タングステン作戦とは、第二次世界大戦中の1944年4月3日に行われたイギリス海軍による独戦艦ティルピッツへの攻撃作戦である。大規模攻撃だったにも関わらずティルピッツに損傷を与えた程度に留まり、作戦は失敗した。
ドイツ海軍が誇るビスマルク級戦艦2番艦ティルピッツ。ドイツ占領下ノルウェーの北部に鎮座し、敵国イギリスを睨みつけ、ただいるだけで本国艦隊の活動や援ソ船団に制約を課してきた極北の絶対的王者。イギリス海軍が保有するどの艦よりも巨大なこの怪物は、七つの海を支配するイギリスですら恐怖させていた。これまでにも連合軍はこの巨体の怪物を討伐しようと数々の刺客を送り込んてきたが、1942年3月6日の雷撃は魚雷20本全て避けられて失敗、10月26日にノルウェーの抵抗組織が人間魚雷による攻撃を試みたが攻撃すら出来ずにまた失敗、1943年9月26日のX艇による攻撃で損傷を与えたものの半年で復帰を許し、1944年2月10日深夜にはソ連軍機15機が襲い掛かったが航法のミスで手傷すら負わせられなかった。まさにティルピッツには女神の加護が与えられていたと言える。
ティルピッツの玉座カーフィヨルドには潜水艦対策の水中防御が充実し、付近にはドイツ空軍が駐留、空襲を受けた時に備えて煙幕装置まで用意されているなど鉄壁の防御を誇る。潜ませたスパイや航空偵察により厳重な防衛体制を掴んだイギリス軍はティルピッツを玉座から引きずり下ろす手立てが思いつかず、爆撃部隊司令のアーサー・ハリス元帥すらも大量の犠牲が出るとしてティルピッツへの航空攻撃を拒否する始末だった。どうにかしてティルピッツを始末したい上層部は陸上機ではなく空母の艦上機で攻撃するタングステン作戦(当初はスラストフル作戦)を立案。1943年12月より検討に入った。しかし無謀な攻撃作戦に投じられる本国艦隊は当然難色を示し、まず最初に艦隊司令ブルース・フレイザー中将を説得するところから始まった。
1944年4月3日午前5時30分、カーフィヨルドに警報が鳴り響いた。南方より敵空母ヴィクトリアス、フューリアスから発進してきたバラクーダの大編隊とコルセア、ワイルドキャット、ヘルキャットの戦闘機群が急接近してきたのである。敵機はレーダーの探知を避けるために低空飛行しており、この襲撃はティルピッツにとっても現地のドイツ軍にとっても奇襲だった。まずい事にティルピッツは海上公試の準備に忙殺されていた上、護衛用の駆逐艦5隻は既にカーフィヨルドを発っていた。敵機が上空に出現した時でさえ乗組員は自らの配置へ就くために走っている最中であり、水密扉も閉められていなかったという。
まず最初に戦闘機群がティルピッツの対空機銃と沿岸砲を無力化すべく機銃掃射を仕掛け、乗組員の多くが殺傷されてしまう。同時に爆撃の障害になりそうな数隻の対空艦にも機銃を浴びせている。敵機はドイツ空軍の混乱を誘うべく機体に空軍の記章によく似た紛らわしいマークを付けており、これが対空機銃を不活発なものにしてしまう。戦闘機群が去った直後に21機のバラクーダが来襲。1分以内に10発の爆弾を命中させた。壮絶な攻撃により艦長ハンス・マイヤー大佐が負傷し、情報将校のヒューゴ・ハイダルが臨時に指揮を執る。爆撃により錨が破壊されたのかティルピッツの艦体が漂流し始め、カーフィヨルドの西岸に一時は座礁してしまうも、何とか離礁に成功。そこへ襲い掛かって来たバラクーダ1機を対空機銃で撃墜してパイロット3名を死亡させる。第一波攻撃はすぐに終わった。
午前6時45分、敵の第二次攻撃隊が襲来。この時になっても煙幕装置はティルピッツを隠し切れておらず窮地に陥る。第一波同様、まず戦闘機群が機銃掃射でティルピッツや対空陣地を攻撃。一方、煙幕装置でティルピッツを見失った数機はやむなく地上の無線方向探知局も銃撃している。それが終わるとバラクーダの
編隊が手負いの王者に急降下して瞬時に4発の爆弾が叩き込まれる。ティルピッツからの反撃で1機のバラクーダが撃墜され、地上に激突して爆発の炎を咲かせた。ティルピッツは大火災に見舞われ、乗組員122名が死亡、316名の負傷者を出す大損害を受ける。戦死者の大半は銃撃に曝された機銃員だった。
4月3日午後、洋上のイギリス艦隊が攻撃中の写真を解析したところ、ティルピッツは大破していると判断。翌日の空襲を取りやめて帰国の途に就いた。イギリス側の喪失は戦闘でバラクーダ3機とパイロット9名を、発艦及び着艦ミスでバラクーダとヘルキャットを喪失したのみに留まり、僅少の被害で王者に傷を付けられたと言える。
2回の爆撃によりティルピッツは爆弾14発を喰らった。通常であれば戦艦であっても即死に等しい命中弾だが、実はイギリス軍は致命的なミスを犯していた。命中精度を上げるため910m未満の低空から爆弾を投下していたのだが、そのせいで十分な運動エネルギーを得られないまま装甲に弾かれ(徹甲弾の威力を発揮するには最低でも1100mから投下しなければならない)、命中弾の割にダメージが入っていなかったのである。実際ティルピッツの機械類や主砲塔に損害は出ておらず、2つのボイラーが使用不能になったものの、未だ機動力を有していた。
カール・デーニッツ元帥は連合軍の艦隊戦力を束縛し続けるべく修理を命じ、駆逐艦によって輸送された機器や作業員によって5月初旬から工事が行われ、7月中旬に完了。X艇の時より短い3ヶ月で修理を終えるという大規模な航空攻撃とは不釣り合いの被害しか与えられなかった。またドイツ軍は敵機襲来に備えてカーフィヨルドの防備を強化。レーダー基地と観測所を追加し、周辺の煙幕装置を増やし、ティルピッツ自身の20mm対空機銃も増備した。
もし4月4日にも空襲を敢行していれば結果は変わっただろうが、チャーチル英首相とカニンガム提督の懸念通り、短期間での再就役を許してしまう事に。その後もイギリス軍はティルピッツを葬ろうと数々の爆撃を仕掛けるも、不発弾に悩まされたり、煙幕装置に阻まれて的確に投弾出来なかったり、天候不良に苦しめられたりして8回の空襲はタングステン作戦以上の有効打を与えられずに失敗。ティルピッツを見初めた女神の加護はそう簡単には引き剥がせないようだ。
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最終更新:2025/12/06(土) 03:00
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