タカクラヤマとは、1947年生まれの日本の競走馬、種牡馬である。
主な勝ち鞍:1951年天皇賞(春)、1950年チャレンジカップ、1951年鳴尾記念(春)
血統
父はセフト。ザテトラーク系に属する種牡馬で、彼が産まれた年からリーディングサイアーとなり、以後数年間、日本で他の種牡馬を勝ち数で圧倒した。
母は峰城。戦前の大種牡馬トウルヌソルを父に、旧四歳で僅か3戦のうちに帝室御章典を勝った月城(競走馬名:クレオパトラトマス)を母に持つ、星旗牝系の一頭である良血馬である。
戦歴
平坦なる世代戦
1947年札幌の星川泉士厩舎に入厩。1着1回2着2回の競争成績を残した後、京都の坂本勇次郎厩舎に転厩したようだ。その後、5戦4勝して、この年からできた関西の旧三歳王者決定戦阪神3歳ステークスに出走する。ここで、人気を奪ったのは同じセフト産駒で6連勝中のウイザード。結果の着順も人気通りに決着。ウイザードはこの後も連勝を伸ばし、クリフジに並ぶ11連勝を達成する。
ともかく、四歳になったタカクラヤマは三冠競走に駒を進めた。のだが、この年の三冠競走の主役は彼ではなかった。父プリメロ、母父シアンモアのフラストレート牝系という小岩井農場の結晶のような血統だったクモノハナがこの皐月賞で覚醒。ここまで、10戦して1勝しかしていなかった彼だが、不良馬場は兎角得意だった。そしてその不良馬場となった皐月賞では、ハイレコード以下2馬身後方にやって勝利。26頭立てとなったダービーでも、雨で馬場が不良になると、1番人気1着でゴールを駆け抜け、馬産中止となった小岩井農場に最後の栄冠をもたらした。当のタカクラヤマは7着と16着。
タカクラヤマは3つ目の菊花賞に向かったが、直線先頭に立ち三冠を狙うクモノハナを、その後ろからハイレコードが追い込んで文字通りの記録的レコードでアタマ差勝利を挙げるというレースを後方から見るに終わった。
暮れにこの年始まったチャレンジカップに勝利して彼の旧四歳は終わりを迎える。
誉高き頂きへ
三冠競走を取れなかった当時の競走馬として狙うは、当然天皇賞盾の奪取であった。前年の天皇賞馬オーエンスに負けつつ、オープンで2勝を挙げて臨んだ1951年天皇賞(春)。ここには1949年クラシック競走の二冠馬トサミドリが出走。また、1番人気はタカクラヤマと同じく3冠競走を皆勤したハタカゼであった。しかし、3番人気だったタカクラヤマはここで激走。大一番を勝利で飾り栄えある天皇賞馬となった。
その後の彼は京都記念(春)やオープンを走りつつ、鳴尾記念(春)のレコード勝利で引退……、とはならずなぜか地方で走っていたらしい。まあ、ダービー牝馬が繁殖能力がないとはいえ、競争に引っ張り出されたくらいには馬資源のない時代だったので、さもありなんといったところ。
種牡馬として
7度のレコードを出していただけあって、八大競走勝馬こそ産駒に現れなかったものの、それなりに重賞馬、障害重賞馬を輩出した。
だが、最も血統的な影響を後世に与えた産駒はミトタカラだろう。彼はアングロアラブではあったのだが、スマノダイドウを輩出したことで、タカクラヤマの血統、ひいては日本におけるザテトラーク系競走馬の延命に寄与し、21世紀を迎えたどころかなんと2010年代になっても走っている子孫が居た。地方最多勝利を挙げたモナクカバキチは最末期の彼の父系子孫である。
関連動画
ないです。アングロアラブには山ほど彼の子孫が居るからそちらをどうぞ。
血統
関連リンク
関連項目
タカクラヤマ 1947
|アヤノボル 1955
|イチヤマヒカリ 1956
||ビツグスリー 1965
|||スピードコンカ 1973
|||バドルオージャ 1974
|||イチタケオー 1979
|||イケフジキング 1982
||フクセンシヨウ 1968
||キングユワブチ 1970
|マスホマレ 1956
||プレシヤスゴールド 1966
||イヨギ 1967
||ヒカリマスホマレ 1967
||タマガワホース 1969
||リユウタカシ 1969
||マスホウザン 1971
||オオタワラオー 1972
||マスエイカン 1973
||ダイリキホマレ 1974
|||ダンデイマルトヨ 1986
||リョクシュ 1974
||オオタワラ 1980
|ミトタカラ 1956
||サトーエース 1967
|||ナンシユーホマレ 1975
||スマノダイドウ 1970
|||マルケンダイドウ 1977
||||アキヒロホマレ 1985
|||サチエノヒリユウ 1978
||||ハチノカイウン 1988
||||オカノヒリュウ 1989
||||スペシャルヒリュウ 1990
|||サンリキユウ 1978
|||スチールアイアン 1978
|||アキノダイドウ 1979
|||ジユウジホーク 1979
|||ハクバフアースト 1979
|||ウインウイング 1980
|||オオトヨホマレ 1980
|||ハギノニユーグリン 1980
|||ハツタダイドウ 1980
||||ハッコウマーチ 1989
|||ホーエイパレード 1980
||||タカサゴスピード 1988
|||スマノヒツト 1981
||||ワカゾノヒット 1989
||||ヘイセイパウエル 1991
||||セキメイヒット 1992
|||リキハイ 1981
|||カゼノトウザイ 1983
|||スマノアスカ 1983
|||タイヨウペガサス 1983
||||ガバナービンテージ 1992
||||フクヨシオー 1993
|||ダンデイダイドウ 1984
|||ホマレブルシヨワ 1984
||||ホマレショウハイ 1992
|||オタルホーマー 1985
|||センターセフト 1985
|||マルセンダイドウ 1985
|||トヨクラバイオー 1986
|||ソノダエース 1987
|||ウエストホーオー 1988
|||フィニッシュライン 1988
|||ヘイセイヤマト 1988
|||シリウスアルファ 1989
|||フジノオトギリソー 1990
|||コノミテイオー 1991
|登友 1957
- 1
- 0pt