檀君 単語

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檀君とは、韓国北朝鮮伝説神話上の人物もしくは神である。朝鮮史を徴するキャラクター

  もしかしたら→壇蜜

概要

以下、高麗の僧、一然の「三遺事」による。ただし、一然は「書」からの引用と称しているが三国志書や収の北書も該当する記載はない。ひょっとしてその書の刊元は民明書房

生い立ち                                             

昔、天帝の庶子に桓雄という神がいた。桓雄はから太伯山に天下り人間界を治めていた。ある日、さんと虎に出会った。と虎は「人間になりたいです。」と願いでた。そこで桓雄はニンニクモグサを与えて、「これを食べて、引きこもりなさい。そうすれば人間になれる。」と教えた。虎は途中でこのまじないをやめてしまったが、人間の女になれた。は今度は「人間にはなれたが、夫になるものがいないので子が産めません。請い願わくば子供をお授けください。」といったので、桓雄はなんと直々に女とセクロスし、その結果産まれた子供を檀君王険と名づけた。                                            

建国                                          

BC2333年の10月3日旧暦)、成長した彼は都を平壌として、開を宣言した。「天帝よどうかお聞きください。私は天帝の孫、桓雄との子にて、檀君と申す者です。私は今ここにを開き、に鮮やかなるにちなみ、名を朝鮮とします。どうか末永朝鮮をお守りください。」これが檀君朝鮮である。その後1500年、彼はを治めたが、中国の周の武王が子という人物を朝鮮に封じたため、檀君は譲し、山ノ神になったという。

あくまでも神話

もちろん、これを歴史事実とするのは理がある。4000年前の朝鮮半島には、人はいたががあったとは考えにくい。神話には神話なりの民俗、文学的な価値があるし、歴史事実を暗に示すものもある。(例えば、八岐大蛇出雲地方を現しているという説もある。)が、神話歴史事実は基本的には別モンである。そのまま事実にはできない。
問題なのは檀君の歴史事実というのが紀元前2333年の古代ではなく、常に外敵の脅威にされ続けていた高麗時代、朝鮮民族の自意識を守るために生み出された神話であるにも関わらず韓国北朝鮮では古代歴史事実の反映にしていることである。このため、両朝鮮では紀元前に国家が成立していたことになっている。学校教科書でもそのように記載しているし、韓国wikipediaでもあったような記載になっている。中には大臣クラス人物ですら「檀君は実際に存在した」としている始末である。
ちなみに、今はあまり使われないが、檀君が即位した年を元年にした壇紀というもある。西暦に2333たせばよいので、今筆者がこれを書いている西暦2013年は壇紀4346年である。

朝鮮民族主義的歴史学

実は朝鮮は、古代大帝国を築き上げていたとする歴史学のこと。この場合は朝鮮ユーシア大陸のほとんどを支配していて、高句麗、新羅、済の三か中国本土に割拠していて唐は四を有する地方政権にしかすぎなかったとか日本も当然、済の植民地であったとされている。
でも、自はその昔、世界を支配するでしたというのは竹内文書が既にやっている。従って日帝残滓なのでば

歴史的傍証

朝鮮にとって不幸なのは、中国日本両国とも古代からの記録を残していることである。特に中国は偏執的だといってもいい。このためをついても、両国歴史書に適合する事実が残されていなければおかしいということになる。檀君が実在したのであれば史記以下の歴史書に匂わすような記述があるはずなのに、それがないのだからおかしいということになる。
実際の傍では、朝鮮植民地であったことを示している。

  • 朝鮮
    封神演義で有名な紂王の叔父である子が、殷周戦争後に朝鮮に封じられて成立したとされているもの。
    こちらは考古学の発見で姓の人間達が中国北部に移住したのが確認されているため、実在の人物であるかどうかはさておき歴史背景があったとされる。朝鮮でも李氏朝鮮まではこの考え方が流であったのだが、現代では檀君朝鮮流になっていて、半ば殺された扱いになっている。
  • 衛氏朝鮮
    初の時代、の武将であった衛満が朝鮮に逃れ、朝鮮を支配していた子の末裔に取り入ってはクーデターを起こして打ち立てた政権。三代に渡って続いたが武帝の拡大政策によって攻め滅ぼされた。古朝鮮といえば檀君、子、衛氏をすが歴史的に実在が認められるのは衛氏朝鮮だけである。しかし、衛満が中国からの亡命者であることから、朝鮮では朝鮮殺するついでに衛氏朝鮮かったことにしようともくろんでいる。

  • 武帝が衛氏を滅ぼしたあと、朝鮮本土に設置した楽浪、番、臨屯、玄菟の4群のこと。楽浪以外は々に止され、楽浪313年に高句麗に滅ぼされるまで存続した。現地政権が滅ぼされて直轄地にされたのが朝鮮民族にとっては非常に都合の悪い歴史であるため「朝鮮半島ではなく、東・西にあった」としているが、楽浪の故地である平壌から楽浪存在を明する遺跡や遺物が発見されているので朝鮮以外では妄言扱いされている。それでも交易で手に入れたものだとか、戦利品としてぶんどったものだとか、あるいは捏造だとかしているが。
  • 好太王碑
    高句麗の長寿王が父親の好大王の業績を称えて、中国に建てた石碑。当時の東北アジア事情を語る物として重な存在である。
    内容として何かとネタになるのは「新羅、済は高句麗の属であったが、倭(日本)がを渡って済と新羅を破り、属してしまった」うんぬん関係のことである。つまり、昔から日本朝鮮半島に渡ってある程度の権勢を誇っていたという意味になるので朝鮮としてはそのような事が認められるわけがなく、違った意味に解釈されている。また、日本軍が碑文を改竄したという説もあったが否定されている。
    ちなみに好太王碑以外にも、新羅の建期には瓢なる倭人が重臣として暗躍していたという話や、後期の済ではたびたび日本の援助を受けていたことが歴史書にも記載されている。

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