| 安土城 日本100名城 51 |
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| 別名 | なし |
| 城郭構造 | 山城 |
| 天守構造 | 望楼型地上6階地下1階 |
| 築城主 | 織田信長 |
| 築城年 | 1576年(天正4年) |
| 廃城年 | 1585年(天正13年) |
安土城とは、滋賀県近江八幡市安土町にあった城である。城址は国の特別史跡で琵琶湖国定公園第1種特別地域。
概要
1576年、織田信長が天下布武を象徴する城として築城、居城とした。
琵琶湖東岸のこの地には元々、六角氏の居城であった観音寺城が既に存在していた。
しかし信長は山城である観音寺城を嫌い、利便性の高い向かいの安土山で居城を新造したのである。
※現在は干拓により周りが陸地に囲まれているが当時の安土山は琵琶湖の湾に突き出した半島であった。
そのため安土城は湖城としての側面も持っている。
総石垣造りで正面に100mも真っ直ぐ続く石段を配してその左右に羽柴秀吉、前田利家ら重臣の住居を置いたり、平安京の清涼殿に酷似した壮大な天主を設けたりするなど、立地も含め戦闘拠点ではなく政治の中枢としての様相が色濃く表れた居城である。
しかし本能寺の変に伴って城主の信長が暗殺され、その折に何らかの原因によって天守を含む中枢部分が焼失。
その後しばらくして天下人となった豊臣秀吉は甥の秀次を後継者として、近隣に八幡山城を築城させて居城とさせ安土城は廃城となった。築城を開始してから廃城までわずか10年であった。
城址は長年にわたり発掘調査と整備が行われている。
平成元年から20年もの歳月をかけた発掘が実施され、現在見学できる石段などもその際に復元されている。
しかし長年の調査でもあまりの規模の大きさ故に予算等の問題でまだ安土山の南側20%しか発掘調査を実施できておらず、焼失時に天主が倒壊した北側の調査が待たれていた。
令和6年より再び20年計画で発掘が再開されているが、全容の解明には50年以上かかるとも言われており、その規模の大きさにより未だ多くの謎を秘めたままの城趾となっている。
現在は有料だが安土山の南側を山頂の天主跡まで登って見学することができる。
天守(天主)
様々な史料をもとに長年研究が続けられており、研究者によって復元案が発表されているが、天主の確たる様相を示す史料は見つかっておらずその姿は未だ不明な部分が多い。信長が狩野永徳に描かせた安土城之図屏風がその姿を知る決め手となると期待されるが、ローマ教皇庁に保管されたという記録は残っているものの行方不明のままである。
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