クトゥルフ神話の成立と発展とは、主に次の通りである。
アメリカ人のゴーストライターで、アマチュア作家(パルプマガジンへの投稿作家の多くはアマチュア作家)でもあったH.P.ラヴクラフトが仲間のC.A.スミスやR.E.ハワード達と、それぞれが創造した固有名詞(神名、人名、地名、書名)を互いの作品中で使用しあう楽屋オチ的な遊びに端を発する。文通し合っていた彼等は書簡で互いに設定を付け加え合い、たとえばラヴクラフトがクトゥルーの父についてスミスに説明すれば、スミスはバーロウにクトゥルーの母の名を教える・・・といった遊び方だった。そして、その一部は互いの作品にも、時にはラヴクラフトが本業で行ったゴーストライティング作品にも反映されたが、元々異なる作品世界であった為、世界観はまるで別物で、設定の統一化も図られる事は無かった。
ラヴクラフトの死後、彼等の遊びが入った一連の作品群をA.ダーレスやC.A.スミスはCTHULHU MYTHOSと呼び、ダーレスがその名を広めた。又、その事で新たに参加しようとする書き手達に対し、ダーレスはラヴクラフトのパターンを踏襲した。即ち書き手それぞれが独自の設定と世界観をもって創作する事で、これに依りイギリスに舞台を創造したR.キャンベル、エピック・ファンタジイ的なSFにしてしまったブライアン・ラムレイ、旧神=大地の神々(地球本来の神性)にしてしまったG.メイヤーズ、旧神どころかクトゥルフも実在していないC.ウィルスンといった作家の作品が世に広まって行ったが、ダーレスの急逝に依り、この四人に続くべき作家達は発表の場を失い、創作の中心はセミプロジンやファンジンといった同人誌が主力となって行った。
ダーレスの死後まもなく発表されたR.L.ティアニーの「ダーレス神話」を皮切りにダーレス批判が起こるが、その多くは誤解に基づくものであった。誤解の主なものは次の二点。
1.ラヴクラフトの作品の背景に関して、クトゥルフ達が何者かに封印されているというラヴクラフトの言葉を捏造したとされるもの。
2.ラヴクラフトの死後、旧神や四大元素説を導入し、又、後進の作家達にそれらを用いるよう指導した。
このうち1.に関してはH.ファーニーズという人物がラヴクラフトから貰った書簡内容をうろ覚えで書いたものを、真偽を確認しないまま、さもラヴクラフトから聞いた様に使ってしまったもので、あやふやな情報を用いた点に関しては責められるべきだが捏造ではなく、又、ラヴクラフトはその場のノリである事ない事、書くクセがあったので、案外、この内容通りの書簡を書いていた可能性も存在している。
又、2.に関しては完全な誤解で、ラヴクラフトはこの二つのダーレスのアイデアを褒め、特に旧神については絶賛していたらしい。ラヴクラフトは、旧神の住処としてベテルギウスを設定していたダーレスに、そのベテルギウスがかつてグリュ=ヴォと呼ばれていた設定を送った他、自らも旧神の印を創造し、作中に登場させている。そして、ダーレスは後進に対してそれぞれ独自の世界観と設定を作りそれに沿って創作する様に指導していた。
但し、ダーレスは存命中、クトゥルー神話とラヴクラフト作品に関する全ての権利を有している様に振る舞い、その点は責められても仕方が無いが、おそらくラヴクラフトとラヴクラフトの付随物(ダーレスにとって)であったクトゥルー神話を守りたかっただけなのであろう。
なお、ダーレスに対する誤解は本国アメリカでは1990年代には、ほぼ解けており、日本でも後に出た出版物ではその辺りに触れているものがある。
1970年代半ばになるとリン・カーターは矛盾し合う設定を何とか統一化しようとし、又、クトゥルー神話の体系化を試みたが、癌に依り志半ばで急逝し、代わって設定の統一化と体系化はケイオシアムのRPGに依って行われたが、ラヴクラフト原理主義的な所から始まったゲームは、ラヴクラフトの創造物に関しては後の小説群で追加された設定について自分達に都合の悪いものは斬り捨てると同時に新たな設定を追加していき、小説とはかなり異なる方向へ進化して行った。
そしてゲームから入った人々の中にはクトゥルー神話をシェアード・ワールドと勘違いする人も居るが、そもそも異なる世界観を基本にしていては、シェアードのしようが無いのである。
一方、小説の方は同人誌に代わってネットでの発表が中心になり、又、かつてのセミプロジン出版社などがインディーズ系の出版社となってアンソロジーや長編を出版し続け、21世紀に入った現在でも続々と新作が発表され、新たな神々も誕生し続けている。
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