現地語名では「ラパ・ヌイ」、正式名称は「パスクア島」。
概要
地質的にはホットスポットでの噴火活動によって形成された火山島であり、島内に3つの火山があるが、2019年現在は噴火は見られない。地表には玄武岩質溶岩や火山礫凝灰岩が多くみられる。
チリ共和国の領土であるが、チリ本土の海岸線からは3500km以上西に離れている。付近の海域には島らしい島が殆ど無く、最も近い隣の無人島ですら400km以上離れている。最も近い有人島となると西にあるピトケアン島だが、こちらは2000km以上離れている。まさに絶海の孤島と言うにふさわしい。
この島はチリ本土が位置している南米ではなく、ハワイやニュージーランドと同じくポリネシアに分類される。島民の先祖が、東側にある南米からではなく西側のポリネシアからやってきたと考えられるため。一方でポリネシアの中では最も東に位置しているため、南米大陸と交流があった可能性も示唆されているが、確証はない。
観光・歴史
初期のイースター島民は「マケマケ」という神を最高神・創造神として崇めていたようだ。実際に準惑星の名前になっており、その名前の知名度も比較的高い。
しかし、最も有名なのはモアイ像である。像は先述した玄武岩や凝灰岩でできており、特に凝灰岩は比較的柔らかく、玄武岩の石器で切りやすいということもあり、「ラノ・ララク」という凝灰岩の石切り場から大量に切り出された。このモアイ像によって、島全体がラパ・ヌイ国立公園、そして世界文化遺産に指定されている。モアイについての説明は該当記事「モアイ」が詳しい。
他の観光地は火山の他、「オロンゴ儀式村」がある。18世紀には、何らかの要因でモアイが作られなくなってしまった。その後イースター島民には、マケマケの化身とされる、鳥と人の性質を併せ持った「鳥人」への信仰がおこり、その一環として儀式が行われた。儀式の内容は、オロンゴ儀式村のある岬から反対側の島「モトゥ・ヌイ」まで渡り、渡り鳥の卵を持ち帰ってくるというもの。海にはサメがいたという話もあり、容易なチャレンジではなかったが、卵を持ち帰った部族の長が一年間島を統治できるという見返りもあった。
18世紀以降にはヨーロッパ人がこの島に到達する。1772年にオランダ人探検家のロッヘフェーンがイースター(復活祭)の日にこの島を発見し、「イースター島」と名付けた。正式名称の「パスクア島」はスペイン語の復活祭を指す言葉「パスクア」から。しかし、その後ヨーロッパ人による奴隷狩りや天然痘などの影響で、3000人ほどいた島民が111人まで減少してしまう。1888年にチリ領となり、2016年での人口は約6600人となっている。
なお、1937年にはイースター島が日本に売却されそうになったことがある。海軍や水産関連企業と協議し、「滑走路に使えそうじゃね?」という意見も出たが、アメリカやイギリスへも売却の打診が出ていたことを後に知り、購入を諦めた。恐らく日本領になっていても、たぶん1945年の後にはチリ領かアメリカ領になっていたと思うが…。
現在の生活
現在、島には「ハンガロア」という集落があり、そこが島の中心となっている。主要な道路は舗装されており、島内の移動には主に自動車が使われる。ハンガロアには観光客向けのホテルが多い他、レストラン、レンタカー店、スーパー、公園、病院、ネットカフェ、キリスト教会なども見られる。欧米の街のように、道路には一本一本に名前がついているが、ほとんど現地語であるラパヌイ語である。中には日本語だと間抜けな通りの名前もある。
ハンガロアの南に「マタベリ空港」があり、チリやペルー、タヒチへの航空便が出ている。世界で最も他の空港から遠い場所にある空港である。滑走路の長さは3318m。かつてNASAのスペースシャトルの緊急着陸場として作られたため、かなり長い。
チリ領内ということもあり、島内ではスペイン語が主に話される。かつては「ロンゴロンゴ」という文字で表されたラパヌイ語も話されるが、UNESCOの消滅危険度評価で「重大な危険」に指定されており、消滅が危惧されている。
関連動画
関連リンク
関連項目
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