ロイエンタール元帥叛逆事件 単語

ロイエンタールゲンスイハンギャクジケン

5.2千文字の記事
銀河英雄伝説戦闘
ロイエンタール元帥叛逆事件
基本情報
時期 : 新帝国2年 11月16日12月16日
地点 銀河帝国新領土
結果 銀河帝国軍(叛乱討伐軍)の勝利
詳細情報
交戦勢力
ローエングラム朝銀河帝国 ロイエンタール
指揮官
宇宙艦隊長官
ウォルフガング・ミッターマイヤー元帥
元新領土総督・元帥
オスカー・フォン・ロイエンタール
動員兵力
ミッターマイヤー艦隊
黒色騎兵艦隊
ワーレン艦隊
(合計42770隻)
メックリンガー艦隊
(11900隻)
銀河帝国新領土治安
 グリルパルツァー艦隊
 クナップシュタイン艦隊
(艦艇最大35800隻)
関連勢力
ロイエンタール元帥叛逆事件
ウルヴァシー事件 - 第二次ランテマリオ会戦
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回廊の戦い
ヤン・ウェンリー暗殺事件
第十一次イゼルローン要塞攻防戦

ロイエンタール元帥叛逆事件とは、「銀河英雄伝説」の戦役の一つである。惑星ハイネセン動乱新領土戦役三年兵乱とも。

概要

帝国2年10月7日に発生した皇帝暗殺未遂事件であるウルヴァシー事件を発端として、新領土総督オスカー・フォン・ロイエンタール元帥ローエングラム朝銀河帝国に対し叛乱を起こした事件である。11月末から12月初頭にかけて繰り広げられた第二次ランテマリオ会戦と、その後のロイエンタールの敗死によって終結した。

発端となったウルヴァシー事件そのものがロイエンタール元帥に叛乱を起こさしめるための地球教団による策謀であったが、それに加えて様々な別種の要因が複合した結果、この事件は同年半ばのヤン・ウェンリー暗殺事件と並んで地球教による陰謀の最大の成功例となった。

経緯

ガンダルヴァウルヴァシーでの事件の報がハイネセンの新領土総督府にもたらされると、ロイエンタール元帥はすぐさま情報収集と皇帝の保護を命じ、グリルパルツァー大将治安回復相究明のためにウルヴァシー派遣した。しかし、ウルヴァシー事件におけるコルネリアス・ルッツ上級大将戦死の続報が入ると、ロイエンタールはついに皇帝ラインハルトに対する叛逆を決意する。

10月29日ウルヴァシー脱出後行方不明になっていた皇帝ラインハルト帝国ワーレン艦隊によって保護された。11月1日総旗艦ブリュンヒルト>がフェザーン回廊に入ると、皇帝は迎えに出た宇宙艦隊長官ミッターマイヤー元帥ロイエンタール討伐を命じる。その直後にはロイエンタールフェザーンへ「帝国政府あて」とする通信文を送り、政を断する軍務尚書オーベルシュタイン元帥および内務次官ラングの専横を排する」として自身の挙兵の正当性をした。

11月14日、勅命を受けたミッターマイヤー元帥は、麾下の艦隊に加えワーレン艦隊とビッテンフェルト艦隊(黒色騎兵艦隊)の動員を終えて""要塞周辺に集結、新領土ハイネセンして出立する。さらに11月16日皇帝の名においてロイエンタール元帥号剥奪・新領土総督解任が布告され、ロイエンタール公式に叛逆者となった。同日、ミッターマイヤー元帥友でもあるロイエンタールとの光速通信で最後の和解を試みたが、これも失敗に終わっている。

原因

ロイエンタール元帥が叛逆を決意するに至るには、軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタイン元帥と内務次官ハイドリッヒ・ラングとの対立がしていた。ウルヴァシー事件についてロイエンタール元帥は一切関わりがなく、当初皇帝の保護に動いたのも騒乱を謝するためのものであった。しかし重臣ルッツ上級大将の死を知ったロイエンタール元帥はもはや弁明の余地しと考えざるを得ず、その持は「叛逆を企図した」という実の罪のために謝することを許さなかった。そしてなによりも、すべての事態が対立者オーベルシュタイン元帥ラングの策謀によるものであり、弁明に至る前に両人によって謀殺されるのではないかという恐れを抱かざるを得なかったのだった。

そしてもう一つ、その叛逆に決定打を与えたのは、ウルヴァシーへ調派遣されたグリルパルツァー大将が、騒乱地球教団が存在するという調結果を報告・表しなかったことである。もとより地球教は軍への浸透すら危惧されていた帝国敵であり、全てがその策謀であったとなれば叛逆に至る前に皇帝ロイエンタール元帥のあいだの対立は払拭されていた可性もあった。しかし結局のところ、グリルパルツァー大将は自身の野心のためにこれを隠し、和解の機会は喪われた。

これらの要素が合わさった結果、ロイエンタール元帥冤罪によって叛逆者に仕立て上げられ皇帝に慈悲を乞う」よりも、「挙兵し自ら叛逆者となって皇帝に挑む」を選んだのである。もととなる地球教団の策謀は極めて杜撰なものであり、事態がこのように急転したのはまさに奇跡的な成功であった。

参加人員・勢力

ロイエンタールの挙兵に参加したのは、新領土総督麾下の新領土治安軍である。成立当時、新領土治安軍は艦艇3万5800隻を擁したが、閲監ベルゲングリューン大将のほかゾンネンフェル中将、ディッタースドル中将バルトハウザー少将シュラ少将といったロイエンタール子飼いの指揮官に加え、アルフレット・グリルパルツァーブルーノ・フォン・クナップシュタイン大将とその艦隊も叛逆への参加を表明した。一方で、新領土の民事長官ユリウス・エルスハイマーは、ウルヴァシーで戦死したコルネリアス・ルッツ上級大将が義にあたる事もあって、参加を拒否している。

一方、討伐軍側はミッターマイヤー元帥揮する直属部隊ならびにワーレンビッテンフェルト両艦隊あわせて4万2770隻に加え、旧帝国本土側に駐留するエルネスト・メックリンガー上級大将の艦隊1万1900隻を動かし、イゼルローン回廊側から新領土を扼した。このためにはイゼルローン要塞を抑えるイゼルローン共和政府許可が不可欠であり、同政府も、ロイエンタール側からの封鎖要請を拒否する形でメックリンガー艦隊の通過を認めている。

経過

ロイエンタールは新領土すなわち広大な旧同盟領を抑えており、必要とあらばかつて同盟が行った帝国領侵攻作戦の際の帝国軍よろしくこの全体を焦土とし、旧同盟市民を巻き込んでの長期作戦を採ることも不可能ではなかった。しかしロイエンタールはこれを帝国内部の争いであるとし、旧同盟市民を巻き込むことを一切避ける姿勢を示した。

実際にロイエンタールが立案したのは、新領土を舞台とした壮大巧緻な縦深作戦である。
これは新領土各地に分散配置し防御線とした麾下の諸部隊作戦の核とするもので、まずミッターマイヤー軍の進攻を各地の防御線で遅滞させ出血を強い、遠路ハイネセンまで誘い込んだうえでその退路を断つ(あるいはそれをよそおう)。しかるのち、後退するミッターマイヤー軍をハイネセンからの力部隊と集結した各地の部隊とで挟み撃ちにするという計画であった。ロイエンタールはこの作戦の実施のため信頼するベルゲングリューン大将をあて、一方で作戦正面をフェザーン方面に限定するためイゼルローン共和政府に特使を派遣した。

しかし、「年内に決着をつける」と宣言した"疾風ウォルフ"の率いるミッターマイヤー軍の進攻はロイエンタールの想定以上の神速を示した。ロイエンタールは危ういところで分散配置直前の部隊を再集結させ、ランテマリオ域においてミッターマイヤー軍を迎え撃つこととなる。第二次ランテマリオ会戦の開幕である。

第二次ランテマリオ会戦

第二次ランテマリオ会戦11月24日に開始された。

会戦初日は全軍を集結させたロイエンタール軍に対し直属部隊のみで先行したミッターマイヤー軍が守勢に立ったが、翌日にビッテンフェルトワーレン両艦隊が合流すると戦況は拮抗した。以後数日のあいだ両軍の間に戦が展開され、黒色騎兵艦隊やミッターマイヤー艦隊麾下のバイエルライン艦隊が痛打を受ける一方で、ロイエンタール軍のクナップシュタイン大将が戦死するなど、両者ともに大きな損を被った。

しかし12月3日、イゼルローン回廊通過したメックリンガー艦隊がハイネセンに向かったという報が入ると、ロイエンタールはそれ以上の戦闘継続の意義を認めず、ハイネセンへの撤退を開始した。しかし秩序を保っての撤退途中の12月7日グリルパルツァー大将ロイエンタールを裏切ってその後背を衝き、ロイエンタールが重傷を負う。これにより艦隊は壊乱し、翌日には一部のみが旗艦<トリスタン>の揮下でハイネセンへ敗走した。

こののち、ロイエンタール軍はほぼ全に崩壊。負傷したディッタースドル中将を始めとする数の降者の処理(ビューロー大将が整理を担当した)となお謀な抵抗を続ける一部の艦艇のため、討伐軍の追撃は遅滞を余儀なくされた。

イゼルローン共和政府の反応

ロイエンタールイゼルローン共和政府に対して特使としたのは、かつてヤン艦隊の幕僚であり、ヤンの死に際し要塞内の不満分子を引き連れて離脱していたムライ元同盟軍中将であった。ロイエンタールめたのは討伐軍の回廊通過の拒否であり、条件としては旧同盟領全体の返還という政治的利益とヨブ・トリューニヒトの身命という心理的利益を示していた。しかし、共和政府軍事官を務めるユリアン・ミンツは、ロイエンタールの敗戦とその後の帝国による報復行動を予期して取引を拒否した。

その直後には、帝国本土側から動いていたメックリンガー艦隊がイゼルローン共和政府に対し回廊通過許可めた。ロイエンタールの要請を拒否した共和政府は将来的な帝国への”貸し”作りと一時的ながら帝国土方面でのフリーハンドを得る為に当然これを認め、メックリンガー艦隊は事にイゼルローン回廊通過したのである。

ロイエンタールの敗死

ロイエンタールハイネセンに到着した12月16日、その麾下に残るのはベルゲングリューン、ゾンネンフェルス両提督と艦艇4580隻、将兵65万8900名のみとなっていたが、なお約4000名の将兵が総督府に集結していた。重傷の身で総督府に戻ったロイエンタールはまず民事長官エルスハイマーを呼び出し、新領土の政務と事務の後処理を頼み、エルスハイマーもこれを受ける。さらにロイエンタールヨブ・トリューニヒトを呼び出し射殺して帝国にとっての後顧の憂いを絶ったのち、16時51分に死亡した。

いっぽうミッターマイヤー軍は12月11日にガンダルヴァ系でメックリンガー艦隊と合流、ウルヴァシーメックリンガー上級大将を残して追撃を再開した。12月16日19時頃、ハイネセンでミッターマイヤー元帥エルスハイマーと閲副総監リッチェル中将の出迎えを受け総督府に向かい、ロイエンタール遺体と対面している。

このロイエンタールの死とミッターマイヤー元帥ハイネセン到着をもって、ロイエンタール元帥叛逆事件は終結した。ミッターマイヤー元帥の率いる討伐軍本隊は即日帰路につき、12月30日フェザーンへと帰還した。

事後

内乱終結の報を受けたラインハルトは、ロイエンタールへの元帥号返還を命じた。また、戦死したクナップシュタイン大将ミッターマイヤー元帥の到着直後にロイエンタールに殉じたベルゲングリューン大将を始めとするロイエンタール麾下の戦死者・自殺者についても、階級を剥奪しない処置をとっている。

ただし、「皇帝ラインハルトのため」としてロイエンタールへの裏切りを働いたグリルパルツァー大将については、ウルヴァシーに残って事後調を行ったメックリンガー上級大将によってウルヴァシー事件の裏面の事情を隠匿したことが明らかにされたこともあって許されず、階級剥奪のうえで自裁を命じられた。

かつてロイエンタールの叛乱の一因となったハイドリッヒ・ラングは既にニコラス・ボルテック謀殺の罪を問われて収監されていたが、こちらも対立者ロイエンタールの死を聞いたことでアドリアン・ルビンスキーとの協力などについて自を開始した。しかし、この時すでにルビンスキーは隠れを移しており、発見されなかった。

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