カンタス航空とは、オーストラリアのフラッグキャリアであり世界でも古参に位置する模範的な航空会社である。
カンタス航空の概要
1920年11月16日にクイーンズランド州で設立し、残念機長のKLMオランダ航空やアビアンカ航空に次ぐ古参の航空会社でカンガルーが目印。
第二次世界大戦ではオーストラリア政府に徴用され戦闘で多くの航空機と搭乗員を失っている。
戦後は経営難に苦しむもオーストラリア労働党政権に接収されたがロッキードL-049受領後は長距離路線を開き始め、オイルショック等の影響で一時廃止されるも現在ではジェットスター航空を設立し、2018年3月にはバース~ロンドン直通便を開始したほか2022年にはロンドンやフランクフルト行きの増便を目指す。
就航はシドニー国際空港をハブ空港としており、1960年代以降ジェット機の機材を運行しているがジェット機機材では死亡事故0記録を継続している。さすカン。
就航機材(2019年現在)
カンタス航空の武勇伝重大インシデント
カンタス航空70便緊急着陸事故
2005年8月20日成田発バース着のカンタス航空70便(エアバスA330ー303)が和歌山県沖を飛行中の貨物室の出火警告灯が作動した為機長が遭難通信を通報して行き先を関西国際空港へ変更した。機長が消化剤放出による消火を実行したが23:05から23:45までにかけて6回作動したため機長は状況から誤作動と見るも念のため代替空港として鹿児島空港の天候を問い合わせたが経験上慣れている関西国際空港を選択した。
管制と乗客にはおそらく誤作動と見ているが念のため緊急着陸する旨を伝え関西国際空港の滑走路06に8月21日00:51緊急着陸し誘導路に停止した。(万が一の脱出や支援車両の到着を考慮して滑走路の24からもっとも近くて広いC誘導路とP誘導路の交差点で停止している)
この時消防から機首から昇る白い煙(後に機首の温度計から放出された圧縮空気が外気に触れた事による霧と判明)を報告された為脱出シューターを用いた緊急脱出を行ったがその際に骨盤骨折の重傷者1名と軽傷者8名及び1名の過換気症候群の発症者を出している。
事故後の調査で出火警告灯の作動は誤作動であった事が判明した。
http://www.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/rep-acci/AA2008-3-1-VH-QPE.pdf
(カンタス航空70便緊急着陸事故に関する航空・鉄道事故調査委員会の事故調査報告書)
カンタス航空30便緊急着陸事故
ロンドン発メルボルン着のカンタス航空30便(ボーイング747-400)が飛行中右主翼前方付け根に約2.7mの大穴が開き、マニラ国際空港に緊急着陸した。
後にオーストラリア運輸安全局の調査で貨物室に積んであった酸素マスク用の酸素タンクの爆発によるものと判明した。
カンタス航空72便急降下事故
2008年10月7日シンガポール発バース行きカンタス航空72便(A330-300)が飛行中コンピューターの誤作動により突然の急降下を繰り返し10名の重傷者と40名の軽傷者を出した。
直接の原因はコンピューターのソースコードの取り違えだがその故障が発生した原因は不明。
なお原因が判明するまでに再度同様の事例が起きたがこの時はコンピューターを切り手動に切り替える事で難を逃れている。さすカン。
カンタス航空32便エンジン爆発事故
2010年11月4日シンガポール発シドニー行きカンタス航空32便(A380-800)がインドネシアバダム島上空を飛行中左翼内側の第2エンジンが爆発したためシンガポール空港に緊急着陸した。
この時エンジンの破片が機体を突き破り操縦系統にも損傷を与えた為操縦操作にも影響が出たものの幸い破片による乗客の負傷は無かった。
後に事故原因はエンジン内の燃料パイプの製造不良による燃料漏出からの爆発火災によるものと判明した。
(この後に行われた一斉点検で就航していたエンジンの約半数に同様の不良部品が発見されて交換している)
なおA380初めての事故でありカンタス航空はその日に「事故原因が解明されるまで同社内のA380全機体の運行を停止する」と声明を発表した。さすカン。
関連動画
関連項目
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