吉田拓郎とは、日本のシンガーソングライターである。
概要
1970年代前半にデビューし、その歌や生き方を当時の日本の若者から強く支持された。ポップスのみならずアイドルから演歌歌手まで広く楽曲提供を行ったことから歌謡曲にも影響を与え、現在では日本の現代音楽史を語る上では欠かせない最重要人物の一人になっている。一般的にはフォーク歌手として見られるが、実際はロックやR&B等、様々なジャンルに手を出している。
同時期にデビューした井上陽水、松任谷由実、中島みゆきらとともに、日本にシンガーソングライターというスタイルを定着させた一人とされる。
彼の楽曲を聞いて育った『拓郎世代』のアーティスト達は、大なり小なり拓郎の影響を受けている。拓郎が好き・或いは影響を受けた公言するアーティストに、浜田省吾・長渕剛・桑田佳祐(サザンオールスターズ)・氷室京介(BOØWY)・渡辺美里・木根尚登(TM NETWORK)・坂崎幸之助(THE ALFEE)・高橋ジョージ(THE 虎舞竜)・ブラザートム(バブルガム・ブラザーズ)・中村正人(DREAMS COME TRUE)・錦織一清(少年隊)・矢口真里(モーニング娘。)・TAKAYO(ZONE)・草野マサムネ(スピッツ)・コザック前田(ガガガSP)・藤巻亮太(レミオロメン)・つじあやの・奥田民生(ユニコーン)・トータス松本(ウルフルズ)・大橋卓弥(スキマスイッチ)・ROLLY・ダイアモンド☆ユカイ・藤岡藤巻らが居る。
ニコニコ的にはまさかのクロ高主題歌である『純』の印象が強い人間が多いか。タイアップからこの曲を聴いてシュールなイメージを抱く人間も少なくないが、先入観を取り除いて聴くと、特に歌詞など非常に素直に拓郎らしい曲である。
経歴
1946年4月5日、鹿児島県生まれ。
小学生時代に広島県へ移り住み、高校生~大学生時代より本格的に音楽活動を始める。広島時代よりアマチュアフォークグループサークル「広島フォーク村」を結成し、アマチュアながら地元ラジオ局にリクエストが殺到しラジオ番組のDJを任されるなとかなりの有名人として知られるようになる、
この人気に東京のインディーズレーベルであったエレックレコードが目をつけ、拓郎本人に無許可でレコードをリリース。これがきっかけとなり、改めて自社の契約社員として拓郎をスカウトした。
1971年に岐阜県で開催された音楽イベント「第3回全日本フォークジャンボリー」に出演した拓郎は客を煽り2時間以上に渡って「人間なんて」を歌い続けるというパフォーマンスを行ったことからさらにその名を知られるようになる。
エレック時代に拓郎がレコードの売上に対してかなりの搾取をされたことに気が付き、1972年には新興のメジャーレコード会社であったCBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)とアーティスト・プロデューサー契約を結び移籍。「結婚しようよ」「旅の宿」を続けて大ヒットさせ、それまでメジャーレーベルが『フォークソングは売れない』と商業的に否定的だった認識を改めさせ、フォークブームを起こした。一躍若者のカリスマになった拓郎であったが、それまでの歌謡曲の歌手が積極的に出演していたテレビ番組には出演せず、代わりにライブやコンサートを積極的に行い、当時勃興していたラジオの深夜放送のパーソナリティとして出演するというファンに密着した活動を行った。このスタイルも当時のフォーク歌手の活動スタイルに影響を与え、井上陽水などもこれに追随した。
自身の楽曲の発表のほか、既存の歌謡曲歌手にも積極的に楽曲提供を行い、「我が良き友よ」「襟裳岬」「やさしい悪魔」「狼なんか怖くない」などヒット曲を世に送り出す。
また、1975年には井上陽水、泉谷しげる、小室等と共に自身のレコード会社であるフォーライフレコードを設立。それまで日本の音楽業界では考えられなかったアーティスト自身が経営するレコードレーベルの誕生は世間を驚かせた。
1982年にフォーライフレコードの社長を退任して再びアーティスト活動に専念。
1990年代以降はかつて出演に消極的だったテレビ番組に積極的に出演するようになり、1996年よりKinKi Kidsと音楽バラエティ番組「LOVE LOVE あいしてる」(フジテレビ)の司会を担当。この番組の主題歌として提供した「全部だきしめて」もヒットさせ、1970年代の人気絶頂期を知らない新たな若者層へも自身の名を広く認知させた。
代表曲
他アーティストへの提供(主に作曲)
- 我が良き友よ(かまやつひろし)
- アン・ドゥ・トロワ(キャンディーズ)
- 狼なんか怖くない (石野真子)
- 風になりたい(中村裕子、中ノ森BAND)
- 全部だきしめて(Kinki Kids)
- 襟裳岬(森進一、テレサ・テン)
- たべちゃうぞ(ガチャピン)
関連動画
関連項目
外部リンク
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