ラウンドテーブル(Round Table)とは、1954年生まれのアメリカ合衆国の競走馬である。牡・鹿毛。
概要
父Princequilloはアイルランド産で第二次世界大戦を避けてアメリカに渡り10ハロンから2マイルで活躍したステイヤー。
母Knight's Daughterはイギリス国立牧場生産で、半妹に1000ギニー優勝馬Hypericumがいる。アメリカの超名門クレイボーンファームの創業者であるアーサー・ハンコック氏がたまたま別の馬目当てで渡英している時に目に留まって購入され、アメリカに輸入された。
母父Sir Cosmoはジュライカップを勝ったスプリンターである。
さて、この馬の北米での同期には同じ日に同じ牧場で生産されたBold Ruler、日本にも種牡馬として輸入された*アイアンリージ、カナダを中心に47戦21勝の成績を残したNearctic、アメリカの一流レースを中心に26戦14勝のGallant Manなどがいる超黄金世代である。そのため、このラウンドテーブルも煽りを受けることになった。
母のKnight's Daughterから連想したラウンドテーブル(円卓の騎士)と名付けられたこの馬は、預託生産馬であったBold Rulerと違って自家生産馬ということもあり牧場所有のままデビューすることになった(4万ドルという強気の価格で売りに出されたが買い手が付かなかったという説もある)。
競走成績
2歳時
2月に3ハロンのレースでデビューしたが4着に敗れ、4月に4ハロンのレースに出走して初勝利を挙げた。その11日後のラファイエットS(4ハロン)を勝利、6月の5ハロンのアローワンス(一般競走)まで勝って3連勝を挙げた。しかし7月のハイドパークS(5.5ハロン)では離された2着、アーリントンフューチュリティ(6ハロン)では4着、8月のジョージ・ウルフ記念Sでは落馬競走中止となった。
2か月の休養を挟んで10月のキーンランドのアローワンス(6ハロン)で勝利し、ブリーダーズフューチュリティ(7ハロン)を勝利した。11月のチャーチルダウンズでのアローワンス(7ハロン)では8着に惨敗した。
2歳時の戦績は10戦5勝であった。
3歳時
3歳になり、ハイビスカスS(7ハロン)でGallant Manの10着と敗戦するのと前後して、オクラホマの石油王トラヴィス・カー氏のエージェントの獣医のジョン・ピータース博士からクレイボーンファームにトレードの打診があった。レース後の2月にクレイボーンファームのこの時点での代表であったブル・ハンコック氏(アーサー氏の息子)は承諾し、権利の80%を売却されることとなった。これはアーサー・ハンコック氏が長年の心臓病を遂に悪化させたことから、死後に相続税が莫大な額になることが予想されたためでもあった。
トレードが成約した当日のハイアリアのアローワンス(8.5ハロン)では*アイアンリージの6着に敗れた。実はこの数戦、裂蹄で実力を発揮できない状態だった。1週間後のアローワンス(7ハロン)では相手に恵まれ6馬身の差をつけて勝利した。
ラウンドテーブルはカリフォルニアの大調教師であるウィリアム・モルター師に預けられ、サンタアニアダービー(9ハロン)3着、サンバーナーディノH(8.5ハロン)5着のあとベイメドウスダービー(8.5ハロン)で4馬身半差で勝利しケンタッキーダービー出走を決めた。1週間前に叩き台として出走したブルーグラスSでは6馬身差レコードで圧勝し、2番人気でケンタッキーダービーに出走した。しかしケンタッキーダービー(10ハロン)では*アイアンリージ、Gallant Manに続く3着がやっとだった。
この世代は前述の通りBold Ruler、Gallant Manなどがいる黄金世代であった。そのためラウンドテーブル陣営は勝ち目がないと判断し、プリークネスSやベルモントSを回避してしばらく西のほうに引きこもることにした。
古馬とのカリフォルニアンS(8.5ハロン)では2着に好走し、ウィル・ロジャースS(8ハロン)、エルドラドH(8.5ハロン)、シネマH(9ハロン)、ハリウッドGC(10ハロン)、ウエスターナーS(10ハロン)と5連勝した後、初芝のアメリカンダービープレップ(芝8.5ハロン)も馬なりのまま勝利し6連勝。アメリカンダービー(芝9.5ハロン)ではケンタッキーダービー馬*アイアンリージが出走してきたが、4馬身差で雪辱を果たした。
これで自信を取り戻したラウンドテーブル陣営はベルモントSを優勝してこの世代の最強と言われるようになったGallant Man陣営に宣戦布告した。
ラウンドテーブル陣営「マッチレースでどっちが世代最強か決めようぜ」
Gallant Man陣営「だったら逃げも隠れもしないから東海岸に来いや」
というわけで東海岸で9月に行われるユナイテッドネイションズH(芝8.5ハロン)に出走したがGallant Manは別のレースに出走することになったのでここでの対戦は実現しなかった。このレースに勝利した後、中部のホーソーン競馬場のアローワンス(8.5ハロン)、ホーソーンGC(10ハロン)、ガーデンステート競馬場のアローワンス(8ハロン70ヤード)の3連勝(通算11連勝)を挟んで、11月のトレントンH(10ハロン)でようやくGallant Manとの対戦が実現した。さらにこのレースにはプリークネスS優勝のBold Rulerも参戦することになり、3頭立ての夢のレースが実現することとなった。あれ、ケンタッキーダービー馬*アイアンリージは?
このレースでは先行したBold Rulerをラウンドテーブル、Gallant Manが追う展開となったが、Bold Rulerが突き放し、さらにGallant Manにも追い抜かれて11馬身もの差をつけられ3頭中3着に敗戦した。この敗戦で
Bold Ruler>Gallant Man>>>>>>>ラウンドテーブル
という図式が固まってしまったのだった。
もう今更大レースに出ても奴等には勝てない。ならラウンドテーブル陣営はどうしたか。西海岸にまた引きこもって出られるレースには何でも出走することにしたのだ。
ん?何でも?
そう、条件はダート・芝問わず、距離も7ハロンから16ハロンまで何でもである(デビュー戦は3ハロンだから3ハロン~16ハロンまで走ったことになる)。この年はサンタアニアのマリブシークエルS(芝7ハロン)を勝利して終え、最優秀芝馬となっている。
3歳時のみの成績で22戦15勝。敗戦の中には運命を決定づけた1戦が含まれていた。
4歳以降
4歳時はサンフェルナンドS(8.5ハロン)、サンタアニタマチュリティS(10ハロン)を連勝し、サンアントニオH(9ハロン)では世界レコードタイのコースレコードで駆け抜け、続くサンタアニタH(10ハロン)とアローワンス(8.5ハロン)でもレコードで連勝。ガルフストリームパークH(10ハロン)をレコードタイで勝利し、メキシコのアグアカリエンテH(8.5ハロン)をレコード勝ちしたことで史上3頭目の100万ドルホースとなった。
帰国初戦のカリフォルニアンS(8.5ハロン)では何度となく本馬に一蹴されていたSeaneenに敗れ2着となったが、アルゴノートH(8ハロン)、アローワンス(芝8.5ハロン)、アーチワード記念(芝9.5ハロン)に勝利し、ウォーレン・ライト記念S(9ハロン)2着、ローレンス・アーマー記念S(芝9ハロン)レコード勝ちと好調を維持した。
しかしエクイポイズマイルH(8ハロン)では5着と久々に着外に敗れ、アーリントンH(芝9.5ハロン)1着、ワシントンパークH(8ハロン)2着、アローワンス(芝8.5ハロン)勝利とした後ユナイテッドネイションズH(芝9.5ハロン)で2着、ウッドワードS(10ハロン)では5着に敗退した。しかしホーソーンGC(10ハロン)では自身のレコードを更に更新して勝利し、シーズンを終えた。
4歳時のみの成績で20戦14勝。気が付けば最優秀芝馬に加えて年度代表馬、最優秀ハンデ牡馬・騸馬、世界賞金王にもなっていた。
5歳になってライバルたちが引退してからも現役を続けていた。サンカルロスH(7ハロン)2着、サンマルコスH(芝10ハロン)全米レコード勝ちのあと、ワシントンバースデーH(芝12ハロン)で日本のハクチカラから大きく離されたシンガリ16着に敗北した。敗れた主要因は走行中に後肢を前肢にぶつけたための右前肢の負傷と言われている(日本ではシンザンがこの症状に悩まされたことで知られている)。
約4か月の休養の後、サイテーションH(8ハロン)をレコード勝ち、エキシビジョン競走(芝8.5ハロン)を馬なりのまま10馬身差圧勝、スターズ&ストライプスH(芝9ハロン)を全米レコード勝ちと連戦連勝。エクイポイズマイルH(8ハロン)3着を挟み、クレム・マッカーシーH(芝9ハロン)を勝利し、アーリントンH(芝9.5ハロン)全米レコード勝ち、ワシントンパークH(9ハロン)コースレコード勝ちを挟んでユナイテッドネイションズH(芝9.5ハロン)を勝利した。
ここになってラウンドテーブルに挑戦者が現れた。この年のベルモントSを制したSword Dancerである。Sword Dancerはこの年のウッドワードS(10ハロン)に出走を決め、そのレースではSword Dancerが勝利しラウンドテーブルは4頭中3着に敗れた。ラウンドテーブルはマンハッタンH(13ハロン)をレコード勝ちすると、ジョッキークラブGC(16ハロン)でSword Dancerと再戦することになったが、ラウンドテーブルはSword Dancerから7馬身差離された2着に敗れ、Sword Dancerにバトンを渡す形で引退することになった。
5歳時のみの成績で14戦9勝、最優秀芝馬および最優秀ハンデキャップ牡馬・騸馬を受賞した(年度代表馬はSword Dancer)。
通算成績は66戦43勝にもなり、レコード勝ちは16回を数えた。本馬が芝とダートを股にかけて活躍したことは、間接的に芝路線の地位向上にも繋がった。
種牡馬として
引退後は故郷のクレイボーン牧場で種牡馬として繋養された。種牡馬として北米やヨーロッパに優秀な子孫を残し、そして1972年にはリーディングサイアーになった。既に種牡馬として名を挙げていたBold Rulerや、Nearcticの子で種牡馬としてデビューしていた世界のNorthern Dancerに勝利したのである。
1982年、28歳で種牡馬を引退。母Knight's Daughterが元々イギリス王室の馬という縁で、その2年後にケンタッキー州を訪れた折に本馬の存命を耳にした女王エリザベス2世は急遽クレイボーンファームを訪ねたという。
1987年、33歳という高齢で死亡。ブラッド・ホース社の「20世紀のアメリカ名馬100選」ではBold Ruler(19位)やGallant Man(36位)より上の17位に選定されている。
血統表
Princequillo 1940 鹿毛 |
Prince Rose 1928 鹿毛 |
Rose Prince | Prince Palatine |
Eglantine | |||
Indolence | Gay Crusader | ||
Barrier | |||
Cosquilla 1933 鹿毛 |
Papyrus | Tracery | |
Miss Matty | |||
Quick Thought | White Eagle | ||
Mindful | |||
Knight's Daughter 1941 鹿毛 FNo.2-f |
Sir Cosmo 1926 黒鹿毛 |
The Boss | Orby |
Southern Cross | |||
Ayn Hali | Desmond | ||
Lalla Rookh | |||
Feola 1933 黒鹿毛 |
Friar Marcus | Cicero | |
Prim Nun | |||
Aloe | Son-in-Law | ||
Alope | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Persimmon 5×5(6.25%)、Gallinule 5×5(6.25%)
主な産駒
- *ボールドリック (1961年産 牡 母 Two Cities 母父 Johnstown)
- Royal Glint (1970年産 騸 母 Regal Gleam 母父 Hail to Reason)
- Apalachee (1971年産 牡 母 Moccasin 母父 Nantallah)
- Cellini (1971年産 牡 母 Gamely 母父 Bold Ruler)
- Dancealot (1971年産 牝 母 Music Please 母父 To Market)
- Flirting Around (1971年産 牡 母 Happy Flirt 母父 John's Joy)
- King Pellinore (1972年産 牡 母 Thong 母父 Nantallah)
- Take Your Place (1973年産 牡 母 Zonah 母父 Nasrullah)
- *アーテイアス (1974年産 牡 母 Stylish Pattern 母父 My Babu)
- Banquet Table (1974年産 牡 母 Silver Bright 母父 Barbizon)
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関連項目
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