ドラム缶女性焼殺事件とは、2000年に発生した殺人事件である。
※この記事には残虐な行為が含まれますので注意してご覧ください。
詐欺で大金を稼いでいたグループ6人が、金銭トラブルをきっかけにして関係者女性2人を拉致すると、山中でドラム缶に閉じ込めてガソリンで生きたまま焼殺するという前代未聞の凶悪事件である。
1964年生まれ。一連の事件を計画・実行した主犯格。事件当時は中古車販売業を営んでいた。少年期に事故で右足を切断して義足を用いていたが「自分は元暴力団員で抗争の結果右足を失った」などと吹聴していた。
1969年生まれ。川村と共に事件を主導した人物。父親が暴力団関係者で、犠牲者の夫の借金を取り立てるよう命じられていた。
川村同様、2006年7月6日死刑確定。2009年1月29日死刑執行。
1960年頃の生まれ。詐欺会社の社長を務めた。焼殺の実行犯で、ほか拉致や遺体の損壊を実行。
無期懲役が確定。
1963年頃の生まれ。牧田の実弟。殺人には関与していないが拉致、遺体損壊などを行った。
無期懲役が確定。
1955年頃の生まれ。被害者の拉致を行ったが、殺人の現場に向かう途中で逮捕。
懲役12年が確定。
1972年頃の生まれ。白沢と共に行動していたため、同じく殺人の現場に向かう途中で逮捕。
懲役12年が確定。
川村は当初トラック運転手を務めており、その間に共犯者5人と知り合っていた。この頃から背中に入れ墨をいれているとか、父親が暴力団員だとか嘘をついて力を誇示していた。その後川村は職を転々として、1999年頃には愛知県春日井市で中古車販売業を営んでいた。
1999年の夏、牧田が川村に「何か儲かる仕事はないか?」と頼ってきた。この際、野村が川村に「取り込み詐欺で会社をつぶしたことがある」と以前言っていたことから(実際は野村の嘘であった)、休眠会社を乗っ取って取り込み詐欺を行うことを決め、他の面々を誘った(※取り込み詐欺とは、後払いで商品を注文しながら料金を踏み倒すというものである)。だが彼らのほとんどは既に借金を大量に抱えており、消費者金融のブラックリストに乗っていて、これ以上の借り入れが出来ない事態にあった。
同年11月、「手形を乱発して商品を購入、換金したら倒産させる」という取り込み詐欺の方針が決まった。そしてとある休眠会社を乗っ取ると、自動車部品販売会社「シムス」に名義を変更し、唯一ブラックリストに乗っていなかった牧田が代表取締役、佐藤・白沢・池田を取締役とした。川村と野村は「詐欺がバレると刑事責任に問われる」として役員にならなかったが、実質的にはこの2人が実権を握っていており、他4人との力関係は明白なものとなっていた。
だが、これといったコネも実績もない牧田らは銀行などから融資の信用を得られず、取り込み詐欺は遅々として進まなかった。これに激怒した野村は4人に生命保険に入らせて、逆らえば殺されるという恐怖を植えつけることに成功する。メンバーは精神的に不安定になってゆき、自殺を図る者や会社を休む者も出たが、逆に更に脅されて圧力が強くなるだけであった。
名古屋市在住の喫茶店経営者のA(当時56歳)は、金融業も兼ねていたがこれに失敗し多額の借金を抱えていた。1999年12月、金融業者である野村の父(暴力団関係者)の従業員が野村に取り立てを依頼した。一行はAを尾行し、妻らしき女性と帰宅する姿や喫茶店の場所を確認すると、Aを呼び出して話し合いを行った。様々な脅しをかけたがAは折れず、ほぼ失敗に終わる。川村・野村はAの態度に激怒し「あんな奴は取り立ての時に殺して、ドラム缶で焼殺して養鶏所のエサにした事もある」などと虚言を吐いた。
一行は執念深くAを追い、彼の自宅に妻B(当時64歳)以外にもう一人、同居人の女性C(Bの妹、当時56歳)がいることを突き止めた。一方で取り立てはまるで進まなかった。野村と川村はAに対して殺意を含んだ発言を始める。
2002年2月、取り立てを担当していた佐藤が一向に進展しない事を報告すると、佐藤ら4人に「手段は選ばず、3人を拉致して車を奪い、金目の物も奪い取る」計画を指示した。4人は川村と野村の命令に従い、監禁用の道具を用意してAの自宅前で待ち伏せしていたが、Aが帰宅する前に全員が寝てしまったため失敗に終わり、川村たちに厳しく叱責された。
一方、当初の目的だった取り込み詐欺は順調に進むようになり、この作業に忙しくなったことで一旦Aへの取り立ては中断して忘れられていた。が、野村が暴力団関係者である父から「取り立てはどうなっているんだ?」と厳しく叱られる。Aのせいで面子が潰れたと感じた野村と川村は、前回同様の拉致を計画する。前回の4人のみでは失敗に終わったので、今回は2人も同行することに決めた。
川村は夫妻を殺害するためにドラム缶2つを調達した。そして佐藤ら4人を呼び出すと、犯行を行うことを暗に示した。白沢が一人拒否するが「それならドラム缶を3つにする」と脅迫して無理矢理引き込んだ。川村が「チェーンソーで死体をバラバラにすると血が飛び散って嫌だ」と言うと野村は「生きたまま焼き殺せばいい」と返し、焼殺の計画が進んでいった。
その後牧田に死体解体用の道具を調達させ、佐藤には注文していたドラム缶を持って来させた。更に佐藤はガソリン混合油の調達を命じられ、それを持ち帰った。野村はドラム缶に穴をあけるなど改造して焼却しやすくした。
野村は4人を呼び出すと改めて事件を実行に移すか問い、逃げ場もない状況から4人は自分たちだけの責任で行うと発言した。
そして具体的な犯行計画が練られ、野村の車でAが喫茶店から出るのを見張り、牧田の車でA宅の車庫に入れないよう妨害し、Aが牧田の車に近づいたら殴った上でAの車も強奪する」という筋書きが完成した。また川村と野村は改めてこの事件は4人がやったことで、自分たちは無関係という事にしろと命令している。最終的に2000年4月3日夜に犯行が始まり、野村の車は池田が運転して川村と野村が同乗、残る3人は車庫妨害へと移動していった。
A・B・Cの3人が帰宅しようとするのを野村たちが追跡し、一方A宅付近では牧田と佐藤がAたちに襲い掛かれるよう、物陰に隠れて準備していた。
日付が変わって4月4日、名古屋の自宅に帰ったAは車庫の前に車が止められていることに気付いて、B・Cらと共に車の外に出て牧田の車に近づいた。そこへ牧田と佐藤が襲い掛かった。Aは全治2週間の怪我を負ったが、近所の知人の家に逃げ込んだため一命をとりとめた。一方B・Cは抵抗するが牧田の車に押し込まれて監禁された。
池田がAの車を強奪し、川村は野村の車で、牧田は自分の車で、野村と佐藤は徒歩で現場から逃走した。その後ナゴヤドーム付近で合流するが、池田が奪った車の燃料が残り少ないことを報告した為、白沢を同乗させた上で「愛知県瀬戸市の自動車学校で合流しろ」と命令が下った。
だが、池田と白沢はAの110番通報で張り込みしていた警察に発見されて、任意同行された。
他の4名は自動車学校前で池田たちの合流を待ったが一向に来なかったため、諦めて4人で犯行を続けることにした。適当な殺害場所を探しながら、野村と川村は「焼き殺せば血が飛び散らずに済む」と話し合い、改めて2人を焼殺することにした。
その後、東大大学院の演習林に辿り着いた犯人一行は車を止められる場所を見つけたため、そこを殺害現場とした。BとCはガムテープで両手を縛り上げられ口もふさがれ、現金や金目の物を奪うと遂に殺害に及んだ。2つのドラム缶に1人ずつを入れると、ガソリンを2人にかけ、「可哀想だが恨むならお前の旦那を恨めよ」等と言いながら用意していた蓋をドラム缶にかぶせた。
野村は点火用の新聞紙とライターを出させたが、野村の持つ新聞紙に牧田が点火しようとすると「俺が火をつけろって事か?」と言って自分が殺害の実行者になるのを拒否。川村の命令で牧田が点火役になった。そして2つのドラム缶に開けた穴に火を近づけると、計画通り発火。ガムテープで口をふさがれた2人の断末魔のうめき声が響く中、殺害が行われた。
川村たちは警察に確保されている池田と白沢の探索も行ったが当然徒労に終わった。一方、火のついたドラム缶には木の枝などがくべられて、遺品も証拠隠滅のために焼き払われた。
やがて遺体の処理が行われ、牧田がチェーンソーで2人の遺体をバラバラにして、現場下の沢にドラム缶ごと投げ捨てた。この時、犯行が判明すると思っていなかったのか、ドラム缶とその中で燃えずに残っていた遺留品ごと乱雑に放棄され、遺体解体用に持ってきていたチェーンソーや金槌も捨てるなど現場に証拠品を多数残している。
夜が明けると川村の中古車販売店に集まったが、川村と野村は佐藤に対し、事件当時2人はこの店にいたことにしろ、とアリバイ工作を命じている。
一方警察はAの110番通報で4月4日未明より動き出し、先述の通り池田と白沢を逮捕するが、Aとの金銭トラブルで彼を襲った事を認めながら、2人の女性については知らないと主張していた。その後、彼らの所属する取り込み詐欺事務所に向かい、そこにいた佐藤を逮捕。佐藤は女性2人を名古屋市東区まで拉致したが、自分はそこで別れたのでその後は知らないと供述した。
本格的な捜査本部が置かれると、3人が所属する「シムス」の代表取締役の牧田が関わっていると推測され、全国に指名手配された。一方、川村と野村は牧田から「佐藤が職務質問された」との連絡がくると岐阜県の中津川駅まで逃走し、牧田には車で合流するように命じた。そして新幹線も使って東京まで逃げるが、牧田が指名手配されている事を知る。すると川村と野村は、牧田を出頭させ、取り込み詐欺も含めた一連の犯行は全て4人でやった事として、2人の女性はナゴヤドーム付近で解放してその後は知らない、というシナリオを描き「家族の面倒は見るから俺たちのことは絶対に話すな」と釘を刺した。
4月5日、牧田は警察に電話をかけ、自ら逮捕された。当初は川村たちのシナリオ通りの供述を行っていたが、やがて嘘を隠し通すことが出来なくなると、遂に川村と野村の存在が明らかになった。更に、2人の女性を焼き殺したことも自白した。
4月6日、川村と野村が指名手配された。牧田と佐藤が証言した通りの場所で遺体の欠片なども発見され、一連の事件の流れについてはほぼ自白が得られた。
4月8日、犯行現場で本格的な調査が行われ、遺体の欠片やドラム缶、チェーンソーなどの証拠品が次々と発見された。これを受けて事件は本格的に殺人事件として取り扱われ、特別捜査本部を置いて捜査が進められた。その後埼玉県で川村たちが現金を引き出したことが分かり、捜査の網は関東にも広がった。
4月10日、「本来はA・B夫妻を狙うつもりだったが、Aに逃げられたのでB・Cを殺害した」という証言を得られ、Cは巻き込まれて殺害されたことが判明する。現場の調査は更に進められ、遺体の欠片のほか、イヤリングや鍵などが見つかった。
川村と野村は関東各地を逃亡していたが、自分たちが指名手配されている事を知ると逃亡を諦め、警察に自首した上で「自分たちは強盗殺人には関係ない」と主張することに決めて、10日に自首し、逮捕された。
ところが野村は早い段階で折れて事実を白状し、川村と計画を練って、牧田たちに殺人をさせた事実を認めた。一方川村は無関係を主張していた。他の4人は野村の後ろに暴力団関係者がいる為に逆らえなかったと述べた。
その後も粘り強く捜査は続き、DNA鑑定などで遺体がBとCである事が判明したため、6人全員が殺人罪で再逮捕されることになった。5月初めごろ、遂に川村が自白した。これを受け、6人全員が強盗殺人・死体損壊の罪で逮捕された。また取り込み詐欺についても調査が行われた。
検察は「首謀者2人が共犯者4人を生命保険に加入させて、逆らえば殺すことを仄めかしていた」「計画的犯行」「口止め目的でCを巻き込んだ」「血液が飛散しないという理由で焼殺した」と主張した。
主犯である川村と野村は罪状を認めた。牧田と佐藤は事実をみとめつつも、主犯2人による指示で、生命保険がかけられていたので逆らえなかったと主張した。白沢と池田は殺害をたくらんでいたことを認めたが、実際の現場にはいなかったため、何が起こったのかは分からないと主張した。
検察は主犯の川村と野村、従属犯の牧田と佐藤に死刑、白沢と池田に懲役15年を求刑した。2002年、川村と野村は死刑、牧田と佐藤は無期懲役、白沢と池田は懲役12年の判決が下った。6人は控訴したが、全員棄却された。池田のみ上告せず懲役12年が確定。
2004年、牧田ら3人の上告が棄却され、牧田と佐藤の無期懲役、白沢の懲役12年が確定した。2006年、川村と野村の上告が棄却され、二人の死刑が確定した。
野村はその後も拘置所の行動について訴訟するなどしている。川村は裁判中より、暴力団をバックに持つ野村とは上下関係があって逆らえなかったので、同罪となるのはおかしいと度々主張した。
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最終更新:2025/12/06(土) 18:00
最終更新:2025/12/06(土) 18:00
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