ビルクハーン 単語

ビルクハーン

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ビルクハーン(Birkhahn)とは1945年生まれのドイツ産の競走馬

西ドイツダービー制覇という史上一の栄冠を得た、ドイツ競馬の名
種牡馬としても大成功を収め、現在欧州競馬を語る上で欠かしてはならない存在となっている。

名前ドイツ語で「クロライチョウ(で言う青鹿毛っぽい色の)」の意。本黒鹿毛である。
読み方の違いによって、バークハーン、ビルカーン、ビルカーハンという表記も見られる。

戦争の悲劇と、歴史のゆらぎを象徴する血統

AlchimistBramouse、Cappielloという血統。
それぞれアルミストブラモウス、カピエロと読む。けどやっぱ場合によって読み方が違う。
第二次世界大戦によって数奇な運命、と呼ぶには悲劇的すぎる生を辿った。

は「前代未聞の快速」という2歳時(1932年)からの評判通り1933年のドイチェスダービーベルリン大賞、バーデン大賞というドイツの大レースを席巻した名であり、種牡馬としても成功を収め、1946・47年のドイツリーディングサイアーになった。
そんな名だが、1945年に生まれ故郷であるザクセン州のグラディッツ牧場に繋養されていた。知ってる方も多いと思うが、1945年に東から赤軍が侵攻してきており、本疎開されるはずだったが赤軍にとっ捕まってしまう。Alchimistはどうなってしまったか? 
結論を言おう、骨折したところを赤軍兵士に射殺されてその場で食として消費された。
なお、AlchimistであるHeroldもほぼ同時期に赤軍射殺されたと思われる。

1936年フランスで生まれ、現代ではロスチャイルド家で知られるユダヤ人実業ロートシルト卿によって生産された。1940年フランスナチスドイツに侵攻され降すると、「戦時賠償」としてフランスに残された競馬の大部分はドイツ内へ連行された。Alchimistらが繋養されていたグラディッツ牧場にいたが、こちらは先んじて難を逃れることに成功し、何とかビルクハーンを産むことが出来た。

は戦乱に巻き込まれて命を落とした、その一方でが賠償としてドイツに連行されなければビルクハーンは産まれてこなかった可性が高いのである(フランスにいたら別の種牡馬が付けられた可性は高い=ドイツに来なければAlchimistが付けられる可性は低い)。

戦争の悲劇と、歴史の持つ不確定・不合理性徴するような事例と言えるだろう。

競走生活

戦争終結後はグラディッツ牧場のあるザクセン州へ戻ったが、彼が競走馬デビューを果たす頃には東西冷戦の突入、ドイツの東西分割が囁かれるようになる。そんな世界情勢を露知らず(察知するはいないと思うが)、東ドイツ競馬が再開され、2歳8月ザクセン州ドレスデンデビューを迎えた。2歳戦の成績は6戦6勝。この中には相手にトップハンデ57kg背負って1200mで7馬身差付けたとか2歳にして59kgを背負って4馬身差で勝利したなんてレースもあり、当然の如く東ドイツの2歳チャンピオンとなる。

1948年クラシック世代、3歳になるが、戦後ドイツを取り巻く環境は二極化という形で固まりつつあった。しかしビルクハーンは走り続ける。ホッペガルテンヘンケルレネン(東独2000ギニー)、東独ダービーを連戦連勝、遂には東ドイツには敵がいなくなった。

そんな中、営(共産圏なので実質東ドイツ政府)は西ドイツで行われる予定のドイチェスダービー(ハンブルク競馬場開催)への参加を決める。西ドイツ渡航しドイチェスダービーに挑むと、ヘンケルレネン(西独2000ギニー)の優勝であるOstermorgenを倒し、後にも先にも彼が一の西ドイツダービー制覇を達成する。

その後も彼は走り続けたが、1949年に東西ドイツがそれぞれ「ドイツ民主共和国」と「ドイツ連邦共和国」に分裂し、様々なゴタゴタの中、1950年引退引退年にドイツ人民共和大賞を制している。

通算成績22戦16勝。デビューから12連勝を飾ったが、ドイチェスダービー以降は調整不良の中出走せざるを得なくなる、政治問題のしがらみを受けるなどアクシデントも多数あった。

種牡馬生活

引退後は東ドイツ営となったグラディッツ牧場種牡馬入り。前大戦のドイツ競馬が壊滅的被害を受けた中で、競走馬としての実績が評価され、トップクラス種牡馬として扱われた。東ドイツでは5年連続でリーディングサイアーになるなど大活躍を収めた。

1960年から西ドイツへ移動して種牡馬生活を送った。東ドイツの大種牡馬が何で西ドイツに? 
理由は西ドイツ、つまりその後ろのといった西側の血を取り入れる為の交換条件として、ビルクハーンの西ドイツ移動と、それに伴う継続的なサラブレッド東ドイツへの輸出が為されたとか。
西ドイツ分裂といっても面下では地な交流が為されていたのである、論、東西関係に大きくされる上、当時の東ドイツソビエト連邦衛星国家なのでクレムリン次第ではあったが。

西ドイツでも3度(4度とも)のリーディングサイアーを獲得した。東ドイツでの活躍情報は少なく、現在ビルクハーンの代表産駒とされるものは概ね西ドイツ供用時に生まれた産駒である。

代表産駒として、ジャック・ル・マロワ賞を制したPriamos、ヘンケルレネンを制したLiteratがいる。
として1985年英ダービーSlip Anchorを輩出。母親名前Sayonara、サヨナラという。

1965年、20歳にてこの世を去った。

現代競馬に眠る「クロライチョウ」

Literat(リテラート)。ドイツ語で文筆という名を持つこのが、後世にビルクハーンを伝える最大の役割を担った。自身の持つインクペンを用いて、ドイツが持つに、クロライチョウを確かに刻んでいった。

それはくから結実する。
イチェスダービーを世代を挟んで優勝したSurumu(ズルムー)が産まれる。
Surumuは種牡馬として6度の西ドイツリーディングサイアーとなり、子二代のダービー制覇を果たしたAcatenango(アカテナンゴ)を、ミラノ大賞典を制したPlatini(プラティニ)を出す。

Acatenangoダービー三代制覇を果たし、ジャパンカップを制したLando(ランド)と、ダービー制覇・香港ヴァーズ優勝の名Borgia(ボルジア)を送り出す。

Landoはドバイデューティーフリーを制したPaolini(パオリニ)を出す。Borgiaも牝系子孫からヴェルメイユ賞優勝Baltic Baroness(バルチックバロネス)を輩出する。

ビルクハーンは自身と子孫を通じて、ドイツ牝系にもその血を刻んでいく。
彼を牝系底に持つUrban Seaから、GalileoSea the Starsが産まれている。

最後に、Surumuをに持つが、流から外れたブランドフォード系に持つKonigsstuhl(ケーニヒスシュトゥール)との間に、欧州が誇る世界的大種牡馬Monsun(モンズーン)を出す。

現代で言うドイツ血統、それは「和合性」の高さにある。

かつてビルクハーンが数多くの波乱や困難に対して立ち向かい、子孫を通じてドイツを土壌として力を蓄えた現在、かつては有り得なかった、欧州の大馬主ブリーダーがこぞってドイツ産の種やめるようになった。その中にはほぼ確実に「Birkhahn」の文字が躍る。

クロライチョウ」の血は、現代の欧州競馬全に刻み込まれている。

血統表

Alchimist
1930 黒鹿毛
Herold
1917 黒鹿毛
Dark Ronald Bay Ronald
Darkie
Hornisse Ard Patrick
Hortensia
Aversion
1914 黒鹿毛
Nuage Simonian
Nephte
Antwort Ard Patrick
Alveole
Bramouse
1936 鹿毛
FNo.1-j
Cappiello
1930 栗毛
Apelle Sardanapale
Angelina
Kopje Spion Kop
Dutch Mary
Peregrine
1926 黒鹿毛
Phalaris Polymelus
Bromus
Clotho Sunstar
Jenny Melton
競走馬の4代血統表

クロスArd Patrick 4×4(12.5%)

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