アップダウンクイズ 単語

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アップダウンクイズ

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ハワイへのご招待。10問正解して、さあ、ハワイへ行きましょう!」

アップダウンクイズとは、1963年昭和38年1985年昭和60年)に放送された、毎日放送製作伝説クイズ番組である。
ロート製薬一社提供番組日本航空協賛。

概要

解答者6人が1問正解する毎に上昇するゴンドラに乗り、10問連続で正解すると獲得できるハワイ旅行してクイズに答える正統派クイズ番組。放送開始当初は海外旅行は一般大衆にとっては手の届かないものであり、当初のキャッチコピーも「ハワイへ行きましょう!」としていたほどである。

芸能人大会もあったが、基本的に視聴者参加番組。
クイズグランプリ」(フジテレビ)、「クイズタイムショック」(テレビ朝日)、「アメリカ横断ウルトラクイズ」(日本テレビ)、「パネルクイズ アタック25」(朝日放送)などと並んで強クイズマニアしのぎを削った名物番組である。

1975年昭和50年3月まではNETテレビ(現:テレビ朝日)系列で放送された(一部地域を除く)が、1975年昭和50年4月以降はTBSテレビ系列で放送された。
これは、製作局の毎日放送NET系からTBS系ネットチェンジしたために起こった現象である。(詳しくは毎日放送の項を参照)

基本的に押しクイズ1問正解ゴンドラ1段アップゲストシルエットヒントから推理して当てる「シルエットクイズ」では正解した際のヒント数に応じて13段アップ小池時代にあったゲストに関するエピソードゲスト自らが読み上げる「ラッキークイズ」では2段アップとなる(西郷会時代もゲストからの出題はあったが1段階アップに変更)。しかし1問でも不正解するとどの位置からも一番下まで落とされ、2問不正解すると失格となる。意外に厳しいルール失格者はボタンを押さなかった問題に限り解答権が与えられ、正解できればゴンドラに復帰できる。なお、「ラッキークイズ」は長年ゲストインタビュー後に行われていたが、小池会時代末期は時間いっぱいを知らせるチャイムが鳴って出題される最終問題に変更された。

見事ゴンドラが10段に到達すると日本航空タラップがコンドラに設置され、アシスタントの手によりゴンドラから出て吹雪が舞う中タラップを降りる。日本航空のCAからハワイ旅行と賞金10万円の録、鶴丸マーク入りの旅行カバンが手渡される。
この番組では時間の許す限りハワイ旅行獲得者を何人でも出すことが可だった。実際の放送では1回の放送で13人ほどで、ゼロという回もあった。

1964年昭和39年)から1983年昭和58年)まで2代目会を務めた小池毎日放送アナウンサー:当時、なお初代会者は俳優市村俊幸)と、1972年昭和47年)から番組終了まで問題読みを務めた佐々木美絵毎日放送アナウンサー:当時)の名物コンビによる、スピーディーながらも流れるような美しいアナウンス術も非常にしまれた。

1983年昭和58年10月の放送開始20周年を機にゴンドラセットを近未来的なイメージスタイルへ一新、タイトルを「新アップダウンクイズ」に改め、俳優西郷会を務める形にリニューアル。「ラッキークイズ」に代わり、ラスト5問は各ゴンドラ背景に設置された帯状の電飾を利用した「シンクロクイズ」を導入、奇数席→偶数席の順に電飾が点し、自席の電飾が点した時に解答権を取って正解すれば2段階アップ、消時は1段階アップという新機軸が取り入れられた。一方、タイトルの「新」は半年で取れ、リニューアルを機に取りやめた2問不正解失格退場のルールも半年で元に戻されるなど若干の迷走も見られた。

成績に応じて解答席が上下するというシステムテレビ放送の先輩にもない画期的なものであり、1問不正解で0点に戻される単純かつスリリングなルールは長年しまれていたが、一方で放送開始当初には「」だったハワイ旅行1980年代には庶民の手の届く範囲のものとなったのに加え、ロート製薬1社提供のため製会社提供番組の紳士協定により、優勝賞金は10万円のまま(中間の賞金は途中で増額された)で、懸賞的な魅力は薄れていたことから、1984年昭和59年)から1985年昭和60年)までは3週勝ち抜き制が導入され、最初の週で10問正解すれば1人のハワイ旅行、2週は「チャレンジ2」として再出場、ここでも10問正解すればハワイ旅行はペアにグレードアップ、最後の「チャレンジ3」となる3週でも10問正解すれば旅行はペアでのハワイアメリカ西海旅行になった。しかし、このルール末期は撤され、元の毎回完結の形式に戻された。

1983年昭和58年3月、それまで本番組に対抗するかのようにクイズ番組をぶつけては短命に終わるを繰り返してきたライバル局の朝日放送が、切り札として日曜午前のローカル番組として1980年昭和55年)にスタートし好評を得ていた「世界一双六ゲーム」を全ネットに格上げし本番組と同一時間帯にぶつける。同じ大阪発の番組ながら正統派の「アップダウンクイズ」に対し、「世界一双六ゲーム」は同じ知識を競う視聴者参加クイズながらゲーム性が強く、全ネットでもお構いなしに大阪弁を交えた強な話術を操る浩明アナウンサー会という個性がまったく違う番組がぶつかり、「アップダウンクイズ」の方に陰りが見え始める。そして1985年昭和60年9月、視聴率低下と日本航空123便墜落事故煽りによって22年に及んだ番組の歴史ピリオドが打たれた。
 なお、日機事故後は最終回まで日本航空が協賛である旨は一伏せられ、事故後の収録分は10問正解時に回答者が下りる時に登場するタラップに描かれていた日本航の鶴丸マークは消され、名物だった日本航空のスチュワーデスから鶴丸マーク入りの航空バックが渡されるセレモニーもなくなり、単に西目録を渡すだけになっていた。

後番組は引き続き視聴者参加を採用した連想系クイズ番組「クイズ!!ひらめパスワード」となったが、半年後の1986年昭和61年3月をもって視聴者参加から芸能人が挑戦する形式に変更、一方「世界一双六ゲーム」も同時期に終了し、結果的に視聴者参加クイズ番組が共倒れすることとなった。

終了後

 現在でも、その非常に画面映えするシステムからか、頻繁にパロディの対象なっている。また、司者が西郷輝変わった番組20年目1983年(昭和58年)に、ゴンドラセットを総額1000万円とも言われる巨費で一から作り直したものの、それから2年ほどで番組が終了してしまったため、ゴンドラセットはその後長く収録場所の千里丘放送センターで眠ることとなった。しかし、あまりに使用期間が短かったためか、ローカル放送の開局×周年記念番組や単発企画などでときおりそのセットを蘇らせていた後に使用したのは2001年(平成13年)9月の特での企画で番組終了から実に16年近く経過していた。また、2006年(平成18年)頃までは倉庫に現存ていたことがweb上の記事で確認されている。2007年(平成19年)に千里丘放送センターが閉鎖、そ後再開発により大半の放送関連施設整理されており、現存しているかは不明。

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