三菱自動車工業 単語

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三菱自動車工業とは、三菱グループ下の自動車メーカーである。略称として「三菱自動車」や「三菱自工」や「三菱自」や「三菱」と呼ばれることが多い。

概要

1870年に運会社九十九(ツクモ)商会(後の三菱重工業)の自動車事業部門として設立されたのが起。1917年に三菱自動車製造を始め、1934年に同社が三菱航空機と合併し三菱重工業となると、三菱重工の一部門として自動車を生産するようになる。戦後の財閥解体により中日本重工業(後に三菱日本重工となる)への移譲があったが、1964年に再統合され三菱重工業の一部門となる。

1970年三菱重工業から企業として独立をし、三菱自動車工業を設立。1988年東京大阪名古屋券取引市場第1部に株式上場。この頃は、日本一の軽自動車から大トラックまで製造する自動車会社であった。

2000年道路運送車両法違反(リコール隠し)が発覚、当時の社長が辞任する程の騒ぎとなり、赤字経営となる。同時にダイムラークライスラーと資本提携を結ぶ事となる。そして2003年には大部門は、三菱ふそうトラック・バスに移管され、2004年ダイムラークライスラーを手放し、三菱グループが再建に関わるようになる。このとき三菱ふそうダイムラークライスラーが85%株式を所有していたため、ダイムラークライスラー下になる。後にダイムラークライスラークライスラーを売却。現在ダイムラーとなる。ダイムラー現在世界1位トラック会社であり、結果的に三菱は敵にを送る所かを渡してしまったと言えるだろう。現在三菱PSA・プジョーシトロエングループと連携を強めており、今後の動向が注される。

ところが今度は2016年に燃費試験の不正が発覚し、前述のリコール隠しに続く不祥事として信用が落ちることになる。これにより、三菱グループでの再建は困難であるとして、日産自動車と資本提携を結ぶことになり、事実日産自動車下となる見込み(ちなみに不正が発覚した原因は、三菱自動車工業が日産自動車向けに製造したの燃費測定を日産自動車自身が実施したためである)。

1982年頃から4WDを前面に打ち出しているメーカーであるため、北海道東北地区での三菱シェアは意外と高い。また、ラリーにも参戦していて、オフロードでの走破性は定評がある。そのせいもあってか伝統的にトルク重視のエンジンを作ることが多いメーカーでもある。また、「ランサーエボリューション」や「iMIEV」など、ハイテク・電気系技術が際立ったが多い。

また「フルライン○○」という扱っている全ての種に何らかの流行り機と載せしたがるというがあるのも三菱自動車工業の特徴である。80年代前半の「フルラインターボ」や90年代後半の「フルラインGDI」など、統一感を出したラインナップを前面に展開するが、いろいろあってうまくいったことはい。多分次は「フルラインEV」とか始めだすんじゃないかなと筆者は思っている。

国内評価

前述の2000年リコール隠しと2004年トラックバス部門のリコール隠し(当時三菱トラックバス部門は三菱ふそうトラック・バス分社化されてこそいたが、当該車輌開発当時は三菱自動車の一部門であった)のが今なお非常に大きいを及ぼし、更に当時のマスコミ報道から「三菱はよく炎上する」「三菱は脱輪をやらかす」などといった悪評が(脱輪に関しては過積載などの危険がない乗用車では基本的に起こりえない。大トラックなどでも使用方法次第でどのメーカー種でも起こりえる事である。実際にトヨタ製のトラックでも2005年軸が根元から外れて歩行者が1人が重体、もう1人が軽症となった事故がある。)広がってしまうこととなる。また炎上に関してはGDIエンジンの個体差(これが妙に開きがあるようで、普通に動く個体もあれば炎上する個体もある)も少なからずしている。

このような過大なまでの悪評から現在でも一般ユーザーでも三菱を敬遠する者が少なからずおり、以前はホンダといい勝負をしていたが今ではスバルよりは大きい程度の規模にまで落ちている。今はGDIエンジンが搭載されているわけでも、勝手に発火するわけでも、脱輪するわけでもないのにね。2度のリコール隠しになっちゃったから仕方ないね

なおこの時期には社内での連携も潤滑に行われないなど企業の体質自体にも問題があったことを付け加えておく。現社長の益子氏はEVに注力しスポーツカーを切り捨てる方針だという話をの便りで聞いたが、EVでもスポーツカーでも自社のに絶対的な自信が持てないような(言い換えれば自社のせないような)造りではまたこのようなリコール隠しにつながり破産まで行ってしまいかねないことを忠告しておきたい。益子氏が利益しか頭にない人物なのか、そうでないのかは筆者には知るすべはいが、前者のような人物ではなく後者のような人物であって欲しいと願う。三菱自動車工業という会社のためにも。

・・・と書いたにも関わらず、三菱自動車工業という会社は今度は燃費試験の不正に手を出してしまった。結局企業の体質は改善されていなかったのである。こうなってしまえば評価が最悪になるのは必然的な話である。これからは日産自動車下で再建されることになるが、日産自動車が三菱自動車工業を事に再建し、企業の体質を変えてくれることが一の希望である。

GDI

三菱自動車が開発した世界初のリーンバーン直噴エンジン。てっとりく言うと「燃料を高圧で吹き付けることによって今までより少ないガソリンエンジンを動かせるよ!もっと調子乗るとちょっと酸素が余っちゃうくらい少ないガソリンしか使わずにエンジン動かせるよ!」的システム。実用化したのは良かったのだが、問題は後者理論よりガソリンが少ない状態で爆発させる(リーンバーンさせる)ことによって燃費は上がるのだが排気ガスが汚くなり、エンジン内のススなども多くなる。この問題は近年でも解決されず、今でも直噴エンジンではリーンバーンは用いられない事が多い。それに手を出してしまったばっかりに様々な問題が発生、結局GDIは失敗作という烙印を押される羽になってしまった。まぁ技術ライセンスプジョーとかシトロエンとかボルボとかヒュンダイに売り込めただけ良かったんじゃないでしょうか。

モータースポーツ

三菱モータースポーツ初参戦は1962年マカオグランプリ。ラリー初参戦は1967年の「サザンクロスラリー(オーストラリア)」である。その後1972年から76年まで同ラリーを5連覇。その後も舞台WRCにを代えつつも、「ギャラン」「ランサーEXターボ」「スタリオン」「ギャランVR-4」と数々の名を参戦させ、1993年にはついにあの「ランサーエボリューション」が野に放たれることになった。エボは初期こそ苦戦したものの、1995年スウェディッシュラリーでの優勝を皮切りに圧倒的な力を発揮し、トミ・マキネン1996年から99年まで4連覇を達成した。が2000年以降のWR規定、マキネンの離脱などに対応しきれず、しだいに成績が落ち込み、現在WRCから撤退している。

ラリーレイドの最高峰と言われるパリ・ダカールラリーには1983年から参戦。2010年現在12回の総合優勝2001年から2007年までの7連覇を飾った。が、2009年を持ってワークス活動は撤退した。

現在アジアクロスカントリーラリーパイクスピークヒルクライムなどでプライベーター三菱で参戦している。田原文雄は2014年ランサーエボリューションⅩで全日本ラリー総合王者となっている。またスウェーデンではミラージュを用いたR5規定マシン開発されており、これがうまくいけばWRC2に三菱の名が復活する可性もある。

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