ノアノハコブネ(Noah no Hakobune)とは、1982年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牝馬。
21番人気でオークスを制し、珍名馬オーナー・小田切有一に初のGⅠ、後の名伯楽・音無秀孝騎手に唯一のGⅠ勝利を贈った馬。
概要
父アローエクスプレス、母ユトリロ、母父*プロントという血統。
父は1969年の朝日杯馬で、内国産種牡馬の評価が低かった時代に大活躍した名種牡馬。主な産駒に1976年の二冠牝馬テイタニヤ、1982年の桜花賞馬リーゼングロスがいる。
母は8戦1勝。
母父はフランスの馬で、1965年のエクリプス賞などの勝ち馬。日本で種牡馬として1976年の安田記念馬ニッポーキング(華麗なる一族の中興の祖イットーの半弟)などを輩出した。
1982年5月10日、浦河町の荻伏牧場(主な生産馬にハギノトップレディ、ダイイチルビーなど)で誕生。
オーナーは数々の珍名馬で知られる小田切有一。小田切オーナーが馬主になったのは1979年なのだが、初期の所有馬は初所有・初勝利・初重賞馬のマリージョーイなど、わりと普通の名前をつけていた。ノアノハコブネも普通に洒落た馬名と言えるだろう。
※本記事では馬齢表記を当時のもの(数え年、現表記+1歳)で記述する。
方舟に乗って
栗東・田中良平厩舎に入厩したノアノハコブネのデビューは4歳になってから。1985年1月26日、京都・ダート1700mの新馬戦だった。田中厩舎所属の音無秀孝騎手(当時31歳)を鞍上に2馬身半差の快勝デビューを飾る。
桜花賞を目指し、続いて2月の京都・芝1600mの梅花賞(400万下)、3月の阪神・芝1600mの初雛賞(400万下)と飯田明弘騎手とともに向かうもクビ差2着、4着と敗戦。
音無騎手に戻って桜花賞トライアルの4歳牝馬特別(西)(GⅡ)(現:フィリーズレビュー)に挑んだが、7番人気で8着に終わり、あえなく桜花賞出走の夢は絶たれた。以降、最後まで音無騎手が手綱を取ることになる。
ならばとオークスを目指し、桜花賞前日の忘れな草賞(OP)に出走したが、ここも4着敗退。せめてあと1勝しないとどう足掻いてもオークス出走は無理である。小田切オーナーがなんとかオークスに出す方法はないかと相談すると、音無騎手が「ダートの平場なら勝てる」と進言。それに従って4月28日の京都・ダート1800mの400万下に向かうと、音無騎手は自身の言葉通りにここでノアノハコブネを勝たせてみせた。後の名伯楽の片鱗をうかがわせるエピソードである。
ともあれ無事に2勝目を挙げて優駿牝馬(GⅠ)出走が叶ったノアノハコブネ。しかしここまで6戦してダートで2勝、芝では全敗の馬が人気するはずもない。当時のオークスは28頭立てという多頭数だったが、ノアノハコブネは単勝62.7倍の21番人気であった。
レースは桜花賞をハイペースで逃げ切ったエルプスが逃げられなかったにもかかわらず、1000m通過が60秒5という当時の馬場としては異常なハイペースの流れとなる。ひっそりと後方に待機していたノアノハコブネは、4コーナー通過時点でも最後方だった。しかしこのハイペースで前にいた馬たちは直線に入る頃にはみんなバテバテで総崩れ。そんな中で抜け出しを図ったのが、末期癌をひた隠しにして騎乗していた中島啓之騎手(ダービー後の6月11日に急逝)のナカミアンゼリカ。だがそこで、大外に進路を取ったノアノハコブネが、一気に前を呑み込んだ。
さあ直線400を切って、トチノニシキか、トチノニシキが来た! トチノニシキ先頭か!
ナカミアンゼリカ、そしてユキノローズ、そしてその外はロイヤルコスマーと2番手は広がっている!
あと大外からミスタテガミ突っ込んで来る! 連れて上がってきたのがノアノハコブネ!
さあ坂を上がりきってあと200m! 懸命に頑張っているのはナカミアンゼリカか、ナカミアンゼリカ、そして外からミスタテガミ、
大外からはノアノハコブネ! 大外からノアノハコブネ!
ものすごい末脚だ! ナカミアンゼリカを捉えた!
ノアノハコブネが先頭で今ゴールイン!
混戦を捌いたのはノアノハコブネ! ナカミアンゼリカ2着、ミスタテガミは及ばず3着か、
恐れ入りましたノアノハコブネ、大外から直線一気に先行各馬を差し切りました!
単勝6270円は2024年現在もオークス史上歴代最高配当。単勝配当ではサンドピアリスの1989年エリザベス女王杯(20番人気)には遠く及ばないものの、21番人気での勝利というのはグレード制以降のGⅠではもちろん、グレード制導入前を含めても八大競走最低人気順勝利記録。最大でフルゲート18頭になった現在では絶対に更新されることのない記録である。音無秀孝騎手および田中良平師は八大競走およびGⅠ初制覇。ともにこれが最初で最後のGⅠ勝利となった。
もちろん小田切オーナーもGⅠ初制覇となったのだが……当日、東京競馬場に小田切オーナーの姿はなかった。監督をしていた少年ソフトボールチームの試合があり、「GⅠ制覇は馬主を続けていればまた見られるかもしれないが、子どもの日々は二度と帰ってこないから」とそちらを優先したのであった。
その後のノアノハコブネはというと……輝きはこの一瞬だけだった。秋はローズS(GⅡ)を11着、エリザベス女王杯(GⅠ)を12着と惨敗。
そして、当時は12月開催だった阪神大賞典(GⅡ)へと向かったが……。
1周目のスタンド前で、彼女は競走を中止した。
寛骨骨折。予後不良。
方舟はひっそりと、1年に満たない短い旅路を終えた。
音無秀孝騎手はその後、調教師として名伯楽となり、数々の名馬を手掛けた。
小田切オーナーが次にGⅠを勝つのは21年後、その音無厩舎に所属した、オレハマッテルゼの高松宮記念でのことになる。
血統表
アローエクスプレス 1967 鹿毛 |
*スパニッシュイクスプレス 1962 鹿毛 |
Sovereign Path | Grey Sovereign |
Mountain Path | |||
Sage Femme | Le Sage | ||
Sylvia's Grove | |||
*ソーダストリーム 1953 栃栗毛 |
Airborne | Precipitation | |
Bouquet | |||
Pangani | Fair Trial | ||
Clovelly | |||
ユトリロ 1974 栗毛 FNo.1-e |
*プロント 1963 鹿毛 |
Prince Taj | Prince Bio |
Malindi | |||
La Caravelle | Worden | ||
Barquerolle | |||
*ダラマ 1957 栗毛 |
Djebel | Tourbillon | |
Loika | |||
Pretty Lady | Umidwar | ||
La Moqueuse |
クロス:Udaipur=Umidwar 5×4(9.38%)、Nasrullah=Malindi 5×4(9.38%)、Fairway 5×5(6.25%)
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