンカばかりだった」と振り返っており、大阪に拠点を設立して2~3年間は、中途採用で来たベテラン技術者たちなどは職人気質でこだわりもあったため、意見がまとまらず、退職者も出たという。
関連動画
関連静画
関連商品
関連リンク
関連項目
脚注
- *アイリスオーヤマがよくわかる6つのキーワード | 今日言えば、明日には変わる中国工場
- *安価&高品質な家電が人気…アイリスオーヤマ、誰も真似できない“最強経営” (Business Journal 2020.06.25 05:50)
- *アイリスオーヤマ代表取締役社長・大山晃弘氏に聞く「なるほど」を生み出すものづくり (Yahooニュース 3/9(火) 16:32)
- *「最初はケンカばかりでした」 大手家電メーカー出身の技術者がアイリスオーヤマに集まる理由 (ITMedia News 2019.5.19 09:00)
- *リストラ技術者を大量採用し大成功。アイリスオーヤマ変貌の秘密 (MAG2NEWS 2018.07.18)
- *第三話 オイルショックで倒産寸前に | アイリス物語 | アイリスオーヤマ
- *企業理念 | アイリスオーヤマ
- *「災害で需要が一気に変わる」・・・被災地企業「アイリスオーヤマ」が東日本大震災を経て変わったことは (FNNプライムオンライン 2021年3月10日)
- *アイリスオーヤマ、国産マスク参入が生んだ思わぬ効果 (日本経済新聞 2020年12月15日 2:00)
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