PCR(英:Polymerase Chain Reaction、ポリメラーゼ連鎖反応)とは、DNAを増幅させるための原理である。
また、この方法を用いてDNAを増幅させる手法のことをPCR法といい、分子遺伝学の研究のみならず、他の学問にも広く応用される技術である。
発見と黎明
現在でこそ広く利用されているPCRであるが、その源流はあまりにも突発的なものであった。
PCRを発見したのは、シータス社というバイオテクノロジー企業の一研究員であったキャリー・マリスという生化学者であるが、彼は車でガールフレンドと夜道をドライブしている最中に、現在のPCRのアイデアを頭のなかで組み上げたのである。その発見の興奮冷めやらぬ彼は、ガールフレンドとのドライブもそっちのけに、車を路肩に寄せて化学式を書き留めた。彼は4度の結婚(=3回の離婚)を経験しているのだが、その理由が分かるようなエピソードである。
そこで発見されたものこそが、オリゴヌクレオチドとDNAポリメラーゼを用いてDNAの合成反応を繰り返すことにより、核酸の一定領域を増幅させるというものであった。ちなみに、この方法について最初にマリスは『polymerase-catalyzed chain reaction(ポリメラーゼ触媒連鎖反応)』という名をつけている。
その後、マリスは1983年12月にこの原理を使った実験を初めて成功させる。まさしく分子生物学を揺るがすような発明であり、NatureやScienceなどの著名な科学雑誌へと論文として投稿したが、ことごとくリジェクトされてしまう。
その一方で、PCR法自体はシータス社の同僚によって、鎌状赤血球症という遺伝性の病気を調べるための手法として応用された。この応用方法は1985年にサイエンス誌に報告され、オリジナル論文よりも先に世界中の科学者の注目を集めることになる。オリジナル論文が科学雑誌に掲載されたのは、それから2年遅れた1987年の事だった。
方法の確立、そしてノーベル賞
当初のPCR法では、大腸菌から抽出したDNAポリメラーゼⅠ(=DNA合成酵素)を用い、活性を除去したクレノー断片というものを用いて反応を起こしていた。しかし、PCR法の過程の中で、二本鎖DNAを変性させるために温度上昇が必要となる。その際に酵素であるDNAポリメラーゼが失活してしまうため、各手順ごとに手作業でこの酵素を加える必要があった。
そこに救世主のごとく登場したのが、海底深くに存在し、高温の水が噴き出す熱水鉱床付近に生息する好熱性の細菌であった。この細菌が持つDNAポリメラーゼは、持ち主の生息環境が故に耐熱性を獲得しており、変性のための温度上昇にも失活せずに耐えるのである。この発見により、手作業での酵素付加が不必要となった。この結果、PCR法は簡便化・自動化していくことになり、幅広く応用することが出来る手法として発展していったのである。
この業績を讃え、1993年にキャリー・マリスはノーベル化学賞を受賞することになった。これは、彼が最初の実験を成功させてから10年後のことであった。
原理
そもそも2本鎖のDNAは、水溶液中で高温になると変性し、1本鎖のDNA2本に分かれてしまう。この溶液を冷却すると、相補的なDNAが互いに結合し、再び2本鎖になる。これをアニーリングという。この時、急速冷却を行うことによって、長いDNA同士が再結合しにくく、短いDNA断片が結合しやすい状態になる。
PCR法では、増幅しようとするDNAおよび、その両端の配列に相補的な一対のDNAプライマーと耐熱性DNAポリメラーゼを用いる。ちなみにプライマーとは、DNAを伸長させるために必要な短い核酸の断片であり、これがある場所からDNAが3'末端へと伸長する。なお、PCR法では化学合成した短いオリゴヌクレオチドが使われる。
これをあらかじめ溶液中に混合しておき、プライマーがDNAよりも圧倒的に多い状況にしておく。すると、DNAとプライマーの結合がDNA同士の結合よりも優先的に行われるようになり、長い1本鎖DNAの一部にプライマーが結合した物ができる。この状態のままDNAポリメラーゼを働かせることによって、プライマーが結合した部分が起点になり、その地点から相補的なDNAが合成される。
その後、同じサイクルを繰り返すことにより、指数関数的に目的となるDNAの断片を増やすことが出来る。例えば20サイクル繰り返すと、2の20乗=約100万倍に増幅することが出来る。ただし、実際には数百万倍にまで増幅可能。
手順
まず準備として、実験に用いるプライマーを合成する。このプライマーの設計する際のポイントは数点ある。
3'側の末端が正確にわかっていること、両側のプライマーの値が同じ程度であること、そしてプライマー自身がヘアピンのような高次構造を取らず、単純な構造を取るものでなければならない。
その後、反応液を調整する。必要な溶液は以下のとおり。
これらを混合した溶液をPCR装置にセットし、以下のサイクルを繰り返す。
通常は20~30サイクルを繰り返すことが多い。
- 反応液を94~96℃程度に加熱し、2本鎖DNAを変性させて1本鎖にする。
- 60℃程度に急速冷却し、1本鎖DNAとプライマーをアニーリングする。
- プライマーは分離しないが、DNAポリメラーゼは活性化する温度にする。実験目的によって温度帯に幅があるが、主に設定されるのは60~72℃。
PCRに影響する因子
PCRは簡便にDNAを増幅させることができるが、反応条件によって影響を受けやすい。そのため、行う実験の内容によって反応の条件を最適化することが推奨される。現在一般的に用いられているTaq DNAポリメラーゼを用いたPCRにおいて、影響する因子は以下のとおり。
- 酵素の濃度
濃度が高過ぎると非特異的産物が出現する。かと言って濃度が低すぎると増幅が十分にできない。 - dNTPの濃度
濃度が同一でないと、誤った取り込みによるエラーが発生する。 - マグネシウムイオンの濃度
- プライマー
変性温度が高いほど特異性や増幅度は高くなるが、逆にTaq DNAポリメラーゼの活性が低下してしまう。 - 温度
- サイクル数
多ければ増幅度は高くなるが、非特異的産物も増加する。40サイクルを越えないことが望ましい。 - その他
pHや塩濃度、ゼラチンや非イオン性界面活性剤の存在によっても影響を受けるため注意が必要。
PCR法の応用
PCR法は、それ単体だけではなく、そこから応用的に発展した手法も多い。その一部を紹介する。
- 逆転写ポリメラーゼ連鎖反応法(RT-PCR)
ウイルスの感染を証明する際に用いられる。半永久的にmRNA配列を保存する目的もある。 - リアルタイムPCR
PCR産物の増幅を経時測定する。医療の分野で、ウイルスの迅速な定量を可能にした。 - DNA型鑑定
現場に残された僅かな痕跡から犯人の特定をするなど、事件の捜査に用いられる。考古学に応用される例も。
高校・大学におけるPCRの扱い
主に高等学校では、生物ⅡにおいてPCR法が扱われるため、中堅校から生物分野の入試問題としてPCR法を問うてくる学校は多い。
加えて、生物学を扱う学科では、必修となっている生物学基礎の講義、あるいは遺伝学の講義などで確実に扱われる題材である。遺伝学関連の独特な難解さもあり、高校で物理を選択していた学生たちは理論や概説で躓くことが多い。できるだけ早めに勉強しておいて損はないだろう。
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