アカテナンゴ(Acatenango)とは、以下のものを指す。
以下、2について詳述する。
父は1977年のドイチェスダービーを勝って種牡馬としても本馬が活躍した1985年を皮切りに1990~92年の3年連続を含む6回のドイツリーディングサイアーとなったSurumu、母はイギリスで走り1969年パークヒルS(現GII)を勝つなど11戦3勝のAggravate、母父は1960年のキングジョージVI世&クイーンエリザベスSを勝つなど20戦11勝のAggressorという血統。
父系は5代前までのうち1968年に1番人気で迎えたレース中の故障で5着に敗れてそのまま引退した祖父Literatを除く4頭がドイチェスダービー馬というコテコテのドイツ血統、一方の母はイギリスからの輸入馬という組み合わせである。
西ドイツ(当時)のコーヒーブランド・ヤコブスの創業者の甥であり、この当時の代表者でもあったヴァルター・ヨハン・ヤコブスが家業の傍ら営んでいたフェアホフ牧場の生産・所有馬として、名伯楽ハインツ・イェンチ師の管理馬となった。
2歳6月にハノーファー競馬場のハルツブルク牧場賞(1000m)でデビューするが、ここでは10着と大敗。2週間後のブレーメン競馬場のフェアホフ牧場賞(1400m)を4馬身半差で勝利したが、続けて出走したバーデンバーデン競馬場のシュロスエーベルシュタイン賞(1400m)では勝ち馬から5馬身差の3着に終わった。続くラーティボーアレネン(L・1400m)では同じフェアホフ牧場の生産・所有馬で厩舎も同じLirungの4馬身1/4差3着に敗れ、ヴィンターファヴォリテン賞(GIII・1600m)でもLirungから14馬身差の5着に敗れてシーズンを終えた。2歳時は5戦1勝だった。
3歳時は距離を伸ばしてケルン競馬場のヤンハルツハイムレネン(2200m)から始動したが、距離延長が噛み合って2馬身差で勝利。続くミュンヘン競馬場のエッティンゲンヴァラーシュタイン記念(L・2000m)は8馬身差で圧勝すると、ヘルティー国際大賞(GII・2200m)はイギリスからの遠征馬Assemblymanに3馬身差、ウニオンレネン(GII・2200m)はKamirosに2馬身差をつけて初重賞勝利から重賞連勝を飾り、5戦無敗の僚馬Lirungに続く2番人気でドイチェスダービー(GI・2400m)を迎えることとなった。このレースでは逃げるLirungの後ろで追走する形となり、勝負どころで抜け出すと2着に入った同厩(生産・所有者は別)のPontiacに3馬身差をつけて初GI勝利を飾った(Lirungは3着)。
次走は古馬相手となるアラルポカル(GI・2400m)となった。本馬の2歳上の甥(母Antioquiaが本馬の11歳上の半姉)で前年までベルリン大賞を2連覇していたAbaryを抑えて1番人気に支持されると、その支持に応えてAbaryに1馬身3/4差で勝ち、古馬相手のタイトルも手にした。
3歳時はアラルポカルが最後の出走となったが、6戦6勝でドイツ年度代表馬に選出された。
4歳時は5月のゲルリンク賞(GIII・2400m)から始動し3馬身差で楽勝すると、続くバーデン経済大賞(GII・2200m)でも5馬身1/4差で完勝した。更にフランスに遠征して臨んだサンクルー大賞では、当年のコロネーションカップを勝った同世代の地元馬*サンテステフに2馬身差をつけて勝利し、他国遠征でも実力を見せた。
自国に戻ってきたアカテナンゴは中2週でベルリン大賞(GI・2400m)に出走し、前年のアイリッシュダービーで2着だったTheatricalを2馬身差の2着に破って10連勝を達成した。そのままアラルポカルでは当年のドイチェスダービー3着馬El Saltoを1馬身1/4差の2着に退け、バーデン大賞(GI・2400m)では前年のイタリア大賞と伊ジョッキークラブ大賞を勝利していたイギリス調教馬St. Hilarionに5馬身差をつけて連勝は12に伸びた。
もはや他国の馬を交えてもドイツ国内では無敵を誇るようになっていたアカテナンゴはこの勢いに乗り、再びフランスへ渡って凱旋門賞に挑戦したが、この年は*ダンシングブレーヴや*シャーラスタニ、Bering、Triptychといった強豪が顔を揃えたレース史上トップクラスのメンバー構成だった。その中でも3番人気に推されたアカテナンゴは先行策を取ったが、最後は桁外れの末脚で追い込んだ*ダンシングブレーヴを筆頭とする後方勢に差され、4馬身差の7着に終わった。
凱旋門賞で負けただけの7戦6勝という素晴らしい成績でこの年はシーズン終了となり、2年連続でドイツ年度代表馬に選出された。
5歳時は前年同様にゲルリンク賞から始動し、1馬身半差で勝利した。続けてイギリスに遠征してコロネーションカップに出走したが、前年の凱旋門賞で3着の後にチャンピオンSとガネー賞を勝っていたTriptychの1馬身差3着に惜敗した。
一度自国に戻ってハンザ賞(GII・2200m)を5馬身差で圧勝した後、再び渡英しキングジョージVI世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに出走したが、ここではTriptychや当年の英ダービー馬Reference Point、前年のセントレジャーと当年のサンクルー大賞を勝利した*ムーンマッドネス、共和国大統領賞やミラノ大賞を勝っていたイタリアの*トニービンなどのメンバーが揃っており、Reference Pointに逃げ切られて9馬身1/4差の6着に大敗した。
帰国するとバーデン大賞で*ムーンマッドネスを半馬身差の2着に抑えて連覇したが、続くオイロパ賞(GI・2400m)ではかつてウニオンレネンで本馬の2着に敗れた後にドイチェスセントレジャー(GII)、ドルトムント大賞(GIII)と重賞を2勝していたKamirosが初GI勝利を決める中、2歳時以来の自国での黒星となる8着に敗戦。このレースを最後に引退となった。
通算成績は24戦16勝・GI7勝で、引退年も3年連続のドイツ年度代表馬に選出された。1957年から設けられたドイツ年度代表馬に3回選出されたのは本馬の他に1981年のドイチェスダービー馬Orofino(1981~83年)、2021年の凱旋門賞馬Torquator Tasso(2020~22年)の2頭のみである。
獲得賞金174万4541マルクは当時のドイツ記録、重賞13勝は当時の欧州記録タイであった。
引退後は生産牧場であるフェアホフ牧場で種牡馬入りし、2世代目から1993年のドイチェスダービー馬Landoなどが出て同年のリーディングサイアーを獲得。その後も活躍馬を次々に送り出して1993・95・97・99・2001年のドイツリーディングサイアーとなる大成功を収めた。
2004年に受精率低下のため種牡馬を引退し、2005年4月2日に放牧中の事故のため23歳で安楽死措置となった。種牡馬を引退した2004年にもBlue Canariがジョッケクルブ賞を勝つなど、最後まで勢いは衰えなかった。
母父としてはケンタッキーダービーとドバイワールドカップを優勝した*アニマルキングダムなどの産駒がいるが、日本でこの馬の血脈を語るには特にワールドエース、ワールドプレミア、ヴェルトライゼンデを送り出した*マンデラ(2003年ディアナ賞3着)の繁殖牝馬としての活躍を欠かすことは出来ないだろう。他にも*バランセラの牝系からはライトウォーリア(2024年川崎記念)などが出ており、アカテナンゴの血統は年々存在感を強めていると言える。今後も子孫から活躍馬を多く送り出していくことが期待される。
| Surumu 1974 栗毛 |
Literat 1965 鹿毛 |
Birkhahn | Alchimist |
| Bramouse | |||
| Lis | Masetto | ||
| Liebeslied | |||
| Surama 1970 青毛 |
Reliance | Tantieme | |
| Relance | |||
| Suncourt | Hyperion | ||
| Inquisition | |||
| Aggravate 1966 鹿毛 FNo.11-a |
Aggressor 1955 鹿毛 |
Combat | Big Game |
| Commotion | |||
| Phaetonia | Nearco | ||
| Phaetusa | |||
| Raven Locks 1945 青毛 |
Mr. Jinks | Tetratema | |
| False Piety | |||
| Gentlemen's Relish | He | ||
| Bonne Bouche | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
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最終更新:2025/12/26(金) 03:00
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