黒い霧事件(プロ野球)とは、プロ野球界で1969年に発覚した一連の八百長事件である。
プロ野球界にとどまらず、政界までもが介入し社会全体を巻き込んだ。
言うなれば日本版「ブラックソックス事件」!
※ 黒い霧事件は政界の方で先に起きており、こちらは1966年。
1969年当時プロ野球界では八百長が横行しており、その中でも西鉄ライオンズは悪質であった。
しかしもはや習慣と化しており、はっきりとした証拠もつかめなかったため、事件には発展しなかった。
そんな中、当然のように同チームに在籍していたカール・ボレス外野手にも八百長の依頼が持ち込まれた。
しかし、ボレスはこれを拒否、この事実をプロ野球機構に通報する。
これがきっかけで報知新聞が調査に乗り出し、読売新聞と組んで八百長の証拠を掴む。
その後、西鉄の投手であった永易将之が藤縄洋孝(暴力団関係者とされるが本人は否定している)の依頼を受け、公式戦で敗退行為(わざとチームが負けるように投げる)を行っていた事が発覚。永易は西鉄を解雇となる。
そして同年11月28日、コミッショナー委員会は永易に対してプロ野球界初となる永久追放という重い処分を下す。その後永易は世間から逃れるように札幌でひっそりと過ごしていた。
その後なんやかんやあって国会議員が永易の行方を捜してほしいという要請をすることになり、政界の介入を受ける事件へと発展する。
翌1970年4月1日に永易が他の関係者がいる事を暴露したテープが「テレビナイトショー」(フジテレビ)という深夜番組にて放送される。その後永易は国会の中で記者会見することになった。その中で公表された池永正明・与田順欣・益田昭雄・村上公康・船田和英・基満男の六人が事情聴取を受け、一ヶ月経たないうちに小型自動車競走法違反の容疑で前年引退した田中勉・高山勲、それに加え胴元の暴力団員が逮捕される。これにより田中勉・高山は事実上の永久追放処分となった。
そしてこの八百長疑惑と、オートレースでの八百長及び賭博行為にプロ野球選手が関わっていたということで疑惑はオートレース界にも波及する。
翌月には当時中日のエースであった小川健太郎、阪神タイガースの葛城隆雄がオートレースでの八百長行為で逮捕され、疑いのある選手として今度は東映の田中調、森安敏明の名前が挙がる。
5月25日、永易に告発された6人の処分が確定。池永、与田、益田の3人は永久追放処分(池永は後に復権)、村上と船田は11月30日まで野球活動禁止処分、基は厳重注意処分となった。
7月30日、小川・森安に永久追放、田中調に厳重戒告の処分が下される。
翌1971年1月11日、南海ホークスの三浦清弘がチームメイトの佐藤公博から八百長の誘いを受けてその報告を怠ったとして戒告処分となった(誘った佐藤公博は引退したためコミッショナー委員会からの処分はなかったが、事実上の永久追放となっている)。
この後も多数の選手が八百長に関わっている事が判明したが、前述のように習慣化していたため、八百長をしていた、あるいは誘いを受けた数があまりにも多く(田中勉は70人以上いたと証言している)、全員処分すればプロ野球存続に関わるとして、これ以上の逮捕者は出なかった。
また、高山・田中、胴元の暴力団が小型自動車競走法違反で逮捕されたことは、競走中の違反で送検されたオートレース選手が「プロ野球選手がオートレースの八百長に参加した疑いがある」と供述したことがきっかけである。
このため、オートレース界からも、当時の大井オートレース場のエースだった戸田茂司など現役選手19名が逮捕される事態になった。そして大井オートレース場はこれを引き金に1973年に閉鎖に追い込まれた。
西日本鉄道社長でライオンズオーナーの楠根宗生は、永易に対して550万円という莫大な「口止め料」を渡していた。しかし、永易は球団と稲尾和久新監督からさらなる資金供与を突っぱねられたことを恨みに思い、他の選手を売る告白をしたとされている。当初はこの資金供与を否定していた楠根社長であったが、すぐに翻意することとなる。西鉄は「福岡の面汚し」と非難され、楠根社長が1970年05月13日に辞任に追い込まれる事態にまで追い込まれた。
エースの池永を始め主力選手から多数の永久追放者を出した西鉄は人気、実力共に失い、1972年に身売りされる事となった。
逆にこの事件の結果東尾修は、ニ軍でも打たれ自信を失い野手転向しようと考えていたが、選手が事件で足りなくなったため一軍でフル回転する機会を得、活躍したことで太平洋クラブ・クラウンライター・西武に至るまでのエースとしてチームを支え続けることになった。なお結果的に、西鉄から西武になるまでずっとチームに所属していた投手は東尾だけである。
東尾は後に「黒い霧事件が自分にとっての最大のチャンス、ターニングポイント」と語っている。
逮捕者の数、関係した選手共にこれまでに類を見ないほどの数となり、球史に語り継がれる事となる。
現在では、この事件が深く暴力団が根付いていたプロ野球界を浄化し、最終的に観客動員数の増加につながったと評価する声もある。
オートレース関係では逮捕され、多大な影響を受けた選手として廣瀬登喜夫がいる。
ダートの神様とも謳われまさに当時現役最強であり、充実著しいときに逮捕されてしまった。
廣瀬も上記の19人に含まれていたが、実際は冤罪であり、1975年に無罪判決が出て無事に現役復帰を果たした。
しかし裁判に5年かかってしまい30代前半というオートレース選手としては一番充実する時期を裁判で失ってしまう結果になり、選手生命に大きな影響が出た。それでも廣瀬は復活できたので非常に稀有な存在である。
また、廣瀬以外の選手のほとんどが現役復帰できなかったほか、実際には無関係であった選手の中にも事情聴取を受けたことから、ファンなどから疑惑の目で見られ引退した選手もいることも事実である。
掲示板
43 ななしのよっしん
2022/07/12(火) 22:14:54 ID: k6HSEeq10Z
>>41
由来は分かるんだけど,たとえとして「コロナ禍」を出すのはちょっと違うんでは。
「コロナ禍」はちゃんと「(新型)コロナ(ウイルス)」という名前を冠してるじゃん。
44 ななしのよっしん
2023/07/27(木) 19:20:50 ID: pEhGTCqLU3
これでオートはかなり衰退したからなあ
45 ななしのよっしん
2024/01/08(月) 22:04:47 ID: J+vLYJQWYr
当時知らんけどwikiで復権とか普通に出ててビビる
時代云々にしても普通にアウトだし今も本質変わってないしダメすぎるだろ…
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最終更新:2024/04/25(木) 03:00
最終更新:2024/04/25(木) 03:00
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