イギリス王の一覧とは、いわゆる「イギリス王国(英国)」のうち、1066年のノルマン・コンクエスト以後の「イングランド王国」の王、及び1707年成立の「グレートブリテン王国」の王、及び1801年成立の「グレートブリテンおよびアイルランド連合王国」の王、そして1922年以後の「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」の王の一覧である。
ノルマン朝
| 王 (通称) | 在位 (生没年) | 血縁関係・その他備考 |
|---|---|---|
| ウィリアム1世 (征服王) |
1066年 ~ 1087年 | (ノルマンディー公ギョーム2世) |
| (1027年 ~ 1087年) | ||
| ウィリアム2世 (赤顔王) |
1087年 ~ 1100年 | ウィリアム1世の3男 |
| (1060年? ~ 1100年) | ||
| ヘンリー1世 (碩学王) |
1100年 ~ 1135年 | ウィリアム1世の4男 ノルマンディー公ほか |
| (1068年 ~ 1135年) | ||
| スティーブン |
1135年 ~ 1154年 | ウィリアム1世の外孫(ブロワ家) 女帝モード派と王位を争う「無政府時代」 |
| (1096年? ~ 1154年) |
対立王
| 王 (通称) | 在位 (生没年) | 血縁関係・その他備考 |
|---|---|---|
| マティルダ (女帝モード) |
1141年4月 ~ 同11月 | ヘンリー1世の娘 神聖ローマ帝国皇后 アンジュー伯妃(フランス貴族) |
| 1102年 ~ 1167年 |
プランタジネット朝 (アンジュー朝)
| 王 (通称) | 在位 (生没年) | 血縁関係・その他備考 |
|---|---|---|
| ヘンリー2世 | 1154年 ~ 1189年 | マティルダ(女帝モード)の子 ノルマンディー公・アンジュー伯ほか |
| (1133年 ~ 1189年) | ||
| リチャード1世 (獅子心王) |
1189年 ~ 1199年 | ヘンリー2世の3男 ノルマンディー公・アキテーヌ公ほか |
| (1157年 ~ 1199年) | ||
| ジョン (失地王、欠地王) |
1199年 ~ 1216年 | ヘンリー2世の5男 初めて「アイルランド卿」を自称 |
| (1167年 ~ 1216年) | ||
| ヘンリー3世 | 1216年 ~ 1272年 | ジョン王の長男 アキテーヌ公 |
| (1207年 ~ 1272年) | ||
| エドワード1世 (長脛王) |
1272年 ~ 1307年 | ヘンリー3世の長男 アキテーヌ公 |
| (1239年 ~ 1307年) | ||
| エドワード2世 | 1307年 ~ 1327年 | エドワード1世の4男 最初の「プリンス・オヴ・ウェールズ」 |
| (1284年 ~ 1327年) | ||
| エドワード3世 | 1327年 ~ 1377年 | エドワード2世の長男 王子にエドワード黒太子 フランス王位を要求(百年戦争開始) |
| (1312年 ~ 1377年) | ||
| リチャード2世 | 1377年 ~ 1399年 | エドワード黒太子の長男 廃位後、幽閉され餓死 |
| 1367年 ~ 1399年 |
ランカスター朝
※ランカスター家はエドワード3世の4男にはじまるプランタジネット家分家のひとつである
※赤薔薇の紋章
| 王 | 在位 (生没年) | 血縁関係・その他備考 |
|---|---|---|
| ヘンリー4世 | 1399年 ~ 1413年 | ランカスター公ジョン・オヴ・ゴーントの長男 (=エドワード3世の孫) リチャード2世より王位簒奪 |
| (1367年 ~ 1413年) | ||
| ヘンリー5世 | 1413年 ~ 1422年 | ヘンリー4世の次男 王妃キャサリン・オヴ・ヴァロア |
| 1387年 ~ 1422年 | ||
| ヘンリー6世 | 1422年 ~ 1461年(廃位) 1470年 ~ 1471年(復位) |
ヘンリー5世の唯一の子 百年戦争に最終的敗北(1453年) 薔薇戦争(1455年~) |
| 1421年 ~ 1471年 |
ヨーク朝
※ヨーク家はエドワード3世の5男にはじまるプランタジネット家分家のひとつである
※白薔薇の紋章
| 王 | 在位 (生没年) | 血縁関係・その他備考 |
|---|---|---|
| エドワード4世 | 1461年 ~ 1470年(廃位) 1471年 ~ 1483年(復位) |
ヨーク公リチャードの次男 (=エドワード3世の玄孫) |
| (1442年 ~ 1483年) | ||
| エドワード5世 | 1483年4月 ~ 同6月 | エドワード4世の長男 叔父リチャードにより廃位 弟ともにロンドン塔に幽閉され餓死? |
| (1470年 ~ 1483年?) | ||
| リチャード3世 | 1483年 ~ 1485年 | エドワード4世の弟 ヘンリー・テューダーと戦い戦死 (薔薇戦争の終焉) |
| (1452年 ~ 1485年) |
テューダー朝
※ヘンリー7世の母方はランカスター家一族だが、ヘンリー4世に王位継承権を否認されている
※ヘンリー7世を単なる簒奪者とする見方も有る
| 王 (通称) | 在位 (生没年) | 血縁関係・その他備考 |
|---|---|---|
| ヘンリー7世 | 1485年 ~ 1509年 | キャサリン・オヴ・ヴァロアの再婚相手の孫 母はランカスター家傍系の出身 女系に基づくランカスター家系の正統を主張 |
| (1457年 ~ 1509年) | ||
| ヘンリー8世 | 1509年 ~ 1547年 | ヘンリー7世の次男 6度王妃を変えたことで有名 初めて「アイルランド王」を自称 |
| (1491年 ~ 1547年) | ||
| エドワード6世 | 1547年 ~ 1553年 | ヘンリー8世の3人目の王妃の男子 |
| (1537年 ~ 1553年) | ||
| メアリー1世 (ブラッディ・メアリー) |
1553年 ~ 1558年 | ヘンリー8世の最初の王妃の娘 |
| (1516年 ~ 1558年) | ||
| エリザベス1世 (処女王、栄光者) |
1558年 ~ 1603年 | ヘンリー8世の2人目の王妃の娘 ローマ教皇やカトリック諸国からは 正統性を認められず |
| (1533年 ~ 1603年) |
対立王
| 王 (通称・別称) | 在位 (生没年) | 血縁関係・その他備考 |
|---|---|---|
| ジェーン・グレイ (9日間の女王) |
1553年7月10日 ~ 同19日 | 母系でヘンリー7世の曾孫 反メアリー1世派に擁立されるも廃位 ロンドン塔幽閉ののち処刑 |
| (1537年 ~ 1554年) | ||
| フィリップ (スペイン王フェリペ2世) |
1554年 ~ 1558年? | メアリー1世の夫(共同王を自称) ローマ教皇がエリザベスの正統性を 認めなかったため、資格ありとされる |
| (1527年 ~ 1598年) | ||
| メアリー・ステュアート (スコットランド女王メアリー1世) |
1558年より要求 | 父方祖母がヘンリー7世の娘 エリザベスの正統性をたびたび攻撃 幾多の政争の後エリザベスにより処刑 |
| (1542年 ~ 1587年) |
ステュアート朝
| 王 (別称) | 在位 (生没年) | 血縁関係・その他備考 |
|---|---|---|
| ジェームズ1世 (スコットランド王ジェームズ6世) |
1603年 ~ 1625年 | メアリー・ステュアートの男子 エリザベス1世の遺言により即位 以後スコットランドとの同君連合 |
| (1566年 ~ 1625年) | ||
| チャールズ1世 (スコットランド王チャールズ1世) |
1625年 ~ 1649年 | ジェームズ1世の次男 清教徒革命(1642年)により廃位・処刑 |
| (1600年 ~ 1649年) | ||
| チャールズ2世 (スコットランド王チャールズ2世) |
1649年 ~ 1685年 ※(1659年 ~ 1685年) |
チャールズ1世の長男 王政復古(1659年)までフランスに亡命 |
| (1630年 ~ 1685年) | ||
| ジェームズ2世 (スコットランド王ジェームズ7世) |
1685年 ~ 1688年 | チャールズ1世の次男 名誉革命(1688年)により廃位・追放 |
| (1633年 ~ 1701年) | ||
| メアリー2世 (スコットランド女王メアリー2世) |
1689年 ~ 1694年 | ジェームズ2世の長女 名誉革命により嫁ぎ先より帰国・即位 |
| (1662年 ~ 1694年) | ||
| ウィリアム3世 (オランダ統領ウィレム3世) (スコットランド王ウィリアム2世) |
1689年 ~ 1702年 | メアリー2世の夫 ジャコバイトを排除する王位継承法制定 アイルランドを完全征服 |
| (1650年 ~ 1702年) | ||
| アン (スコットランド女王アン) |
1702年 ~ 1714年 | ジェームズ2世の次女 1707年より「グレートブリテン王」 |
| (1665年 ~ 1714年) |
清教徒革命による共和制 (護国卿)
| 護国卿 | 在位 (生没年) | 血縁関係・その他備考 |
|---|---|---|
| オリヴァー・クロムウェル |
1653年 ~ 1658年 | 清教徒革命の立役者 護国卿就任以後は独裁者 アイルランドをほぼ征服 |
| (1599年 ~ 1658年) | ||
| リチャード・クロムウェル | 1658年 ~ 1659年 | オリヴァーの3男 王政復古により失脚・亡命 |
| (1626年 ~ 1712年) |
対立王 (ジャコバイト)
※名誉革命後、ジェームズ2世の男系子孫が王位の正統を主張
※直系断絶後は、ステュアート家の遠縁をたどって一部信奉者により擁立されるにとどまる
| 王位要求者 (通称) | 要求年 (生没年) | 血縁関係・その他備考 |
|---|---|---|
| ジェームズ2世 | 1688年 ~ 1701年 | 名誉革命で廃位 フランスへ亡命 |
| (1633年 ~ 1701年) | ||
| 「ジェームズ3世」 (大僭称者) |
1701年 ~ 1766年 | ジェームズ2世の長男 1715年の反乱に乗じて帰国するも 復位には失敗 |
| (1688年 ~ 1766年) | ||
| 「チャールズ3世」 (小僭称者) |
1766年 ~ 1788年 | 「ジェームズ3世」の長男 1745年にスコットランドで反乱を 起こすも失敗してフランスへ逃亡 |
| (1720年 ~ 1788年) | ||
| 「ヘンリー9世」 (ヨーク枢機卿公) |
1788年 ~ 1807年 | 「ジェームズ3世」の次男 イタリアで聖職者(枢機卿) 子孫無くジャコバイトの直系は断絶 |
| (1725年 ~ 1807年) |
ハノーヴァー朝
※ジャコバイト排除のための特殊な王位継承法により、ステュアート家の女系の遠縁をたどって即位
※ハノーファーはドイツ北西部の国家(英語読みがハノーヴァー)
| 王 (同君連合) | 在位 (生没年) | 血縁関係・その他備考 |
|---|---|---|
| ジョージ1世 (ハノーファー選帝侯ゲオルク1世) |
1714年 ~ 1727年 | 母方の曾祖父がジェームズ1世 王位継承法により即位 「君臨すれど統治せず」の先駆け |
| (1660年 ~ 1727年) | ||
| ジョージ2世 (ハノーファー選帝侯ゲオルク2世) |
1727年 ~ 1760年 | ジョージ1世の長男 |
| (1683年 ~ 1760年) | ||
| ジョージ3世 (ハノーファー王ゲオルク3世) |
1760年 ~ 1820年 | ジョージ2世の孫 1801年より「グレートブリテンおよび アイルランド連合王」 |
| (1738年 ~ 1820年) | ||
| ジョージ4世 (ハノーファー王ゲオルク4世) |
1820年 ~ 1830年 | ジョージ3世の長男 1811年~20年まで摂政王太子 王妃と不仲のため男子無し |
| (1762年 ~ 1830年) | ||
| ウィリアム4世 (ハノーファー王ヴィルヘルム) |
1830年 ~ 1837年 | ジョージ3世の3男 子供はみな庶子のため 王位継承から除外 |
| (1765年 ~ 1837年) | ||
| ヴィクトリア |
1837年 ~ 1901年 | ジョージ3世の4男ケント公の娘 ハノーファーが女王制度の無い国のため同王位は叔父エルンストが相続 |
| (1819年 ~ 1901年) |
ハノーヴァー朝 (サクス=コーバーグ=ゴータ朝)
※ヴィクトリアの王配アルバート公の家名「ザクセン=コーブルク=ゴーダ家」に由来
※ハノーヴァー朝の一部だが、新王朝と見る場合あり
| 王 (通称) | 在位 (生没年) | 血縁関係・その他備考 |
|---|---|---|
| エドワード7世 | 1901年 ~ 1910年 | ヴィクトリアの長男 チャールズ現王太子が超えるまで最長の王太子(プリンス・オヴ・ウェールズ)在位記録 |
| (1841年 ~ 1910年) |
ウィンザー朝
※第一次世界大戦の敵国ドイツに由来する家名を嫌って改名 (1917年)
※次王チャールズからは「マウントバッテン=ウィンザー家」に改名予定
| 王 | 在位 (生没年) | 血縁関係・その他備考 |
|---|---|---|
| ジョージ5世 | 1910年 ~ 1936年 | エドワード7世の次男 アイルランド独立により1922年以後「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王」 |
| (1865年 ~ 1936年) | ||
| エドワード8世 | 1936年1月 ~ 12月 | ジョージ5世の長男 愛人ウォリス・シンプソンと結婚するため王位を放棄(王冠をかけた恋) |
| (1894年 ~ 1972年) | ||
| ジョージ6世 |
1936年 ~ 1952年 | ジョージ5世の次男 兄王の突然の退位により急遽即位 |
| (1895年 ~ 1952年) | ||
| エリザベス2世 |
1952年 ~ 2022年 | ジョージ6世の長女 2007年にヴィクトリアを抜いて 最長在位記録 |
| (1926年 ~ 2022年) | ||
| チャールズ3世 |
2022年 ~ (現在) | エリザベス2世の長男 ダイアナ・フランセスとの間に2子を儲けた のちに離婚。その後カミラ・シャンドと再婚 |
| (1948年 ~ ) |
関連項目
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