アングロアラブとは、中近東を原産とするアラブ種の馬とサラブレッドを交配された馬の種類のひとつである。
出走表などの父・母欄では「アア(アングロアラブ○○(馬名)」と表記される。
日本の競馬カテゴリーではアラブ系と規定されてる馬の血量が25%以上だとアングロアラブとして扱われる。逆に言えば、サラブレッドの血量が75%以下まで含まれることが認められている(サラブレッドの血量が75%超100%未満の馬は「サラブレッド系種」と呼ばれる)。最もシンプルに言うと、純血アラブの牝馬に2代連続でサラブレッドの種牡馬をかけ合わせればアングロアラブができあがる。
概要
アングロアラブ自体はフランス皇帝ナポレオン三世が日本の将軍徳川慶喜に贈った馬たちの中に含まれていたのだが、時代が下って日露戦争時の日本軍騎兵が主に日本在来種(ジャパニーズポニー)で編成されたのに対してロシア軍騎兵の馬が大きく立派であったので「あの馬はなんだ?!」ということから一気に軍馬としての需要が高まり大量に生産された。戦前の騎兵隊行進映像などでその雄姿は今日でも見る事が出来る。
戦後は日本軍そのものが消滅し、軍馬としてのアングロアラブの需要は当然消滅してしまうが、戦後の復興資金を手っ取り早く得たい行政側が戦前からすでに一定の人気を得ていた競馬に目を付けたものの、モノが極端に少ない時代であり競馬用のサラブレッドばかりでなく、大量に生産されていたアングロアラブも競走に供された。しかし、サラブレッドと比べると競走能力が劣るため、アラブ系限定競走(アラ系競走)と呼ばれるアングロアラブ限定の競走が行われた。
サラブレッドに比べ「安い、丈夫、気性が大人しい」アングロアラブは、経費を抑えることが出来るため経営体力の低い地方競馬において重宝され、園田競馬場などアラ系競走しか行わない競馬場も存在した。そのため、1960年代末まではサラブレッドより生産頭数が多いほどだったのだが、競馬人気が向上すると能力が劣る上競走の賞金も低いアングロアラブの人気は低下してゆき、中央競馬でアラ系競走の重賞がほぼ廃止された1984年を境にその生産頭数は徐々に減少していった。
さらに競馬国際化の波が到来して日本独自のカテゴリーとなっていた「アラ系競走」は国際化にそぐわないという名目の元、1995年末を以ってJRAはアラ系競走を廃止[1]。さらに大井競馬場を始めとする各地方競馬場もこれに追随したため、アングロアラブの需要と生産は急激に減少、アラ系競走そのものを組むことさえ困難になっていった。そして、2009年9月27日福山競馬場で行われた「開設60周年記念アラブ特別レジェンド賞」を最後にアラ系競走は終了。アングロアラブ=「アア」の最後の現役競走馬となった福山競馬場所属のレッツゴーカップ(牡)は、12歳となった2013年3月23日の福山競馬場第5競走「日本最後のアラブ馬レッツゴーカップ記念」の出走(10頭立て10着)を最後に引退し、その翌日には福山競馬場での競馬開催も終了したことで、日本競馬におけるアラブ馬の歴史にピリオドが打たれた。
地方競馬のアラ系競走には、全日本アラブ大賞典(大井競馬場)や楠賞全日本アラブ優駿(園田競馬場)等地区の壁を越えた全国交流競走を頂点とした独自の競走体系、レベルが低いとされる競馬場から時折現れる怪物といった中央競馬にはない独特の魅力があった。またレベルの方も中央競馬のアングロアラブは抽せん馬と呼ばれる安馬しか在籍できない上、地方からの移籍も禁じられていたため、地方競馬の方が高かった。そんなアラ系競走を冷遇し、崩壊させたことが地方競馬衰退の一因であるという声は大きい。
現在も地方競馬ではアングロアラブの競走馬登録が可能であり、牧場に縁のあるアングロアラブの血統を残そうと2017年に生まれたキタミキが岩手競馬に入厩したが、能力不足でデビューできずに引退している。なお、中央競馬でアラブ系馬は入厩できず、出走もできないが、2024年以前は巴賞・福島テレビオープン・札幌日経オープン・朱鷺ステークスの4競走に限り、地方所属のアラブ系馬の出走が認められていた。
主なアラブの名馬
- タマツバキ: 1945年産。戦後初期の国営競馬で活躍。最高負担重量勝利(83キロ)を記録。シンザンに破られるまで軽種牡馬最長寿記録(33歳)を持っていた。タマツバキ記念に名を残した。
- ダイニホウシユウ: 1948年産。戦後初期の国営競馬で活躍。国営競馬記録となる44勝を挙げた。その後は地方競馬へ移籍し、さらに6勝を追加したという。
- ホウセント: 1950年産。戦後初期の南関東にて活躍。中央競馬に移籍するが、勝ち過ぎた為地方アラブの中央移籍が禁止されるきっかけになった。引退後ホウセント記念が創設されたが、後にアラブ王冠賞に改名されたため地味である。
- フクパーク: 1950年産。兵庫からやってきたホウセントのライバル。ホウセントと共に中央に移籍し、勝ち過ぎて以下同。中央では「キノピヨ」という名前で走った。ライバル同様フクパーク記念が創設されたが、こちらは長く続いたため有名である。
- セイユウ: 1954年産。アングロアラブ唯一のJRA顕彰馬。詳細はセイユウの記事を参照。
- シユンエイ: 1955年産。セイユウの全弟。中央アラ系最多連勝(20連勝)を記録。シュンエイ記念に名を残した。
- センジユ: 1956年産。50年代の南関東で活躍。後に中央に移籍し、天皇賞(秋)と有馬記念を制し年度代表馬となったオンスロートを破った経験を持つ。前述のホウセントが地味なため、南関東では強いアラブが現れると「センジユの再来」、「センジユ2世」と呼ばれた。
- タガミホマレ: 1962年産。60年代兵庫と南関東を行き来した名馬。種牡馬として「性雄」ことセイユウの持つ年間種付け及び生涯種付け記録を更新した上、後述するタイムライン、ミスダイリンを輩出した。
- タイムライン: 1969年産。70年代前半に活躍。南関東から兵庫に移籍し、以降「アラブのメッカ」の顔として君臨。全国交流競走となった全日本アラブ大賞典を制し、初代アラブ日本一に輝く。種牡馬としても成功し、ローゼンホーマを輩出した。
- スマノダイドウ: 1970年産。佐賀から兵庫に移籍するもタイムラインとの対決において暴動(園田事件)が起きて南関東に移籍する羽目になる、真の父はカブトシローでサラ系ではないのかと疑われるなどトラブルに巻き込まれたが、7回渡ってリーディングサイアーに輝くなど種牡馬としては成功した。
- イナリトウザイ: 1971年産。アラブの魔女。詳細はイナリトウザイの記事を参照。
- ミスダイリン: 1971年産。76年に全日本アラブ大賞典を制した唯一の牝馬。ホッカイドウ競馬史上最強馬との声も。
- ホクトライデン: 1972年産。75年の南関東アラブ三冠、楠賞全日本アラブ優駿、全日本アラブ大賞典を全て制したことから南関東五冠馬と称される。特に全日本アラブ大賞典において不滅のコースレコードを打ち立てた。
- ウズシオタロー: 1974年産。77年から87年までの約10年間に250回出走した益田競馬場を代表するアイドルホース。引退時には同時に引退した「鉄人」衣笠祥雄から祝電が送られた。ちなみに勘違いしやすいが牝馬である。
- キンカイチフジ: 1981年産。笠松競馬場にてデビューし、旧4歳で全日本アラブ大賞典を制する。その時の鞍上名古屋が生んだ天才騎手坂本敏美が見せた「持ったまま」でのクビ差勝ちは伝説の名騎乗の1つとされる。
- ローゼンホーマ: 1983年産。80年代後半に活躍し、楠賞全日本アラブ優駿・全日本アラブ大賞典勝ちを含む40戦連続連体を記録。福山競馬史上最高の名馬と称され、ローゼンホーマ記念にその名を残した。
- アキヒロホマレ: 1983年産。80年代後半に活躍した中央所属のアングロアラブで87~89年と3年連続で最優秀アラブを受賞した。レコードタイム更新7回が日本中央競馬会記録して残る。
- ニホンカイローレル: 1986年産。1989年の福山アラブ王冠優勝馬、他に91年と92年の日本海特別連覇など。本領発揮は繁殖に上がってからで、繁殖牝馬としてニホンカイキャロル、ニホンカイユーノス、ニホンカイマリノ(日本海特別3連覇)、ニホンカイプリウスなどを次々と産んだ。2004年のNARグランプリで特別表彰された。
- コスモノーブル: 1986年産。7歳で本格化して90年代の南関東で活躍した。7歳時と8歳時には全日本アラブ大賞典に勝利してNARグランプリでアラブ系年度代表馬を連続受賞した。8歳時と9歳時にはサラブレッドとの混合重賞である報知グランプリカップを連覇した。
- スズノキャスター: 1988年産。90年代の東海地方で活躍した女傑。93年と94年の全日本アラブ大賞典では南関東のトチノミネフジと2度にわたって激闘を繰り広げた。
- ヒカサクィーン: 1989年産。90年代の園田で活躍した「園田の女傑」。アラブ系牝馬では歴代1位となる獲得賞金1億7449万5000円を稼いだ賞金女王。
- トチノミネフジ: 1990年産。90年代を代表するアラブの怪物。93年に宇都宮から南関東に移籍。南関東アラブ三冠と全日本アラブ大賞典を制覇。翌年、サラブレッド相手に勝利を重ね、全日本アラブ大賞典を連覇。全日本アラブ大賞典を舞台に2度繰り広げられた笠松の女傑スズノキャスターとの激闘は伝説のレースの1つとして語り継がれている。
- ダイメイゴッツ: 1990年産。荒尾競馬場にてデビューし、九州所属馬として初めて楠賞全日本アラブ優駿を制覇。
- シゲルホームラン: 1990年産。中央競馬における最晩年のアラブ競走を代表する馬で、93-95年のセイユウ記念を三連覇。珍名馬で知られる森中蕃氏の所有馬である。
- ケイエスヨシゼン: 1993年産。96年、史上2頭目となる兵庫アラブ三冠を達成。以降、「アラブのメッカ」の顔として斜陽のアラ系競走を支えた。主戦の岩田康誠を「男にした馬」としても知られる。
- ニホンカイキャロル: 1993年産。90年代後半に活躍。当時の地方競馬最多勝記録となる46勝を挙げた。
- ニホンカイユーノス: 1994年産。ニホンカイキャロルの半弟。90年代後半、日本最小の競馬場から現れた「益田の怪童」。兵庫に移籍し、ケイエスヨシゼンと戦いを繰り広げた。益田競馬史上の最高の名馬である。
- ワシュウジョージ: 1996年産。90年代末期~00年代前半に園田で活躍。サラブレッド競走の重賞をコースレコードで圧勝した。アラブ開催が終了し記録が公式から抹消された際には3馬身差の2着だったサラブレッドがコースレコード馬に格上げされるという珍事に。
- マリンレオ: 1996年産。00年代前半に東海中心に活躍。サラブレッドのOP馬相手に連勝し、サラブレッド競走の重賞でも勝利した。アラ系競走が急速に衰退する中で「日本アラブ競馬史最後の怪物」と呼ばれた。
- モナクカバキチ: 1999年産。福山でデビューした後、佐賀、金沢、名古屋、荒尾と転戦し、最後は福山に帰還。2012年7月14日、13歳にして地方競馬最多勝利記録となる55勝を挙げて引退。
- スイグン: 2000年産。00年代中頃に福山競馬場を中心に活躍。アラ系競走が急速に衰退する中、アラブ競馬の最後を飾り「日本アラブ競馬史最後の怪物」と呼ばれた。
- エスケープハッチ: 2000年産。00年代に高知競馬場を中心に活躍し、地方競馬最多勝記録となる54勝を挙げた。
- バクシンオー: 2003年産。00年代後半に活躍した福山の「怪童」。サラブレッド相手に8連勝し「日本アラブ競馬史最後の怪物」と呼ばれた。
関連動画
関連コミュニティ
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関連項目
脚注
- *2024年時点では、巴賞・福島テレビオープン・札幌日経オープン・朱鷺ステークスの4競走に限り、地方馬として登録を受けていれば出走可能とされている。ただし、2023年時点で現役のアラブ系種の競走馬登録は皆無。
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