エリモハリアーとは、2000年生産の日本の元競走馬。函館競馬場で無類の強さを見せた「函館の名優」。
主な勝ち鞍
2005年~2007年:函館記念(GⅢ、3連覇)
概要
「函館の名優」、誕生
デビュー前から去勢されて騸馬としてデビューしたことから、クラシックには出られなかった。それどころか時折善戦はするが条件馬脱出もままならず。これでも走らされるというのが騸馬の悲しい定めである。
しかし、5歳夏の北海道シリーズで転機は訪れる。
前年秋に準オープン馬となり迎えた5歳。6月に入り2走続けて複勝圏内に入り調子が上がってきたと判断した陣営は、函館シリーズ初戦に格上挑戦となるOP「巴賞」を選択。するとここで上がり最速の脚を繰り出して勝利。32戦目にして無事オープン馬に昇格した。
そして次戦に選んだのは函館記念。そのレースでは直線で追い込みでブルートルネードを差し切り。鞍上北村浩平にとっても初の重賞制覇となった。
函館を愛し、函館に愛された馬
この勝利をきっかけに、重賞戦線で戦うようになったエリモハリアー。しかし、函館以外では善戦はするもなかなか勝ちきれないまま、1年後函館に戻ってくる。
この年は巴賞を2着とすると、1番人気を背負った函館記念で馬群の中からエアシェイディらを割って伸び連覇を達成。陣営は次戦に札幌記念を選択。アドマイヤムーンの5着に入るも、激走の代償は大きく屈腱炎を発症。
彼は驚異的な回復で翌年の函館で再びターフに戻ってきた。この年もエリモハリアーは巴賞を函館初戦にするも、レース勘が鈍ったか最下位に。次走は3連覇のかかった函館記念。しかし内容が懸念され、相手にもサクラメガワンダー、マイソールサウンド、アドマイヤフジなどと強豪が揃ったため7番人気まで人気を落とす。
しかし、中段でレースを進めたエリモハリアーは直線競り合うアドマイヤフジやマイソールサウンドら先行他馬を押し切り勝利。史上3頭目の平地同一重賞3連覇を達成した。
8歳以降は往年の輝きを失い惨敗続き。10歳になり引退レースに選んだのは思い出の函館記念であった。結果は16頭中14着の惨敗だった。
エリモハリアーは騸馬なので子孫は残せなかったが、第二の馬生として思い出の地・函館競馬場での誘導馬という任に就くこととなった。2014年、JRAが60周年記念に行った各競馬場のメモリアルホースファン投票では函館記念勝ち馬に絞って行われた函館競馬場部門で、名マイラーニッポーテイオーや不滅のレコードを打ち立てたサッカーボーイなどを抑えて1位に選出。この時つけられた二つ名が「函館の名優」である。この年の函館記念の前のレースに行われた彼の名をつけて行われたレースでももちろん誘導を務め、そのゼッケンには「函館の名優」と記されていた。
2018年をもって誘導馬を引退。その後は道内の功労馬繋養施設に預けられたが、程なくしてこの世を去った。
血統表
*ジェネラス Generous 1988 栗毛 |
Caerleon 1980 鹿毛 |
Nijinsky II |
Northern Dancer |
Flaming Page | |||
Foresser | Round Table | ||
Regal Gleam | |||
Doff of Derby 1981 鹿毛 |
Master Derby | *ダストコマンダー | |
Madam Jerry | |||
Margarethen | Tulyer | ||
Russ-Marie | |||
エリモハスラー 1988 黒鹿毛 FNo.9 |
*ブレイヴェストローマン Bravest Roman 1972 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah |
Lalun | |||
Roman Song | Roman | ||
Quiz Song | |||
デプグリーフ 1974 鹿毛 |
Vaguely Noble | *ヴイエナ | |
Noble Lassie | |||
*デプス | Backpasser | ||
Batteur |
クロス:Nasrullah 4×5(9.38%)、Nearco (母内5,5)(6.25%)
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関連項目
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