ファイアフライ 単語

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ファイアフライ

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ファイアフライ(英:firefly)とは

  1. 日本語の「」に相当する昆虫類の英名。
  2. シャーマン ファイアフライ: 第二次大戦時の大英帝国陸軍戦車称。
  3. フェアリー ファイアフライ: 第二次大戦時の大英帝国複座艦上戦闘機
  4. バットマン及びDCコミックスに登場するヴィラン悪役)の一人。
  5. ゲームThe Last of Us」に登場する組織の名称。
  6. エアソフトガンカスタムパーツ製造メーカーの名称。

以下は2について記述。

概要

 WW2後期、レンリースによって提供されたアメリカ戦車M4シャーマンベース修されて作られた戦車である。当時の連合最強クラスの対戦車・オードナンスQF17ポンを装備した戦車として大戦に間に合い、イギリス軍の有な対戦車として活躍した。

開発経緯

 1942年初頭にアメリカで本格的生産が開始されたM4シャーマンは、同年中にはイギリス軍にも大量に供給される体制が整い、北アフリカ戦線天王山エル・アラメイン戦に間に合い同戦線の連合勝利の原動のひとつとなることができた。しかし翌1943年1月ドイツ軍は新戦車Ⅵ号戦車ティーガー」を投入。この重装甲とずばぬけた火力の前に、M4シャーマンは単純な勝負ではまったく太刀打ちできないことが判明したのである。

この事態に対して、

「まーいいじゃん? どーせ数出てこねーんだし今のままシャーマン量産すりゃ」

英「やべぇやべぇやべぇやべぇなんかの対策とらなきゃ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」

 既に3年間もドイツ軍相手に死闘を繰り広げてきたイギリス陸軍と、まあ日本軍相手の戦闘くらいしか経験してきてないアメリカ陸軍危機感の差というかなんというか。 かくしてイギリス陸軍早急に実戦投入できそうな対ティーガー対戦車兵器開発計画はないかと内を探しまわった結果、……ありました!

 1940年に計画開始され、42年初頭には生産ラインも立ち上げられる状態にこぎつけていたオードナンスQF17ポン(以下17ポンと略)である。はできてたけど架が未完成で、他の兵器の量産のほうが優先されたため半放置状態だったこのとりあえず既存の90ミリ級口径の小・25ポン架にのっけ前線に送り出す一方、この17ポンを搭載した戦車開発しようという計画が当然の如く持ち上がったのである。

 ところが当時の英国戦車ときたら、搭載している戦車最強のものでも6ポン(57ミリ口径)でしかなく、またに積めるの最大サイズを規定するパーツである「リング」のサイズも余裕がなく、既存の戦車ベースではほとんど新規開発に近い修の手間をかけなきゃ17ポン積めそうにないという結論に至ったのである(→チャレンジャー巡航戦車ブラックプリンス歩兵戦車)。
 17ポンをちょっと弱体化させて、搭載させやすくするという手法も考案された(→コメット巡航戦車)が、やっぱり手間はかかりそう(クロムウェル巡航戦車ベースとしたが、ほぼ新開発となった)。に積むより理せずに装備できる自走砲にしてみたらどうよという提案もあった(→アーチャー対戦車自走砲)が、使えそうなベース車両であるバレンタイン歩兵戦車からの装点が多すぎてすぐには作れそうもない。さあ困った。

 しかし大英帝国紳士めてはいけない。紳士はこういうときこそ名案を生み出すものなのである。王立砲兵学校少佐2名から、こんなこともあろうかと発案されていたのがM4シャーマン修して17ポンを搭載しようという計画であった。彼らはアフリカ戦線帰りの戦闘ノウハウ提供するためにアメリカ派遣されたことがあり、その際にM4シャーマンリングがかなり余裕を持って設計されていることを知っていたのである。
 またアメリカ軍M4シャーマンに対して「榴弾威が強い75ミリ」→「貫優先の76.2ミリ」への装計画を進めていることも知っていたため、同口径の17ポンの搭載も不可能ではないはずだとの確信を抱いていたのであった。提出当初は「んなことできるかボケ」と冷たく追い払ったのは忘れよう、今やこの計画だけが英国陸軍戦車部隊の頼みの綱だ!

修点は以下のとおり。

 これらの修は他の諸計画にべればかなり簡易なもので、他計画が英国の意地で継続されながらも予想通りに1944年以降まで実戦投入可の生産が遅れたのに対し、この「シャーマンに17ポン載せよう計画」は1944年初頭に試作完成して軍に納入を了、1944年6月6日ノルマンディー上陸作戦事に戦化を間に合わせることに成功したのである。

 ちなみに「」っていうと初にわずかに残された清流の近くできながら飛ぶはかなげな昆虫ってイメージだけど、「firefly」っつーと獰猛な昆虫イメージなんだってさ。ホントかどうかはわかんない。
 なお、これは17ポンの記述となるが、この強戦車はファイアフライだけではなく。M4と同じく米国から大量供与されたM10駆逐戦車にも、やはり体余裕を活用。片端から搭載されている。往々にして英国面と揶揄されることもあるが、ファイアフライを含むこの速・的確な対応は評価すべきだろう。

戦史

 造兵での最優先事業としてファイアフライへの修作業が進められた結果、1945年5月までに2000両を越えるファイアフライが完成している。アメリカ軍も中戦車火力増強を結局やらざるを得ない状況に追い込まれたため、かなりの数のファイアフライを発注しており、大戦が長引いていれば生産数はまだまだ増加していたであろう。生産のボトルネックとなったのは実のところ17ポンの生産が間に合わないのが大きな理由だったとかなんとか

 そういうわけで火力こそV号戦車Ⅵ号戦車と対等になったが防御はちっとも変わってないため、実運用としては通常タイプシャーマン戦車に前に立ってもらい、それに反応して敵戦車が動き出したところでファイアフライが前に出て攻撃するという戦法を取ることが多かった。
 これにはもうひとつ理由があり、17ポンにおける対戦車戦闘の切り札であるAPDS世界初の採用!)はこの時期はまだ技術が未熟で遠距離での照準が安定せず、どうしても500メートル程度の至近距離まで接近することが必要であったためである。そのぶんドイツ軍にもそのは極めて危険と判断されており、長い身と盛大な発射炎で簡単に判別がつくファイアフライは常に最優先攻撃標として警されていた。え? APDS使わなきゃいいのにって?

 ごもっとも。そういうわけで通常徹甲弾使うことも多かったんだけど、その場合の貫はまあ口径と初速なりの威なので、やっぱりドイツ戦車相手にはけっこう接近する必要がありました。但し58口径と長身で、室も大きかったため、通常の3インチより高威。後はAPDSの数が不足気味なので、こっちも重宝したそうです。

 投入された戦線は当初はフランス等だったが、後にイタリア戦線にも投入されている。戦史の中でもっとも名高いのが、1944年8月、高名なSS士官であり先々には「ヴィレル・ボカージュの戦い」でイギリス軍相手に無双やったばかりのミハエル・ヴィットマン搭乗のティーガーを撃破し彼を討ち取ったことであろうか。ティーガーを討つために生み出された戦車は、見事にその任を果たしたのである。

 大戦終結後、装甲・火力・機動ともに秀でた期待の中戦車センチュリオンの配備に伴いファイアフライは退役していき、戦後欧州の軍備再建の礎として中古市場に流れていくこととなった。一部アラブにも売られていったファイアフライが後のレバノン内戦でも使われたという話もあるが、事実かどうかは不明である。

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