モシン・ナガンとは、ロシア帝国で開発され、ロシア(ソ連)とその近隣諸国で使用されたボルトアクション小銃である。
概要
モシン・ナガンはロシアで開発されたボルトアクション式小銃である。重量は約4.4kg、使用弾薬はフィンランド派生型(後述)を除いて7.62mm×54R。ちなみに、この弾薬は「7.62mmロシアン」として知られているが、7.62mm×54RのRはロシアン(Russian)ではなく、起縁式(Rimmed)を意味しているので注意されたし。弾倉は固定式で5発装填可能である。リー・エンフィールドと同じく、改良を受けながら2度の世界大戦を生き抜いた。
モシン・ナガンはロシア帝国陸軍のモシン大佐と、ベルギーの銃器設計者ナガン兄弟の手により開発され、1889年にロシア帝国軍のトライアルに提出される。使用弾薬の7.62mm×54Rも同時に開発された。1891年にロシア帝国はモシン・ナガンの採用を決定し、M1891の名称を与える。しかし、当初の生産は国外銃器メーカーに依頼する形であり、国営造兵廠で生産が始まったのは少ししてからの話である。その後、騎兵銃などのバリエーションも開発されて第一次世界大戦とロシア大戦で使用された。
1930年には照準器に記された数値をメートル法に直すなどの改良を行ったM1891/30と呼ばれるモデルがソ連で採用された。これが第二次世界大戦におけるソ連の主力小銃となり、大戦中に実に1200万丁が製造された。ちなみに、当時のソ連軍においては銃剣をつけっぱなしで使用するという方針をとっていた。何時でもУра突撃が行えるようにしたんですねわかります。
その後、1940年代後半にセミオートライフルのSKSやAK-47に置き換えられていく。唯一、狙撃用のバリエーションのみがSVDによって1960年代に更新されるまで軍で使用され続けた。不要になったモシン・ナガンはフィンランドが外貨獲得のために西側に売却したり、ソ連崩壊を機に西側市場に大量に出回ったりした。今でも民間用にモシン・ナガンやその派生型の製造を行っている銃器メーカーも存在する。
フィンランドにおいては独立後にモシン・ナガンをベースにした独自の小銃が開発され、使用弾薬は7.62mm×53Rに改められた。ただし、ソ連と戦争になっても大丈夫(?)なように7.62mm×54R弾も使用可能なように設計されている。かのシモ・ヘイヘが使用したのは照星にガードをつけ、タンジェントサイトをメートル法にうちなおすなどの改良を加えたM/28、通称スピッツと呼ばれるモデルである。シモ・ヘイヘにとってこの銃は猟師や民間防衛隊(予備役みたいなもの)として活動している頃からの相棒であり、その特性、使い方を知り尽していたことが冬戦争における彼の大戦果につながったのであろう。また、彼の功績を評して与えられた銃もまたモシン・ナガンであり、これはスウェーデンの実業家から「軍で最も優れた狙撃手へ」として贈られたものである。 1978年、彼は彼が大戦で使用した「スピッツ」をカレリア猟兵大隊に寄贈し、現在その銃は同大隊の資料室で展示されている。
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