人権(じんけん、Human Rights)とは、人間の持つ権利のことである。
「人権」という表現を使う場合には、単なる権利ではなく、自然権としての人権を指すことがほとんどである。
自然権とは、誰かに与えられることなく各個人が当然持っている権利のことである。
日本で言えば、「自由権」「社会権」「参政権」などがあるが、人権をどのように分類するかについては様々な説があり、はっきりと定まっているわけではない。
とはいえ、現代の法学、社会学においては、人間が人権を持つことについて疑義を呈する学説はほぼ存在せず、守られるべき人権が存在するということについては一致しているのが現状である。
自然権というのは、人間が自然に、つまり誰かから与えられたわけではなく持っている権利のこと。
「天賦人権説」と呼ばれることもあるが、この「天」というのは具体的に権利を与える何かの存在ではなく、「天然」の天と同じで、特に何もしていない自然の状態ということである。
かつては神から与えられた権利であると考えられていたが、ホッブズ、ルソー、ロックなど、17世紀の社会契約論者により現代に近い形に整理され、系統化された。このあたりは中学校や高校で覚えさせられた人も多いだろう。
このように、自然権は与えられなくとも持っているものであるため、今日の日本含む各国の憲法では「保障する」、つまり既にあるものを侵害しないように守るという表現になっている。
概要で述べたように、人権にはたくさんの種類があり、分類の方法も多岐に渡っている。しかし、上の漠然とした説明ではあまり実感できないという人も多いだろう。
そこで、ここではいくつか実例をあげて説明していく。
「法の下の平等」とも言う。現代の法律では、イスラム法などを除き、まず確実に保証されている権利。
日本では人種、信条、性別、出自などにより差別されないことを定めた日本国憲法第14条で規定されている。
自由である権利。はっきりした成立は英国の権利章典(1689年)にさかのぼり、アメリカ合衆国独立宣言(1776年)、フランス人権宣言(1789年)を経て世界各国の憲法の柱となった、人権の基礎とも言える。
上の平等権も、ひろく見れば自由権の一部であるといえる。
日本国憲法においては、第13条がその包括規定(個人の尊重)として存在し、個別規定として経済的自由権(第22条、第29条)、精神的自由権(第19条、第20条、第21条、第23条)、人身の自由(第18条、第31~39条)などが定められている。
表現の自由(第21条)、思想の自由(第19条)、信教の自由(第20条)、学問の自由(第23条)、それに生存権(第25条)やプライバシーの権利も自由権の一種である。
20世紀に入り資本主義が発展すると、人間らしい生活を保証することが国家の重要な役割であると認識されるようになった。
ドイツのワイマール憲法(1919年)は、生存権(人間に値する生存のための経済生活を保証する権利)を確立させたことが画期的とされており、のちの日本国憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」にも影響を与えている。
掲示板
2659 ななしのよっしん
2025/03/24(月) 09:16:24 ID: Y0AUA5Jxvc
>>2658
最初から「人権を守る」って名目で人権を悪用する側の話をしているんだけどね
そして、少数のエリートによる権威主義体制への危惧が斜に構えた"反知性主義"、か……はぁ……まぁ、本来の意味には近いけども
そもそも西側民主主国家では人権とそれを実現する必要な手段の一つとしての民主主義が法律を巡る議論の根幹にある
だからこそ自分は専門家グループが人権擁護を建前に民主的な政治的意思決定プロセスをバイパスし、もはや三権分立の領分を超えて独自の判断を下すようになり、民主主義が形骸化して事実上の権威主義体制となることを問題視している
では、彼らは決して誤った判断をしない善良な賢人たちなのでバカを黙らせるために過大な権力を与えても構わないとでも? なぜそこまで専門家を神聖視する必要があるのか、まさに権威主義そのものだ
なのにも関わらず、むしろこれこそが民主主義なのだと主張して国民を騙そうとするのはやめた方が良い、このような欺騙はバレた時に高くつく
自分は専門家・学者による公衆への積極的な情報提供、公の場での彼らが偽情報と見做すものへの反論自体は否定しない
だが、例えば、反医学の主張は公衆の健康に害を与える(人権を侵害する)偽情報であるからそのような情報を広めるのは全員逮捕するということになったらどうなるか
確かにそのほとんどは悪質なデマカセなのだろうが、研究者によるデータの捏造や薬害などの事例もまた多数存在しており、とりわけ製薬会社、FDAのような規制行政、医学会から薬を処方する現場のペインクリニックの医師に至るまで米国における既存の医学の総体的な腐敗がオピオイド危機のような大惨事のキッカケになったという指摘さえある
そもそも反証可能性こそが科学と非科学とを区別する本質であり、現在の主流の科学的定説でさえ常に将来覆る可能性を秘めている
このような科学の性質上活発な議論があって然るべきだし、だからこそ上述したオピオイド危機の実態も暴かれたのだが、権力により反医学の偽情報と認定されるのを恐れてその議論さえも封殺しかねない(いわゆる萎縮効果)
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
2660 ななしのよっしん
2025/03/24(月) 09:50:26 ID: Y0AUA5Jxvc
「地獄への道は善意で舗装されている」ということわざがあるが
言論統制を主張する人間は概して自分だけが慈悲と思いやりと公共精神に満ちた高潔な人間であり、この公正な世界が与えてくれる当然の権利として自分だけに検閲官の地位を授けてもらえると思い込んでいるものだ
そもそも如何わしい意図を持った権力者によってそれが悪用されるという発想自体が存在しない、驚くべきことだ
2661 ななしのよっしん
2025/03/25(火) 00:23:58 ID: YQzS2G2j3X
Y0AUA5Jxvc氏が危惧する問題って根本的に大陸法の構造自体の問題だと思うのよね
つまり「人権を悪用する人」とか恣意的な基準じゃなく人権自体を否定して
コモン・ロー圏で言うところの市民的自由を守る方向に舵を切ったほうが
絶対にスッキリした論になると思うのよ
権利の獲得に素早く対応できるのが大陸法としての人権の重要な機能だし
それが嫌なら制定法としての人権をあくまで補助として上位法の市民的自由を重視する体制を支持したほうがいい
(秩序維持系の法根拠を人権のせいだと主張しているためこの辺がごちゃごちゃしている)
(制定法的に権利が阻害または書き換えられたときに抗弁として市民的自由が根強いのはメリット)
(ただし自分の望む権利が効力を発揮するかどうかも常に曖昧なのでトレードオフ)
・演繹(大陸法型)から帰納(英米法型)への転換
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
急上昇ワード改
最終更新:2025/03/25(火) 08:00
最終更新:2025/03/25(火) 08:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。