デパートとは、主に日本ではデパートメントストアの略語として使われる単語である。
概要
デパートメントストア(department store)とは、日本語で「百貨店」の事。「デパート」ともいわれる。日本では、衣食住の商品群それぞれを10%以上70%未満取り扱い、従業員50人以上の小売店を百貨店(デパート)や総合スーパー(GMS)と定義されているらしい。
世界初のデパートはどうやら1852年のフランスが発祥らしい。そこから1904年に日本初のデパートができ現在に至るという流れになる。ちなみに日本初のデパートは三越。
現在企業再編が進んでおり、持株会社体制に移行したりアライアンスを組んで生き残りをかけるようになった。その例として、
- J.フロントリテイリング[1]
- エイチ・ツー・オーリテイリング[2]
- セブン&アイ・ホールディングス[3]
- ハイランドグループ[4]
- 三越伊勢丹ホールディングス[5]
- 上記連合に入らない電鉄系[6]
- アライアンスに入らない独立系
このように分けることが出来る。
かつて、百貨店は都市の顔であり、いずれの店舗も市一番の繁華街の中にあり活性化の一翼を担っていたが、モータリゼーションの進行、大店法緩和、購買手段の多様化などによってあちこちで姿を消し、川崎市、八王子市、相模原市、旭川市、福島市、山形市、大津市、徳島市など百貨店が消滅してしまった都市や県もでてきている。
特に八王子市は今まで伊勢丹、大丸、高島屋、西武、丸井、そごうが出店していたが、(近隣の立川の存在もあり)そごうを最後に全滅した。また、宇都宮市も東武百貨店の他に、西武、ロビンソン、福田屋、上野百貨店があったが、廃業、閉店が相次ぎ、東武しか残っていない。水戸、柏、吉祥寺、町田、藤沢、千葉もそれぞれ3~4店舗あったが、いずれも現在は1店舗のみ。茨城県も7店舗あった百貨店は水戸市の京成百貨店のみとなっている。
なお、こうなった原因は1番に郊外型店舗の無節操な進出が槍玉に挙げられることが多い。…が、大元をたどれば旧態依然の頑固な経営スタイルと長引いた不景気に伴う消費不振、更にファストファッション、ドラッグストア、百均などショッピングを楽しむ場所の変化、通販業界の跋扈など購買スタイルの変化が直接的要因である。
一方で、東京、名古屋、大阪などの主力店舗は資本集中が行われ、巨艦化が著しいなど両極端な結果となっている。特に大阪市は阪急うめだ本店、大丸心斎橋店、大丸梅田店、近鉄あべの橋店、高島屋なんば本店が相次いで大幅増床するなど、とんでもないことになった)。
つまり、都心部と地域一番店を除いて百貨店はいらない子になりつつある。
しかし、百貨店の構造不況は大都市も襲っており、日本橋東急の閉店を皮切りに、札幌西武、銀座松坂屋、新宿や池袋の三越、大阪市の天満橋松坂屋、更には名古屋の4Mとまでいわれた老舗、名古屋丸栄なども経営不振で閉店を余儀なくされており、今後の動向が注目される。
なお、百貨店も専門店ビルなどの不動産事業を軸としたり、ギフトショップなどの小型店舗を重視したり、色々と再編が進められている。
因みに、パルコやルミネなどの店舗は百貨店ではなく、専門店ビルである。
ニコ百内に記事のある百貨店
株式会社等の冠は省略。アルファベット順→五十音順。グループのツリー分けをする。消滅したところは取り消し線を引く。
名前の後ろの【】は種別。
【ブ】→ブランド 【持】→持株会社 【ア】→アライアンス
ツリー状になっていないもので特に断り書きの無いものは独立系百貨店。
関連動画
関連項目
関連リンク
- 大規模小売店舗立地法(リンク先:e-Gov 法令検索)
脚注
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