社説:特急転覆 安全管理で浮ついてないか
(略)
強い横風が原因、とみられている。
運転士も「突風で車体がふわっと浮いた」と話しているという。
雪国では冬の嵐に見舞われ、台風並みの強い風が吹き荒れることが珍しくない。
その風にあおられたらしい。
現場付近の風速は毎秒約20メートルで減速規制するほどでなかったというが、平時と同じ時速約100キロで最上川の橋梁(きょうりょう)を渡ったことに問題はなかったか。
突風とは言いながら、風の息づかいを感じていれば、事前に気配があったはずだ。
暴風雪警報下、日本海沿いに走るのだから、運行には慎重であってほしかった。風速25メートルで速度規制、30メートルで運転中止--というマニュアルに違反していない、との説明にも納得しがたいものがある。
設置場所が限られた風速計に頼っているだけでは、危険を察知できはしない。
五感を鋭敏にして安全を確認するのが、プロの鉄道マンらの仕事というものだ。
しかも86年の山陰線余部鉄橋事故などを引き合いにするまでもなく、強風時の橋梁が危ないことは鉄道関係者の常識だ。
ましてや「いなほ」は秋田県の雄物川では風速25メートル以上だからと徐行したという。
現場では計測値が5メートル低いと安心していたのなら、しゃくし定規な話ではないか。(後略)
概要
2005年12月25日に起きたJR羽越本線脱線事故に対し、翌々日発行の毎日新聞が社説でJR東日本と運転士を非科学的な精神論で罵る内容を掲載したことに由来する。
非科学的かつ無茶苦茶な論理で当事者を非難したこの記事は、ネットの内外を問わず非難を浴びることになった。
これ以降、「風の息づかい」は毎日新聞の酷すぎる報道のひとつとして数えられることになった。
JR羽越本線脱線事故
羽越本線はもちろんのこと、強風でしょっちゅう運転見合わせ・運休が発生する鉄道路線が増えたきっかけになった事故。
2005年12月25日19時14分、JR東日本の上り特急いなほ14号(485系3000番台6両編成)が北余目駅~砂越駅間の最上川河畔で脱線転覆、養豚場に突入し先頭車両が大破、乗客5人が死亡する大事故が発生した。
事故原因は突発的に発生したダウンバーストもしくは竜巻に車両が横から押されたことだが、事故当時付近に設置されていた風速計は風速20m/s程度と台風以下の風しか計測されておらず、JR東日本も事故を予測することは不可能だった。これをきっかけに非常に狭い範囲で起きるダウンバーストの危険性が認識されるようになり、狭い範囲で起きる気象現象のダウンバースト発生の兆候を検知できるドップラーレーダーの配備が進められることになった。
なお運転士は事故当時、独自の判断で通常120km/hで走行する区間を100~105km/h程度にまで減速して運行していた。また事故後、自身も重傷を負いながらも乗客を優先して救急車に乗せ救助活動を行い、美談として報じられた。
風の息づかい
このような中で掲載されたのが、毎日新聞の27日の運転士とJR東日本を一方的に非難する冒頭の社説だった。
「風の息づかいを感じていれば、事前に気配があったはずだ」などという科学的根拠のない精神論で運転士を攻撃した毎日新聞は当然批判を浴びた。先輩のベテラン運転士すらも「事故を回避できたとは思えない」と口を揃えるような事故であり、事故車両に乗務していたのはまだ経験の浅い乗務員(当時:運転士29歳,車掌26歳)だが自己判断で徐行をしていたなどむしろよくやっていたほうだと言える。
同じことはJR東日本もいえ、この事故以前はダウンバーストという気象現象自体の危険性が認知されておらず、JR東日本を責める毎日新聞の態度は悪質な後出しジャンケンだと非難された。
しかし毎日新聞は一応の謝罪こそ行ったが、その後もこの問題で自社をたびたび擁護する記事を掲載した。燃料が次々に投下され当時の2ちゃんねるは祭りになり、その後しばらく毎日新聞を指す一種の定型として「風の息づかいを~」が定着した。
ここまで頭の悪い記事を発信してしまったのは、同年に100名を超える死者を出したJR福知山線脱線事故の印象が生々しく世論に残っていた頃であり、鉄道会社バッシングの風潮がにわかに漂っていたことが背景にある。
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