ベガルタ仙台とは、宮城県仙台市を中心とする宮城県全県をホームタウンとするJリーグチームである。
概要
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チーム名の由来はこと座の「ベガ」とわし座の「アルタイル」を組み合わせた造語。仙台市には毎年8月に開催される仙台七夕まつりがあり、そこから因んでいる。
マスコットはベガッ太さん(イヌワシ)と、妹のルターナ(こちらもイヌワシ)の2人。
ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台(仙台スタジアム)。一時期、2002年ワールドカップでも使用された収容キャパが倍以上の宮城スタジアム(利府町)を併用していたが、仙台市内からのアクセスが悪いことから2005年以降はほぼ仕様していない。
前身は1988年に創部した東北電力サッカー部で、1995年旧JFLに加盟時にブランメル仙台と改称。ブランメルとは「伊達男」と呼ばれたジョージ・ブライアン・ブランメルが由来。
1999年にJリーグに加盟。この時、商標権の関係でチーム名の変更を余儀なくされ、現在のベガルタ仙台に変更。2002にJ1へ昇格し、東北地方で初めてのJ1に在籍するチームとなった。
選手の入場時にサポーターが「カントリーロード」を謳うのが伝統となっており、2011年の東日本大震災の際にはベガルタサポーターが歌うYouTube動画に世界中のサッカーファンから応援コメントが寄せられ、東北復興の象徴の一つとなった。
歴史
1994年、前身である東北電力サッカー部が旧JFLに昇格。この年、運営法人を立ち上げチーム名を「ブランメル仙台」に改称。プロ化の道を進む。
1995年にJリーグ準会員として承認される。1996年には現役復帰したピエール・リトバルスキ―が加入。しかしチームの成績は振るわず、リーグでは旧JFLが終了となる3年連続で中位以下となった。
1999年にJリーグが二部制に移行することに伴いJリーグへ加盟。新たに創設されたJ2リーグへ参戦し、商標権の関係からチーム名を「ベガルタ仙台」に変更する。
初年度のJ2リーグでは開幕から低迷。シーズン途中に清水秀彦監督が就任したものの10チーム中9位の成績に終わる。2000年は5位と成績を上昇させると、2001年は新加入のマルコスと岩本輝雄のコンビが攻撃の中心として活躍。最終節に逆転で2位に入り、東北勢としては初のJ1リーグ昇格を果たす。
初のJ1での戦いとなった2002年は日本代表経験者を中心に補強。昇格チーム初となる開幕5連勝を飾るサプライズを起こすが、その後は失速。1stステージは9位だったものの、2ndステージは15位と低迷。それでも序盤の貯金が功を奏し、年間13位でJ1残留を果たす。しかし、2003年は1stステージで15位と低迷。9月に清水監督を解任し、ズデンコ・ベルデニック監督を招聘するがチームを浮上させることはできず。年間15位に終わり、J2リーグ降格が決定。
2004年のJ2降格以降、順位は4位~6位とJ1まであと一歩で足踏みを繰り返し、この間毎年のように監督を変えていた点でサポーターから批判が強かった。チームのエースとして活躍した佐藤寿人やシルビーニョ、2006年J2得点王のボルジェスといった中心選手も流失するようになる。また、後にクラブのバンディエラとなる梁勇基が2004年に加入している。
2008年より手倉森誠監督が就任。1年目で3位に入りジュビロ磐田との入れ替え戦の末に涙を呑んだが、翌2009年は久しぶりに監督を代えずにシーズンに臨むと、連敗がわずか1回だけ(第4・5節)と抜群の安定感を見せ、終盤のセレッソ大阪との激しい優勝争いも制し、J2初優勝を手土産に7年ぶりのJ1復帰を決めた。
迎えた2010年は開幕2連勝で、2節終了時点とはいえ首位に立つ活躍を見せる。その後は伸び悩んで一時は降格圏に沈んだものの、最終節でJ1残留を確定させた。
2011年、ホーム開幕を翌日に控えた3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)および福島第一原子力発電所事故が発生。これによりリーグ戦、ナビスコ杯が中断。チームも活動を停止。一部選手が避難所生活を強いられることとなった。
リーグ戦では、開幕ダッシュに成功。開幕から12戦無敗で飛び出すと10月には早々にJ1残留を確定。終わってみればリーグ最小の25失点(2番目に少なかった名古屋グランパスが36失点)という堅守で過去最高の4位でフィニッシュ。
さらに2012年は第2節から第17節まで首位を走る。終盤に息切れしたものの、一度も3位に落ちることなく前年の記録を更新する2位でフィニッシュ。初のACL出場も決めた。また、チーム最多の13ゴールを挙げるなど攻撃の核として活躍したウィルソンがクラブ史上初のJリーグベストイレブンに選出される。
2013年はACLと並行してのシーズン。過密日程も絡み成績は伸び悩むが13位でJ1残留。ACLは1勝を挙げたもののグループリーグで姿を消した。この2013年シーズンをもって、2008年以来クラブ史上最長となる6年にわたってチームを指揮した手倉森誠監督がリオデジャネイロオリンピックへの出場を目指すU-21日本代表監督に就任するために勇退となった。
2014年はオーストラリア出身のグラハム・アーノルドが監督に就任。しかし、開幕から1ヶ月間勝利に恵まれず、4月9日にアーノルド監督は退任(あくまでも解任ではないとのこと)。ヘッドコーチの渡邉晋が昇格。その後は盛り返し、辛くも残留圏内に留まる。
2015年は渡邉晋監督が引き続き指揮を執り、最終的に2019年シーズン終了まで在任。エースFWの赤嶺真吾、ボランチの角田誠ら主力が移籍し、戦力が大幅にダウンしたと見込まれていた。しかし、この年から再び2部制になったシーズンは、開幕5試合を2勝3分と好調な滑り出しを見せる。その後連敗を喫してしまい1stステージは6勝5分6敗。2ndステージは3勝3分11敗と大きく負け越したが、1stステージの勝ち越しが幸いし、総合順位では14位で辛くもJ1に残留。
2016年は1stステージを7勝2分8敗の10位、2ndステージを6勝2分9敗の12位、年間通算成績12位で残留。ナビスコカップ改めYBCルヴァンカップは2勝2分2敗ながら得失点差でグループリーグ突破ならず。
2017年は、基本陣形をそれまでの4-4-2から3-4-2-1へ大きく変えて開幕。3月18日にアウェイでの柏レイソル戦でJ1通算100勝目を記録。最終的に11勝8分15敗の12位で残留した。ルヴァンカップは準決勝まで進むが、川崎フロンターレにホーム&アウェイ合計4-5で敗戦。
2018年は、リーグ戦13勝6分15敗の11位、ルヴァンカップもグループリーグ1位通過こそしたものの、ノックアウトステージ初戦で湘南ベルマーレに2戦合計3-4で敗戦。一方天皇杯は好調で決勝まで進出、2009年のJ2優勝以来となるクラブタイトル獲得が期待されたが、浦和レッズに1-0で敗れ準優勝に終わった。
2019年は新陣形3年目ともなると研究が進み、さらに選手の入替も大幅に行われて成熟度が落ち、最下位に沈むこともあったが、渡邉がクラブ伝統の4-4-2陣形への回帰を決断した5月あたりから徐々に復調。最終的に12勝5分17敗の11位で残留した。
2020年は渡邉に代わり、前年までモンテディオ山形を率いていた木山隆之を監督に招聘。ブランメル時代から数えてクラブ創立25周年という年で意気込みも例年以上だったように見えたが、名古屋グランパスとの開幕戦を終えた時点で、COVID-19が全世界的に猛威を振るい始めたことでリーグは長期中断。途中17戦連続無勝利、特にホームでは一度も勝てないまま6勝10分18敗の17位でシーズンが終わり、本来なら湘南と共に降格させられるところをコロナ禍特例で回避。
さらに、前年から加入していた道渕諒平が交際女性への暴行で地元警察に逮捕されるも、経営陣にはトラブルが起きて警察に仲介してもらったという程度の報告しかしておらず、週刊誌『FLASH』が記事にしてようやく契約解除に動き出すという不始末も起きた。なんなら、19年途中で交代した親会社の社長は典型的な天下り気質で、チーム運営に対する熱意が見られなかったことも付記したい。
2021年は、木山が退任して、2度目のJ1昇格に導いた手倉森の監督復帰、親会社の社長も市民後援会の重役経験者を招聘するなど、残留を絶対目標として挑んだシーズンだったが、2年連続となる名古屋との開幕戦で、シマオ・マテが相手の死角から仕掛けたチャージで一発退場になり、数的不利から引き分ける不穏な幕開け。その後も主力の故障や、コロナ禍での外国人入国制限などでベストメンバーがなかなか揃わず、リーグ戦2試合を残して12年ぶりのJ2リーグ降格が決定。手倉森が引責辞任して、ヘッドコーチを務めていた原崎政人が監督を引き継いだ。
2022年は、一時首位に立つなど、アルビレックス新潟、横浜FCの2強に喰らいつく滑り出しを見せたが、次第にリードしても追いつかれるなど勝ちきれない試合が目立ち、8月中旬から5連敗を喫するなど、昇格プレイオフに参戦できる3位~6位以内の確保すら危うい雰囲気が漂い始める。ここでJクラブ監督1年生では限界が来たと見られたか、9月に原崎を解任して、こちらもジュビロ磐田の監督を解任されたばかりだった伊藤彰を迎え入れて巻き返しを図ったが、最終戦でベガルタが引き分け、7位につけていたモンテディオ山形が勝利したことで、勝ち点で逆転されて7位になり、1年での復帰とはならなかった。シーズン終了直後に、ヴァンフォーレ甲府を天皇杯で優勝させた吉田達磨の監督招聘が検討されている主旨の記事がスポーツ報知に載り、また監督交代で迷走するのかと不安に感じたサポーターも多かったが、クラブが伊藤との契約延長を正式に発表して(ひとまずは)事無きを得ている。
2023年は開幕から上昇気流に乗れず、6試合未勝利で13位にまで低迷した7月の段階で伊藤監督を解任し、堀孝史ヘッドコーチが後任となる。しかし、その後もチームの低空飛行は続き、一度も一桁順位に到達できないままJリーグ参入後ワーストとなる16位でシーズンを終える。
チームが低迷する中で不祥事も相次ぎ、6月11日のジュビロ磐田戦では相手選手の挑発的なゴールパフォーマンスに激怒した一部サポーターが磐田のチームバスを取り囲み、威嚇行為をおこうなうという重大な事件を起こしてしまう(ゴールパフォーマンスは仙台サポーターの試合中の振る舞いへの抗議の意味合いがあった)。また、2015年から2023年6月16日にかけてクラブの元社員が顧客からチケット等の代金として受領した現金など合計約1,100万円分を着服して横領したことが発覚。この二件について、Jリーグから約1000万円の罰金が科せられる。
タイトル
国内タイトル
個人タイトル
現在の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
- | 監督 | 森山佳郎 | 1967.11.9 | 2024 | U-17サッカー日本代表 監督 | 【新】 | |
1 | GK | 小畑裕馬 | 2001.11.7 | 2020 | ベガルタ仙台ユース | 【H】 | |
2 | DF | 髙田涼汰 | 2000.6.10 | 2024 | ブラウブリッツ秋田 | 【完】 | |
5 | DF | 菅田真啓 | 1997.6.28 | 2023 | ロアッソ熊本 | ||
7 | FW | 中島元彦 | 1999.4.18 | 2022 | セレッソ大阪 | ||
8 | MF | 松下佳貴 | 1994.3.3 | 2019 | ヴィッセル神戸 | ||
9 | FW | 中山仁斗 | 1992.2.6 | 2022 | 水戸ホーリーホック | ||
10 | MF | 鎌田大夢 | 2001.6.23 | 2022 | 福島ユナイテッドFC | ||
11 | MF | 郷家友大 | 1999.6.10 | 2023 | ヴィッセル神戸 | 【H】 | |
13 | DF | 實藤友紀 | 1989.1.19 | 2024 | 横浜F・マリノス | 【レ】 | |
14 | MF | 相良竜之介 | 2002.8.17 | 2023 | サガン鳥栖 | ||
15 | FW | 梅木翼 | 1998.11.24 | 2024 | レノファ山口FC | 【完】 | |
17 | MF | 工藤蒼生 | 2000.5.31 | 2023 | 阪南大学 | 【H】 | |
19 | DF | マテウス・モラエス | 2001.3.6 | 2024 | 横浜FC | 【完】 | |
21 | GK | 梅田陸空 | 2000.10.27 | 2023 | 大阪学院大学 | ||
22 | DF | 小出悠太 | 1994.10.20 | 2023 | 大分トリニータ | ||
23 | DF | 有田恵人 | 2002.1.24 | 2024 | 中央大学 | 【卒】 | |
24 | MF | 名願斗哉 | 2004.6.29 | 2024 | 川崎フロンターレ | 【完】 | |
25 | DF | 真瀬拓海 | 1998.5.3 | 2021 | 阪南大学 | ||
27 | MF | オナイウ情滋 | 2000.11.11 | 2023 | 新潟医療福祉大学 | ||
28 | FW | 菅原龍之助 | 2000.7.28 | 2023 | 産業能率大学 | 【H】 | |
29 | GK | 松澤香輝 | 1992.4.3 | 2023 | 徳島ヴォルティス | 【完】 | |
30 | FW | 西丸道人 | 2005.6.15 | 2024 | 神村学園高等部 | 【卒】 | |
31 | MF | 工藤真人 | 2001.5.7 | 2024 | びわこ成蹊スポーツ大学 | 【卒】【H】 | |
32 | DF | 奥山政幸 | 1993.7.28 | 2024 | FC町田ゼルビア | 【レ】 | |
33 | GK | 林彰洋 | 1987.5.7 | 2023 | FC東京 | ||
39 | DF | 石尾陸登 | 2001.8.7 | 2023 | 仙台大学 | 【卒】 | |
41 | DF | 内田裕斗 | 1995.4.29 | 2022 | サガン鳥栖 | ||
42 | DF | 湯谷杏吏 | 2002.7.8 | 2024 | 中央大学(在学中) | 【特】 | |
43 | MF | 横山颯太 | 2006.5.30 | 2024 | 北海道コンサドーレ旭川U-15 | 【2】 | |
47 | DF | 一色竜二 | 2006.8.18 | 2024 | HONDA FC | 【2】 | |
48 | DK | 吉田空斗 | 2006.8.13 | 2024 | ベガルタ仙台ジュニアユース | 【2】【H】 | |
50 | MF | 遠藤康(C) | 1988.4.7 | 2022 | 鹿島アントラーズ | ||
98 | DF | エロン | 1998.7.16 | 2024 | ヴィラ・ノヴァFC | 【完】 |
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
過去に所属したおもな選手
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歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
鈴木武一 | 1995年 | 前身の東北電力時代から選手兼監督として在任 | |
佐藤長栄 | 1996年 | ||
ブランコ・エルスナー | 1997年 | ||
ミロシュ・ルス | 1997年 | ||
三浦俊也 | 1997年10月~12月 | ||
鈴木武一 | 1998年~1999年 | J2参入(1999年) | |
清水秀彦 | 2000年~2003年9月 | J1昇格(2001年) | |
石井肇 | 2003年9月 | 監督代行 | |
ズデンコ・ベルデニック | 2003年9月~2004年 | J2降格(2003年) | |
都並敏史 | 2005年 | ||
ジョエル・サンタナ | 2006年 | ||
望月達也 | 2007年 | ||
手倉森誠 | 2008年~2013年 | J2優勝&J1昇格(2009年) | |
グラハム・アーノルド | 2014年~2014年4月 | ||
渡邊晋 | 2014年4月~2019年 | ||
木山隆之 | 2020年 | ||
手倉森誠 | 2021年~2021年11月 | ||
原崎政人 | 2021年11月~2022年9月 | J2降格(2021年) | |
伊藤彰 | 2022年9月~2023年7月 | ||
堀孝史 | 2023年7月~12月 | ||
森山佳郎 | 2024年~ |
ベガルタ仙台レディース
2011年に活動を休止した東京電力マリーゼの選手を受け入れることが決定。2012シーズンより「ベガルタ仙台レディース」としてチャレンジリーグ(日本女子サッカーリーグ2部)に参戦、2013シーズンには1部リーグにあたるなでしこリーグへ昇格。ユニフォームは、かつてはベガルタゴールドに赤のラインで男女のチームを区別していたが、2015年シーズンからは男子と同じくベガルタゴールドに青のラインに統一された。
2017年から求人サイトを運営するマイナビがトップスポンサーとなり、チーム名も「マイナビベガルタ仙台レディース」に変更。その後、マイナビ社と2020年にクラブ経営権譲渡で基本合意。女子リーグもWEリーグとしてプロ化した2021年からは「マイナビ仙台レディース」のチーム名で活動している。
チームあれこれ
- サポーターが非常に熱いという特色を持ち、また本拠地のユアテックスタジアム仙台が球技場として見やすく、観客席が屋根で覆われているなど評判が高いこともあって、J2時代は6年連続でNo.1の観客動員を誇った。現在もコンスタントに15,000人を動員する。スタジアムの3/4が常に埋まっている、と考えると実は結構すごいことである。
- スポンサーはアイリスオーヤマ(胸スポンサー)、SVC!(鎖骨スポンサー)、木下グループ(鎖骨および背中上部スポンサー)、七十七銀行(袖スポンサー)、マイナビ(パンツ前面スポンサー)、セプテーニ・ホールディングス(パンツ後面スポンサー)が務めている。かつては仙台市内の企業が中心であった。
- モンテディオ山形との「みちのくダービー」の熱さは必見である。
関連用語
- 戦術君
- ベガルタ仙台サポーター。故人。常人には到底理解しがたい「戦術ボード」なる自作のスケッチブックを掲げ、メインスタンドで独り、声を嗄らして応援していた。ちなみに『戦術をスケッチブックに書いて見せても、同じものが敵にも見えるから、結局意味ないんじゃない?』というツッコミは野暮である。初めは周囲の客に「うるさい」、「迷惑だ」と忌み嫌われていたが、サポーターがネタキャラとして面白がっていた事もあり、次第にベガルタ仙台の名物サポーターとして珍重されるようになった。
その反面、ベガルタ仙台に対する愚直なまでの忠誠心に心打たれた者も多く、チームのJ1昇格と共に、他サポーターにも知られる存在となった。2002年10月22日、急性心筋梗塞にて死去。享年36歳。スポーツ新聞の地方欄に訃報が掲載される程の人気者であった。
強豪との試合に引き分けながらも、悔し涙を流しながら言った「引き分けは負けと一緒だべ?」、生前、唯一知人に語った戦術ボードの意味「2+2=4 2×2=4(方法は違っていても、目的に辿りつければ良い)」などの名言を遺しており、今でも仙台サポーターの間では、伝説のサポーターとして語り継がれている。とはいえ、いささか持ち上げられすぎのような気もするが。 - けさい(待ってけさい)
- 2004年にJ2へと逆戻りしてから早や6年、毎年のように 監督交代 ⇒ 春先は好調 ⇒ 夏場に運動量が落ちて失速 ⇒ 秋にちょっと盛り返す ⇒ でも結局昇格を逃す ⇒ また監督交代 というお決まりのパターンを繰り返す様を嘲って言う言葉。のちにベガルタ仙台そのものを表す蔑称にもなった。元ネタは2chの「待ってけさい!なして仙台ばJ2置いでぐのっしゃ!(待ってください!どうして仙台をJ2に置いていくのですか!)」と言いながら「J1」と書かれた乗り物(電車・バス・飛行機など)を追いかけるAAから。J1に昇格してからもこれはそのまま使われ、2011年シーズンに4位だった時は上位3チームがACL出場権を得られたために「J1のけさい」と言われたことも(3位とは大差がついており、最終節の勝利で4位に上がった結果ではあるが)。
関連動画
入場時チャント・試合中チャント関連
サポーター中心部に元パンクロッカーがいる為、トゥイステッド・シスター「We're Not Gonna Take It(Twisted Sister song)」やCOBRAの「やっちまえ!POPSTAR」、THE BLUE HEARTSの「電光石火」、氣志團の「スタンディング・ニッポン」など、パンクやロックのナンバーをチャント化させた曲が多く、他チームのサポーターからは「仙台の応援は一味違う」と評されている。
なお、「スタンディング・ニッポン」を原曲にしたチャント「スタンディング・センダイ」に至っては、氣志團が逆カバーするという事例が起こっている。
試合関連やネタ動画など
ベガルタ漫才
仙台で活動しているお笑いグループ「ティーライズ」に所属するお笑いコンビ・ダブルツリー(後に「ぎょねこ」に改名しワタナベエンターテインメントへ移籍)による「ベガルタ漫才」
関連リンク
関連項目
- サッカー
- Jリーグ - Jリーグチーム一覧
- J1リーグ(2002年 - 2003年、2010年 - 2021年)
- J2リーグ(1999年 - 2001年、2004年 - 2009年、2022年 - )
- 宮城県
- 東北
- ユアテックスタジアム仙台
- ベガッ太さん
- カントリー・ロード
親記事
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兄弟記事
- ジェフユナイテッド市原・千葉
- ロアッソ熊本
- 大分トリニータ
- モンテディオ山形
- ザスパクサツ群馬
- 水戸ホーリーホック
- ファジアーノ岡山
- 栃木SC
- ヴァンフォーレ甲府
- 愛媛FC
- 徳島ヴォルティス
- 清水エスパルス
- 横浜FC
- ブラウブリッツ秋田
- V・ファーレン長崎
- 藤枝MYFC
- レノファ山口FC
- 鹿児島ユナイテッドFC
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