サザンオールスターズとは、桑田佳祐をリーダーとする、日本の音楽バンドである。所属事務所はアミューズ、レコード会社はビクターエンタテインメント。
概要
1978年に『勝手にシンドバッド』でメジャーデビュー。日本のポップミュージック界を代表するロックバンドであり、デビュー以来40年以上にわたって日本のポップミュージックのトップを走り続ける、唯一無二のバンドである。幅広い楽曲ジャンルから数多くのヒット曲を生み出しており、老若男女問わず支持されている。
代表曲に『TSUNAMI』『真夏の果実』『いとしのエリー』『涙のキッス』『希望の轍』『LOVE AFFAIR~秘密のデート』など。
ニコニコ動画では、手書きMAD、音MADなどに楽曲を使用するケースが散見される。代表的な動画としては、「東方発情祭」(「エロティカ・セブン」)、「マックにシンドナルド」(「勝手にシンドバッド」)など。
曲調
→桑田佳祐等を参照
メンバー
現メンバー
桑田佳祐
担当楽器はリードボーカル、ギター。愛称は「ケイちゃん」「くわちゃん」「くわっちょ」など。言わずと知れたサザンのリーダーであり、サザンのほぼ全ての楽曲の作詞・作曲を担当している。
生まれ育った日本及び茅ヶ崎市を愛し、且つ世界平和を願っており「茅ヶ崎に生まれて良かったです!!」「日本の国民のみなさんは素敵で優しい人たちだと思う。この国に生まれて良かったなと思います」「日本が、そして世界が平和でありますように」といった数多の名言を残している。
その他、詳細は「桑田佳祐」を参照。
関口和之
担当楽器はベース、コーラス、ボーカル。愛称は「ムクちゃん」。青山学院大に通っていたサザンのメンバー中、学校を卒業したメンバーの一人。
本業の音楽に加え、エッセイスト、小説家、漫画家、イラストレーター、放送作家、俳優、声優などの活動経験もあり、非常にマルチに活躍している。また、ゲーム「桃太郎伝説」、「桃太郎電鉄」シリーズの音楽を担当したほか、アニメ「ここはグリーンウッド」「ぼくのマリー」への楽曲提供も行っている。
ウクレレ愛好家でもあり、東京都目黒区にウクレレショップをオープンしたほか、2000年以降、毎年8月に「UKULELE PICNIC」と称したコンサートを開催しており、ソロでウクレレのアルバムもリリースしている。
松田弘
担当楽器はドラム、コーラス、ボーカル。愛称は「ヒロシ」「ヒロシくん」など。
メンバーからの信頼は厚く、桑田以外のメンバーはサポートメンバーを立て、一時ライブを休養した時期があるが、松田のみ、デビュー以来常にライブには出演し続けている。ちなみに、一時期ライブ期間中に体調不良になったことがあるが、その際はライブが順延された。また、福山雅治など、サザン以外のアーティストのドラマーとしても、精力的に活動している。
読売ジャイアンツの大ファンであり、原辰徳など、巨人のコーチ陣と交流があるほか、Skoop On Somebodyとはプライベートでも親交が深い。また、林原めぐみに楽曲提供をしたこともある。
原由子
担当楽器はキーボード、ボーカル、コーラス。愛称は「ハラボー」。サザンの紅一点であり、桑田の妻でもある。青山学院大に通っていたサザンのメンバー中、関口と同様に学校を卒業したメンバー。
歌唱力には定評があり、一部を除き、サザンのアルバムではそれぞれ1曲ずつ、彼女がリードボーカルを務める楽曲が収録されている。ソロ活動も桑田に次いで精力的に行っており、「恋は、ご多忙申し上げます」「負けるな女の子!」などのヒット曲を持つ。ちなみに、「負けるな女の子!」は「となりの801ちゃんRオーディション」の課題曲にもなった。
キーボードの他に、アコースティック・ギターの演奏に長けており、その腕前は桑田が「俺より上手い」と評すほど。ただし、「指先の硬さが変わってしまい、ピアノと両立できない」との理由で、演奏する機会は非常に少ない。
その他、詳細は「原由子」を参照。
野沢秀行
担当楽器はパーカッション、コーラス。愛称は「毛ガニ」。サザンのメンバーの中では最年長。
当初、野沢はサザンへの加入に難色を示していたが、野沢不在で出場したコンテストで好成績を残し、デビューが決定すると、一転して頻繁にスタジオに顔を出すようになり、「リトル・フィートと同じ編成・人数になるから」という理由で、他のメンバーがしぶしぶ加入を受け入れたという逸話がある。そのため、メンバーから「野沢は準メンバー」「いつの間にか加入していた」などとネタにされることもしばしば。
ソロでは音楽以外の活動が多く、俳優として映画『アトランタ・ブギ』、ドラマ『愛なんていらねぇよ、夏』に出演したほか、レースチーム「Kegani-Racing」を結成、チームオーナー兼監督を務めている。また、桑田のソロシングル『波乗りジョニー』のPVや、桑田が監督を務めた映画『稲村ジェーン』にも出演している。
その他、詳細は「野沢秀行」を参照。
元メンバー
大森隆志
担当楽器はリードギター、ボーカル。愛称は「ター坊」。2001年8月に脱退、以後ソロで活動中。
サザンのデビューのきっかけを作った張本人であり、メンバー同士の確執によって迎えた解散の危機を救うなど、サザンの中でも重要な地位を占めていた。キャラとしては桑田の次に前面に出てくるのが特徴で、KYキャラでもある(現在もブログなどでその片鱗が伺える)。
が、創価学会との関係が囁かれる中、「個人の音楽性を追求したい」との理由で、サザンを脱退した。
しかし、脱退後の2006年、覚せい剤10g、大麻40gを所持していたことが発覚、覚せい剤取締法違反、及び大麻取締法違反の容疑で妻と共に現行犯逮捕され、世間に衝撃を与えた。その後、懲役2年6ヶ月、執行猶予4年が言い渡され、現在は音楽活動を再開している。
活動内容
1970年代
1975年頃に、青山学院大学で活動を開始。現リーダーである桑田を中心に、バンド名やメンバーの変更を繰り返しながら活動を続け、1976年頃に現在の「サザンオールスターズ」名義になり、1977年頃にデビュー時の6人編成でメンバーが固まった。
1978年、シングル『勝手にシンドバッド』で鮮烈なデビューを飾る。当時の楽曲ジャンルに縛られない、強烈な印象を残すも、桑田の「目立ちたがりの芸人です」といった発言や、ジョギングシャツにジョギングパンツ姿での歌唱、「何を言っているか聞き取れない」と言われた歌など、当時はいわゆる「コミックバンド」として評価される面が大きかった。
1979年、3枚目のシングルである『いとしのエリー』をリリースし、大ヒットを記録。このヒットにより、サザンの楽曲ジャンルの幅広さを世に知らしめ、ようやく「本格派の音楽バンド」としての評価を受けるようになる。
1980年代
一方、人気の上昇に比例した多忙な生活はメンバーを苦しめ、中でも桑田は一時期ノイローゼになるほど疲れ切っていたという。そこで、「FIVE ROCK SHOW」と銘打ち、「テレビ出演を一切せず、レコーディングに集中し、5ヶ月間、毎月1枚ずつシングルを出す」と発表。しかし、どれもヒットには至らず、しばらく売上は低迷する。
そんな中、1982年にシングル『チャコの海岸物語』が久々のヒットを記録。直後に桑田と原が結婚を発表する。しかし、年末の紅白歌合戦にて同曲を披露した際、三波春夫の真似をしながら、間奏で「受信料は払いましょう!」「裏番組はビデオで見ましょう!」といった発言をし、このパフォーマンスが物議を醸す。結果、しばらくの間、桑田とNHKの間に確執を生むこととなる。
1985年にアルバム『KAMAKURA』をリリース。この作品を最後に、原の産休、グループとして活動が頂点に達したなどの理由から、一時活動を休止し、メンバーはそれぞれソロ活動を開始する。
1988年、シングル『みんなのうた』で活動を再開。翌1989年には、『さよならベイビー』で初のオリコンシングルチャート1位を獲得する。
1990年代
1990年、桑田が監督を務めた映画『稲村ジェーン』の主題歌『真夏の果実』がロングヒットを記録。この頃から、売上的にはサザンの絶頂期を迎えることになる。
1992年、シングル『シュラバ★ラ★バンバ』『涙のキッス』を2作同時リリースし、オリコン史上初の同一アーティストによる初登場1位2位を記録。 うち、『涙のキッス』は154万枚を売り上げ、サザンのシングルとしては初のミリオンセラーとなった。翌1993年にも、『エロティカ・セブン』が174万枚を売り上げ、シングルとして2作目のミリオンセラーを記録する。
人気絶頂を迎えた中、1994年に再びメンバーがソロ活動に入り、サザンは実質的な活動休止状態となる。この間に、桑田は当時人気絶頂だったMr.Childrenとのコラボシングル『奇跡の地球』を発売、171万枚を売り上げるヒットとなった。
1995年、シングル『マンピーのG★SPOT』で活動を再開。その後も『あなただけを ~Summer Heartbreak~』『愛の言霊 ~Spiritual Message~』の2作でミリオンヒットを記録し、1996年のアルバム『Young Love』は、サザンのオリジナルアルバムとしては最高の249万枚を売り上げた。
しかし、1997年頃から、一般受けしないハードロック調の楽曲を多くリリースするようになり、売上は急速に低迷していく。1998年のベストアルバム『海のYeah!!』こそ、サザンの作品史上最高の346万枚を売り上げたが、直後にリリースされたオリジナルアルバム『さくら』は5作ぶりのミリオン割れとなり、翌1999年のシングル『イエローマン ~星の王子様~』に至っては、『女神達への情歌』以来、18作ぶりに売り上げが10万枚を下回る結果となった(後の再発により、両作品共に10万枚を突破)。
2000年代
2000年、シングル『TSUNAMI』をリリース。第42回日本レコード大賞を受賞したこの曲は、オリコンの歴代シングルランキング3位、CDシングルに限れば1位となる293万枚を売り上げる超絶ヒットを記録。同年に発売したバラードベストアルバム『バラッド3 ~the album of LOVE~』も289万枚のヒットとなり、一気に人気・売上を回復する。
2001年、メンバーの大森が脱退。同時期に個々のソロ活動に入り、サザンは実質的な活動休止状態に入る。この間、桑田はシングル『波乗りジョニー』『白い恋人達』が2作連続でミリオンを記録、翌2002年のソロベストアルバム『TOP OF THE POPS』も168万枚を売り上げるとなど、ヒット作を連発した。
25周年にあたる2003年、デビューシングル『勝手にシンドバッド』を「胸騒ぎのスペシャルボックス」と銘打って再発売し、再発としては異例のオリコンシングルチャート初登場1位を獲得。直後、『涙の海で抱かれたい ~SEA OF LOVE~』で活動を再開し、その後もスマッシュヒットを連発。2007年に桑田のソロ活動開始が発表され、実質的な活動休止状態となる。
2008年、デビュー30周年を目前にして、突然の無期限活動休止を発表する。30周年記念シングル『I AM YOUR SINGER』をリリースし、活動休止前最後のライブとなる「サザンオールスターズ 『真夏の大感謝祭』 30周年記念LIVE」を開催したのち、完全な活動休止状態となった。
2010年代
2010年7月、桑田に初期の食道がんが見つかり、治療に専念するため一切の活動を休止。約1ヶ月で退院するも、その後もソロ活動が続いていたため、無期限休止と言いつつ、実は解散宣言だったのではないかと心配する声も目立つようになっていた。
デビューから35周年を迎えた2013年3月、桑田が病気以外でめったに休むことのなかったレギュラー出演中のラジオを、年度末調整と称して出演休止。これがサザン復活フラグではないかと期待されていたが、ラジオ再開後は仕事がないなどとぼやいてはぐらかす日々が続く。
そして2013年6月25日、正式にサザン活動再開が発表され、号外新聞が配られるなど大きな話題を呼ぶ。
同時に、youtubeにて公式チャンネルも開設。復活宣言とあわせて、『涙の海で抱かれたい』以降(5人編成になって以後)のMVが、ショートバージョンだけながらも公開されている。
シングルでは「ピースとハイライト」「東京VICTORY」、アルバムでは『葡萄』がヒット。2年程ソロ活動を挟んだのち活動を再開し「闘う戦士たちへ愛を込めて」「壮年JUMP」「愛はスローにちょっとずつ」などヒット曲を量産した。
2018年12月31日には平成最後の紅白歌合戦の「究極の大トリ」を飾り、「希望の轍」と「勝手にシンドバッド」を熱唱。北島三郎や松任谷由実らが目の前にいる中で会場を盛り上げた。
2020年代
2020年、コロナ禍の世の中を元気にしようと、デビュー記念日と大晦日に横浜アリーナで無観客配信ライブを開催し、多くの視聴者に感動を届けた。
2023年にデビュー45周年を迎えることに合わせ、3ヶ月連続で配信シングルをリリース、また10年ぶりとなる故郷での野外ライブ『茅ヶ崎ライブ2023』を開催した。
ディスコグラフィー
表記は公式サイトのディスコグラフィーに準拠する。順位・売上はオリコン調べ。
シングル
アルバム
オリジナルアルバム
熱い胸さわぎ
最高16位 売上10.1万枚
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10ナンバーズ・からっと
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NUDE MAN
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綺麗
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7th Album
人気者で行こう
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8th Album
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9th Album
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世に万葉の花が咲くなり
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最高-位 売上--.-万枚
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ベストアルバム
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関連動画
関連コミュニティ
関連項目
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- 0pt