彗星(航空機)とは、大日本帝国海軍で使用された急降下爆撃機である。
日本における一般的であった空冷式エンジンではなく水冷式エンジンである。(のちに空冷式も登場)
日本海軍直属の研究開発機関、海軍航空技術廠(空技廠)で十三試艦上爆撃機として開発された。
空技廠はそもそも研究開発を主体としていたため、作り出された機体の多くが先進的な…悪く言えば現場の現状を無視した航空機を作っていたが、後の彗星も同様のふしが見られる。
設計思想として航続距離と高速が求められたために、空技廠は新機軸をあれやこれやとたんまり盛り込んでいったのである。
結果から言えば、彗星の高速性能自体はたいへん良いものに仕上がっている。艦偵型として先に運用が始まった二式艦上偵察機も好評をもって迎えられた。時期的に敵戦闘機を振り切れるほどではなく相対的な高速機とはならなかったが、単発複座の爆撃機としてはきわめて高速の部類である。
滑走距離が長いという艦上爆撃機らしからぬ欠点があり、翔鶴型のような大型空母でないと運用は難しく、隼鷹では彗星に頭を抱えたらしい。
エンジンはDB601Aを国産化したアツタ発動機を使用したものの、アツタ発動機は当時の日本の国力では少数生産ならまだしも大規模生産などは無理で、エンジンがないいわゆる「首なし機」が大量に生じた。もっとも、開発を取り仕切った山名正夫海軍技術中佐によれば、初めから空母艦載機中心での運用を想定しており、そう大量に生産する計画ではなかったという。
しかし、戦争が激化し激しい航空消耗戦のなかで、彗星も大増産の必要性が生じて、やむなく空冷型の金星エンジンを「首なし機」に搭載した彗星三三型が生産されることとなった。初めから水冷型エンジン搭載を想定した流線型の機体設計で、空冷の金星エンジンを搭載することによって大きな性能低下も懸念されたが、意外と金星エンジンと機体との相性がよく、最高速の低下は些少に止まった。ただし、上昇能力や運動性はやっぱり低下してしまった。
そこで、性能は多少落ちても大量の機数が必要な基地航空隊には空冷型の三三型を、そして空母搭載機や夜間戦闘機として使用する機については高性能の水冷型彗星が配備されることとなった。
のちに、夜間戦闘機隊(とは名ばかりだが)の「芙蓉部隊」を率いた美濃部正少佐が、故障だらけで稼働率が低いため、あちこちの航空隊に水冷型彗星が放置してあって、それをかき集めて芙蓉部隊の主力機にしたなどと自らの著作などに記述しているが、これは空冷型彗星への深刻な風評被害であって、「芙蓉部隊」に水冷型彗星が配備されたのは、海軍が制定した1944年10月3日付「発動機生産状況ヲ考慮シタ現用機装備発動機変更二関スル打合覚」に関連して、高性能の水冷型彗星を“夜間戦闘機隊”の“「芙蓉部隊」に“優先的”に配備されたに過ぎない。
「芙蓉部隊」ageのために広められた感もある、水冷型彗星使い物にならなかった説は、彗星全体の生産数約2,200機のうち、水冷型の一一型、一二型が合計1,400機で空冷各型が合計800機であったことや、主力工場の愛知航空機工場が空冷型彗星の生産にシフトしたのち、海軍が自ら呉の第11海軍航空敞で水冷型彗星を生産し続け、空冷型並行生産開始後にも430機も生産していることでも不当な風評被害だったことが分かるだろう。ちなみに、第11海軍航空敞で生産された新品の水冷型彗星をもっとも受け取った部隊は、各航空隊のオンボロ彗星をかき集めたはずの「芙蓉部隊」であった(笑)。
酷評されている水冷型彗星の稼働率も(10%台まで低下していたなんていう意見もあり)、空冷エンジン主体の日本軍整備士が苦手にしていたとはいえ、水冷型彗星を運用していた航空隊は、当時の日本軍の平均的な稼働率の60%は維持しており、なかには100%を維持していた航空隊もあるほど(逆に80%を主張している芙蓉部隊は、同隊の戦時中の公式報告書で算出するとせいぜい50%~60%)運用が困難になるほど稼働率が低かったというのも水冷型彗星に対する深刻な風評被害である。
とは言え、肝心の空母はマリアナ沖海戦での惨敗で実質的に戦闘能力を失っており、空冷型彗星が地上基地から特攻も含めた艦船攻撃、水冷型彗星は斜銃を搭載した夜間戦闘機として、主に日本本土に来襲するB-29の迎撃に当たって、それぞれ活躍をしている。しかし、水冷型彗星の最大の戦果は、基地航空隊に空冷型彗星が行き渡る前のレイテ沖海戦中に、ルソン島のクラークフィールド基地から出撃した彗星一二型がアメリカ軍の軽空母「プリンストン」を撃沈したことであろう。おまけに軽巡洋艦「バーミングハム」も「プリンストン」の誘爆で大破させるというダブルプレーを決めている。
一方で、夜間戦闘機隊と名乗って高性能の水冷型彗星や、重武装・重装甲の空戦特化型の零戦52型丙などの高性能機を優先的に配備してもらった芙蓉部隊は、沖縄戦で全く畑違いの夜間飛行場爆撃や艦船攻撃を行い、華々しい活躍談とは裏腹に大した戦果も挙げられないまま、戦闘内外で100機近い彗星を失っている。
その沖縄戦においては、主に空冷型彗星が約140機特攻機として出撃したが、これは零戦に次ぐ機数となり、最後までアメリカ軍を苦しめた。
そして、特攻部隊を指揮していた第五航空艦隊司令長官の宇垣纒中将は1945年8月15日、玉音放送の後に空冷型で特攻専用機として改修された彗星四三型へ搭乗、特攻出撃し消息を絶った。
掲示板
22 ななしのよっしん
2019/11/13(水) 20:09:22 ID: Amd2igLLBn
三菱やら中島半田も同郷だろうに
そもそもあんな無茶ぶりしといて逆ギレとか流石空技
程度か知れる
23 ななしのよっしん
2021/02/21(日) 03:19:49 ID: XrBA+Ddvod
記事を編集した人間の主観、主張が強すぎて
芙蓉部隊が嫌いなんだなという事しか伝わらん
24 ななしのよっしん
2023/01/24(火) 17:19:15 ID: jEv/68oBnO
>>21
亀レスで申し訳ないがそれ丸メカの記事じゃないか
愛知を田舎企業とか言ってたのは空技廠の人じゃなくて、内藤一郎っていう評論家だぞ
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最終更新:2024/05/12(日) 17:00
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