さとう珠緒ほど、世代によって印象が変わるバラドルも珍しいかもしれない。
概要
1973年1月2日生まれ、千葉県船橋市出身 本名は「佐藤珠緒」。
公称スペックは、身長156、B83、W57、H84 cm。
1988年に雑誌社主催のオーディションで準優勝したのを機にデビュー。グラビアモデルとして活動を始める。
1995年、「超力戦隊オーレンジャー」にて、珠緒名義でオーピンク/丸尾桃役としてレギュラー出演。まずは子どもたちのヒーローとして認知度を上げる。
そしてオーレンジャーの放送終了後から現在の「さとう珠緒」表記に改名。
1996年からは初代ミニスカポリスとしてバラエティやグラビアで活躍。また、この年にはゲーム「THE KING OF FIGHTERS '96」にて、プレイアブルキャラクターの1人、麻宮アテナの声を担当。アレンジ版のサントラCDには、書き下ろしのイメージソングも収録されている。
1996年には出動!ミニスカポリスに出演することとなり、男性メインに更に人気を博すこととなる(5代目のミニスカポリスには激走戦隊カーレンジャーのピンクレーサー役の来栖あつこが居る)。
1997年からはフジテレビの競馬中継にレギュラー出演。馬券用語の「大穴」を大きな女性器を指す言葉と勘違いするというエピソードが語り草となっているが、祖父が船橋競馬の厩務員だったこともあって馬や競馬に関する見識は元々あり、スポーツ新聞などで披露していた予想も決して素人目での判断ではなかったため、競馬ファンからの支持も得た。ちなみに好きな競走馬はスペシャルウィーク。
そんな経歴から、特撮ヒロインを経て親子2代で愛されるアイドルという流れを作った先駆者として、今でも語られる1人であり、来栖あつこや山田まりやはその道の後輩に当たる(来栖は上記から二重三重の意味で後輩である)。
2002年頃から、人を見つめるときに目が潤む様子を毒舌芸人にぶりっ子と評されたことで、女性から敬遠されるようになる。しかし、この評を逆手に取り、「ぷん、ぷん!」という効果音とともに、両手をにぎりこぶし状にして頭上へかざす怒りのポーズ(というよりもはや持ちギャグ…)など、近年では年の割に落ち着かない(ちょっと痛い)お姉さんというイメージが優先されているようにも見える。
2011年には「海賊戦隊ゴーカイジャー」にて星野吾郎/オーレッド役の宍戸マサルと共に丸尾桃/オーピンクを再度演じた。なお最初の方の出オチぶり脚本を感じさせない様子に衝撃を受けた人も少なくないだろう。ちなみにオーレンジャーから15年ほど経っていたが、見た目の若々しさと当時の衣装を着れるスタイルの維持っぷりにも衝撃を受けた視聴者は多かったようだ。
が、スーパー戦隊シリーズしか知らない人はある番組で恐怖を覚えただろう。
その名は「愛のエプロン」という料理バラエティ番組。この番組ではレシピなしで、しかもキッチンには紛らわしい食材が名前も書かれずにいくつか設置されているのでうっかりミスがジャッジマン&ジャッジウーマンの命を落とす事に繋がりかねない番組であった。彼女はこの番組で数々の凶行に出て、視聴者とジャッジマン&ジャッジウーマンを震え上がらせた(もちろん、本来の意味で)。
...動物愛護団体からクレームが入っても致し方ない調理方法であることは間違いない。
流石に番組がゴールデンタイムに移動してからは料理の腕も上がっているのでご安心を。
2015年には前所属事務所のプチスマイルの菊池玲子社長から裁判をふっかけられるも全面勝訴したが、何故かさとう側の評判が下がった上に菊池からネガキャンだけでなく仕事への手回しがあったとされ、表舞台から姿を消すことになるも、ぴゅあチャンや競馬などの仕事でつないでいた模様。
さらに、「主治医が見つかる診療所」で後頭部に小さいながら脳梗塞が5か所あると判明、後に脳梗塞は5つとも無くなり回復している(原因は裁判でのストレスによる過度の飲酒とサウナ好きと言われている)。
2018年には「主治医が見つかる診療所」で脳動脈瘤の可能性が高い3mmのコブも見つかっている(但し脳動脈瘤そのものではなく、なる可能性が少なからずあるものとのこと)。
2023年には相席食堂で「五十路ぶりっ子」という新境地開拓を宣言していた。
2025年現在はタレント業ではクイズ!脳ベルSHOWにて豪運を発揮して優勝したり、女優業もやっており舞台や映画などに出演しているなど、仕事が増えつつある模様。
また、オーレンジャー30周年イベントでは自己紹介をトチったり、相変わらずの天然ぶりを発揮してはメンバーやお客から笑いをかっさらっていた。
関連動画
関連商品
関連項目
- グラビアアイドル
- 女優の一覧
- 超力戦隊オーレンジャー
- 中村玉緒(同じ名を持つ同士で共演経験もある)
- 3
- 0pt

