チャオ・ユイルン(Chao Yuilung)とは、「銀河英雄伝説」の登場人物である。
概要
西暦時代末期の政治家、教育者(A.D.2670/71-2706)。
穏やかな青年でありながら謀略に天賦の才を有し、”シリウス戦役”においては反地球統一戦線の諜報・工作を指揮、きわめて悪辣にして効果的な策略をもって地球軍を内部崩壊に導いた。
経歴
謀略家として
早いうちに両親と離別し、兄夫婦を親代わりとしてシリウス星系主星ロンドリーナのラグラン市に育ったチャオ・ユイルンは、19歳だった西暦2690年当時、音楽学校で作曲を学ぶ身であった。彼は当時諸植民惑星を席巻していた反地球の革命運動どころか政治にも特に関心のない内気な若者であったが、この年の”ラグラン市事件”において、保安部隊の無差別射撃によって兄夫婦を失ったことで、彼の進路は大きく変わることになる。
当時3歳の甥チャオ・フォンを連れてラグラン市を脱出した彼は、翌2691年の2月28日、プロキシマ系第五惑星プロセルピナにおいて、いずれも”ラグラン市事件”で全てを失った、カーレ・パルムグレン、ウインスロー・ケネス・タウンゼント、ジョリオ・フランクールの三人と出会った。地球支配の打倒を目指す同志である四人の青年、”ラグラン・グループ”の会同である。
この四人組のなかで、チャオは情報、謀略、破壊工作を任務としており、地球支配の打倒という究極目標のために、志を同じくするはずの者たちを陥れることも辞さなかった。彼はまず、「下級悪魔も鼻白むほどの辛辣な策謀」でもって優柔不断であった旧指導部に”地球のスパイ”というレッテルを貼りつけ追放、対立する革命家たちを次々と粛清し、”ラグラン・グループ”をして反地球統一戦線の主導者に仕立て上げたのである。
以後もチャオは、地球に対する勝利のため、敵味方関わらずに多くの人間を陥れていった。中でも大きな貢献は、ヴェガ星域会戦において反地球統一戦線が歴史的勝利を挙げたのちの地球軍上層部に対するものである。チャオはこの戦いで協調と連絡を欠いて敗北した地球軍の指揮官、いずれも卓越した能力を持つコリンズ、シャトルフ、ヴィネッティという三提督の間隙に目をつけ、陰謀の糸を張り巡らせた。その結果、ヴィネッティがコリンズを、シャトルフがヴィネッティを、そしてヴィネッティの部下がシャトルフをそれぞれ殺害、地球軍の能力は著しく減じられ、反地球統一戦線は地球軍に対する以後八四回すべての戦闘に勝利することになるのだった。
勝利と隠棲、そして死
そして2704年、地球は反地球統一戦線の包囲するところとなった。チャオはこのとき持久戦を主張し、フランクールの全面攻撃案との折衷案が取られたすえ、彼らは地球を滅ぼした。戦後成立することになった”ラグラン・グループ”の主導による人類支配体制において、反地球統一戦線の政治委員であった彼も副首相や内務長官の地位を示されたが、彼が望んだのは再建中の故郷ラグラン市につくった小さな音楽学校の理事長兼校長兼事務員という立場だけだった。
しかし、彼が約15年前に望んだ音楽の道に立ち戻り、子どもたちに歌やオルガンを教え、お菓子を与えて満足しているあいだに、シリウスの支配体制は大きな変化を迎えていた。”ラグラン・グループ”の中核であったパルムグレンが病死し、対立と抗争の末にタウンゼントがフランクールを斃して人類の最高権力者となったのである。そしてタウンゼントは、隠棲したチャオが過去に示したあまりにも苛烈な謀略を危険視するに至った。
フランクールが死んだ一週間後、司法省公安局の武装捜査官8名がチャオのもとを訪れ、過去に反地球統一戦線内で行った粛清を理由とする逮捕状を示した。チャオは成長した甥からの逃亡の奨めを断ると、サインしたオルガンの支払書を手渡して別れる。そして20分後、校長室に入った公安局員が睡眠薬により昏睡したチャオを発見し、さらに20分後にその死が確認された。
これについては、「ぬれたハンカチを気持ち悪そうに両手でひろげている」男が校長室から出てきたという目撃談もあるが、この傑出した謀略家の死に更なる陰謀が隠されているのかは定かではない。甥フォンは公安局の監視を逃れたのち、タウンゼント暗殺の首謀者とも目されたが、こちらも真相が明らかにならないまま、人類社会は90年にわたる混沌の時代を迎えることとなった。
人物
彼は影から地球の支配を打倒した謀略家であると同時に、子どもによくなつかれる「やさしい校長先生」でもあった。中央政治から身を引いて地方都市の音楽学校の校長という道を選んだことについて、彼は「”革命という熱病からも、政治という悪疫からも完全に解放されて”本来の姿にもどった」としており、卓越した謀才にも関わらず、反地球統一戦線を支える謀略家という立場が彼の望んだものではなかったことが窺える。
自らが弄した謀略について、チャオはその死の直前にこう語っている。
私にとって謀略とは芸術だったが、タウンゼントにとってはビジネスだった。私が彼に敗れたのは当然だ。誰を恨みようもない
関連動画
関連項目
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