イゼルローン共和政府とは、「銀河英雄伝説」に登場する架空の勢力である。
『銀河英雄伝説』作中における「ヤン艦隊」一党の最後の形態で、宇宙暦800年にイゼルローン要塞およびイゼルローン回廊を勢力圏として成立した民主共和主義勢力。
同年6月のヤン・ウェンリー暗殺事件をうけて瓦解したエル・ファシル独立政府のあとをうけ、旧ヤン艦隊を指導層としてあらたに樹立された政府で、同独立政府との混同を避けるため、宇宙暦800年8月8日の樹立当初より「八月の新政府(ニュー・ガバメント・イン・オーガスタ)」あるいは「八月政府」の異称がつけられた。
成立にあたっては、対立するローエングラム朝銀河帝国政府との関係の完全な断裂を回避し、また組織形態の煩雑化を避けるため、「共和国」の名称は使用しないこととされた。最終的に選ばれた「イゼルローン共和政府」の名はカスパー・リンツ大佐の発案によるもので、わざわざ大げさな名をつける意味がないこと、政府そのものも永久的なものにならないであろうことが理由であった。
政治上の代表は主席を称し、成立時にはフレデリカ・グリーンヒル・ヤンが就任した。
政府機構としては、主席のもとに官房、外交・情報、軍事、財政・経済、工部、法制度、内政の七部局がおかれた。工部局は支配下にある唯一の居住地域であるイゼルローン要塞の非軍事的ハードウェアおよびエネルギーの管理を業務とするもので、ローエングラム朝の工部省にならって設置されたものである。
成立当時の総人口は94万4087名。内訳は男性61万2906名、女性33万1181名と偏りがあり、また女性のうち単身者は半数以下であった。この不均衡は、イゼルローン要塞に孤立したまま恒久的な政治体制を建設する場合、いずれ問題化するであろうと考えられていた。成立後、旧同盟領からの亡命などで僅かな人口増があったと考えられるが、シヴァ星域会戦においては20万人余にのぼる戦死者が生じている。
イゼルローン共和政府の軍事戦力は「イゼルローン革命軍」を称し、事実上の共和政府ナンバーツーであった革命軍司令官が指揮した。
成立当時のイゼルローン革命軍は、司令官ユリアン・ミンツ中尉の指揮下で、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将、ダスティ・アッテンボロー中将、マリノ准将らが分艦隊指揮をとり、オリビエ・ポプラン中佐が空戦隊を指揮した。また軍事局長には、軍政の専門家であるキャゼルヌが就任した。
動員可能だった艦隊戦力は第十一次イゼルローン要塞攻防戦当時で艦艇10000隻未満、シヴァ星域会戦への動員兵力が艦艇9800隻であったが、同会戦当時の兵員は本来100万名を必要とするところ56万7200名という少数でしかなく、約1000隻の艦艇を無人化してなお大幅な兵員不足の状態にあった。
いっぽう、要塞防御指揮官および陸戦の指揮はワルター・フォン・シェーンコップ中将がつとめた。イゼルローン要塞そのものが他に比類のないきわめて強大な軍事要塞であり、陸戦部隊としてはリンツ大佐ら“薔薇の騎士”連隊が中核的存在であった。
宇宙暦799年8月に自由惑星同盟からの分離独立を宣言したエル・ファシル独立政府は、ヤン・ウェンリー元帥ひきいる“ヤン不正規隊”の合流、翌800年1月の第10次イゼルローン要塞攻防戦におけるイゼルローン奪取を経て、エル・ファシル星系とイゼルローン要塞をむすぶ“解放回廊”の成立をみるに至った。
しかし同年4~5月の“回廊の戦い”ののち、6月1日に発生したヤン・ウェンリー暗殺事件でフランチェシク・ロムスキー主席とヤンの双方が死亡し、エル・ファシル独立政府は政治的・軍事的双方の指導者を失うこととなる。この情勢下において、なお民主共和主義の理念をかかげつづけるため、アレックス・キャゼルヌ中将、ワルター・フォン・シェーンコップ中将、ダスティ・アッテンボロー中将らヤン艦隊幹部が中核となって新たな指導層の形成が企図された。
ロムスキー主席個人の熱意に支えられていたエル・ファシル独立政府の残余委員は早々に脱落しており、6月6日にはヤン・ウェンリー死去の公表にあわせて政府の解散を宣言した。かわって、イゼルローン要塞を領域とする新政府の成立がはかられることとなる。
新政府の政治的代表には、フレデリカ・グリーンヒル・ヤンが就任した。ヤン・ウェンリー未亡人として共和主義勢力のシンパシイを期待できるのみならず、故ヤン・ウェンリーが生前一度たりとも政治的代表の地位を求めたことがなく、むしろ忌避し続けてきたことが、かえって正当性をあたえることになると考えられたためであった。
軍事的指導者としては、ユリアン・ミンツ中尉が選ばれた。同盟軍時代の階級は低く、年齢もいまだ20歳に満たなかったが、ヤン・ウェンリーの被保護者であり用兵学上の弟子であった事実が重視され、ユリアン当人をふくむ旧ヤン艦隊幹部が責任を分担する集団指導体制の“顔”の役を担当したものであった。ただし、幹部たちはあくまでユリアンを上位者とし、その指導性を尊重する姿勢を明確にしめしている。ユリアンは新政府成立前から革命軍司令官代行としてヤンの死の公表と帝国軍との応対にあたり、成立後は革命軍司令官として戦闘指揮をとることとなる。
ヤンの死は要塞全体に動揺と先行きへの不安をもたらし、新体制に対する不平分子も少なからず生じた。当時のイゼルローンにそのような潜在的な危険因子を許容する余裕はなかったため、旧ヤン艦隊参謀長ムライ中将が自ら脱落者を先導するかたちで、自由な離脱が認められている。彼らが要塞を離れるとともに強力な核を持つ少数精鋭主義による新組織づくりが開始され、各部局の設置など新たな政府の機構が決定された。
そして宇宙暦800年8月8日、イゼルローン要塞においてイゼルローン共和政府の成立が宣言される。当時の人口約94万人は、全人類のわずかに1/42500にすぎなかった。
“回廊の戦い”当時イゼルローン回廊以外の全宇宙は帝国に統一され、すでに回廊と要塞は戦略的価値を失っていたが、さらに重なったヤンの暗殺死によって、皇帝ラインハルトはもはやイゼルローンに積極進攻すべき理由をもたなくなった。戦後、旧同盟領に新設された新領土総督府の対イゼルローン施策も、麾下艦艇の妄動をおさえ、回廊の出入口を厳に封鎖する程度の対応にとどまっている。イゼルローン側もこの状況を把握しており、回廊をはさんで政治的・軍事的な情勢の変動が生じ、要塞に改めて戦略的価値が生じるまで、数十年レベルの長期スパンで待つ姿勢をとった。
しかし、はやくも同年11月、新領土においてロイエンタール元帥叛逆事件が勃発。フェザーンからの討伐軍と対峙することとなったオスカー・フォン・ロイエンタール元帥は、ムライ中将を選んでイゼルローンへと送り、旧同盟領全域の返還と引き換えに帝国軍の回廊通過阻止を要請する。しかしイゼルローン側は、帝国中央の内戦に巻き込まれる事態を避け、むしろ帝国政府との修好をはかるために要請を拒否。かえって旧帝国本土から討伐軍として進撃するメックリンガー艦隊に回廊の通過を認める決断を下した。
この結果、第二次ランテマリオ会戦において討伐軍と交戦中だったロイエンタール軍は撤退を余儀なくされることとなり、共和政府の判断が討伐行の早期完了に大きく寄与することとなる。
ロイエンタール叛乱における共和政府の宥和姿勢は、旧同盟領に残る共和主義者たちに、イゼルローンだけの存続をはかり反帝国運動を見捨てるつもりではないか、という不信感をもたらした。この動きを受けた共和政府は、民主共和主義の守護をあらためて全宇宙に主張し、共和主義者たちを鼓舞するために、帝国軍と一戦交えることを決断する。こうして宇宙暦801年2月に生じた軍事衝突(第十一次イゼルローン要塞攻防戦)はイゼルローン軍の大勝利に終わり、ハイネセンなど旧同盟領の市民感情を大きく盛り上げた。
当時のハイネセンは惑星ハイネセン動乱のさなかにあった。対処に赴任した軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタイン元帥は“オーベルシュタインの草刈り”によって5000名以上の旧同盟要人を逮捕すると、4月10日には彼らを人質として共和政府・革命軍の代表者にハイネセンへの出頭を要求する。共和政府幹部はやむなく要塞を出立したが、ハイネセンにおける“血と炎の四月一六日”事件の報を受けて反転した。
この事態に帝国では皇帝ラインハルトが直接事態収拾に乗り出し、5月上旬にはナイトハルト・ミュラー上級大将とユリアン(共和政府側全権)の間で外交交渉がもたれて“草刈り”の後処理が行われるなど、両者の間に対話と交渉の気運が高まった。しかし同月、イゼルローンへの亡命を企図した貨物船“新世紀”号が回廊出入口で故障し、イゼルローンに救援を求める事件が発生する。
“新世紀”号の救援要請を帝国軍も探知した結果、両軍が次第に戦力を増やしながら対峙する事態が生じ、5月末には皇帝ラインハルト率いる帝国軍主力とイゼルローン革命軍の総力との全面衝突、シヴァ星域会戦へと発展。しかし戦闘終盤、陸戦部隊とともに帝国軍総旗艦<ブリュンヒルト>に接舷突入したユリアンが皇帝ラインハルトのもとに到達したことで、6月1日をもって両軍に停戦と和平が成立した。
戦後、ユリアンはフレデリカの承認と委任のもと、ハイネセンへ戻る帝国軍に革命軍艦隊ともども同行する。そして皇帝ラインハルトに対し、イゼルローン要塞の明け渡しと引き換えにバーラト星系に内政自主権を認めること、そして帝国に立憲政治を取り入れることを提案した。帝国と共存するには過大な戦力でしかないイゼルローン要塞を放棄するかわりにバーラト星系を民主共和政治のもとにとりもどし、さらには長期的に帝国の開明化を働きかけていく構想であった。
この提案のうち前者はすぐに完全な合意にいたり、ハイネセンに駐留する革命軍艦隊もマリノ准将の管理のもとで軍組織の解体に着手する。後者は折からの皇帝ラインハルトの死病のため、後事を託された皇后ヒルデガルドとの交渉に持ち越しというかたちで保留となった。皇帝ラインハルトは同年7月26日に崩御するが、直後には合意事項履行の確約が改めて取り交わされた。
イゼルローン共和政府の成立にあたってフレデリカ・グリーンヒル・ヤンを政治指導者に、ユリアン・ミンツを軍事指導者に配したことは、当事者からしてみればほぼ唯一の選択肢を選んだ結果であったが、彼ら自身も承知していたように、当事者以外からの批判と非難は避けがたかった。一部の歴史家は、この体制を「孤児と未亡人による連立政権」と評して嘲笑している。
あらゆる意味でエル・ファシル独立政府の中核であったヤン・ウェンリーの死後、新政府への移行にあたって権力闘争が一切なかったことについては、後世の歴史家による「ヤン・ウェンリー一党の奇跡の真価」という評もあれば、同時代からの不毛の辺境にあって未亡人と孤児が荊冠を押しつけられただけのこと、という嘲弄もあった。ただし、「辺境」という評価についてユリアンは、人類社会全体の辺境だからこそ最後に残る異端者たちの聖地になりえるのだと、逆に誇らしくさえ感じていた。
掲示板
33 ななしのよっしん
2025/06/06(金) 18:54:31 ID: vsRcg7cZ7B
イゼルローン共和政府は軍閥化したヤン艦隊による軍事独裁政権だと思う
ヤンが帝国と戦うにあたって掲げていた最低限の建前すらも捨ててしまった存在であると思う
そしてヤンの身内のユリアンとフレデリカすらもヤンの理想を何一つ理解していなかったという喜劇の証明でもある
34 ななしのよっしん
2025/11/13(木) 15:51:53 ID: taRD4xL8J/
選挙やってるやってないに関しちゃ今のウクライナみたいな状態では?
ウクライナも戒厳令敷いて選挙を停止し、事実上の戦時独裁体制下にありながら「独裁者から民主主義と自由を守る」ってていでロシアと戦ってるし
35 ななしのよっしん
2025/11/16(日) 21:33:51 ID: ChuNS1gqky
>>31
自治国として相互非干渉が保証されてればドイツやイタリアの前近代共和国・自由都市みたいに共和制の元首が国王や皇帝の臣下になるのも選択肢には入るんじゃね
イギリス連邦内にはインドとかも入ってるし(こっちは独自の大統領がいるから独立性がより強いけど)
あとフィンランド化か
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/06(土) 01:00
最終更新:2025/12/06(土) 01:00
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