- プロ野球選手一覧 > ラウル・バルデス
ラウル・バルデス(Raúl Valdés Rubio、1977年11月27日-)とは、キューバ出身(ドミニカ共和国に亡命)のプロ野球選手(投手)である。
概要
無所属 | |
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ラウル・バルデス Raúl Valdés |
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基本情報 | |
国籍 | (ドミニカ共和国へ亡命) |
出身地 | キューバ キューバ州ハバナ |
生年月日 | 1977年11月27日 |
身長 体重 |
180cm 86kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2004年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
キューバ出身だが若くしてドミニカ共和国に亡命。5回亡命に失敗し、手助けした兄は10年間刑務所に入れられた。現在も家族に送金しているのだとか(キューバでは割とよくあることらしい)。
アメリカでは独立リーグからメジャー球団を転々とした。2010年にはニューヨーク・メッツで38試合に登板した経歴はあるが、メジャーで大きな実績を残せたわけではなかった。
中日時代
2015年に中日ドラゴンズと契約し来日。開幕から先発ローテーション入りし、最初の10試合中9回のQSを達成するなど安定した投球を見せるが、この10試合の平均援護点が1.91と極度のムエンゴ病に苛まれ、10試合目の登板まで初勝利は待たねばならなかった。その後も思うように勝ち星は伸びず、防御率3.18と悪くない数字だったが5勝8敗と負けが先行した。
2016年もやっぱりムエンゴ病が続いた上に、バルデス自身も前年から調子を落とし防御率3.51となったが、6勝7敗と負け越しを1に減らした。
2017年は中4日もこなすなど不安定な先発陣の中で奮闘。防御率でリーグトップを争うほどのピッチングを見せたが、ムエンゴ病に悩まされ、6勝に留まった。オフに自由契約となった。
中日退団後
2018年はメキシカンリーグのサルティーヨ・サラペメーカーズに所属。
2021年には東京オリンピックのドミニカ共和国代表に選出された。予選ではプエルトリコ相手に7回2失点の好投を見せると、本戦でも対韓国戦2試合に先発し銅メダル獲得に貢献。しかし2試合とも勝ちを消される(ノックアウトステージに至ってはサヨナラ負け)など、ムエンゴと負け運も健在だった。
プレースタイル
ゾーンにきっちり投げ分ける抜群の制球力と、直球とチェンジアップ、スライダーのキレ味を駆使した投球が持ち味。先述の通り中4日でフル回転できるタフさもある。また、手投げのようにも見える球の出どころが見えにくいフォーム、極端な投球テンポの速さも特徴。球速は山本昌と同レベルの130km台と非常に遅い。
ついでに言うと意外とバッティングもでき、2017年までの3年間で2本塁打を打っている。
人物
チーム内では岩瀬仁紀に次いで2番目の年長者。荒木雅博と同い年である。完全なスキンヘッドであることも相まって、チーム内では親しみを込めて「おじいちゃん」と呼ばれており、本人もいたく気に入ってる様子。ファンにも「バルデスおじさん」「無援護おじさん」などと呼ばれる。大島洋平に「ハゲ~!ナ~イス!」と煽られたこともある。
中日の助っ人にはありがちなマフィアかと思うようなコワモテだが、非常にクールなナイスガイ。援護に恵まれずとも、リリーフに勝ち試合を引っくり返されようとも、「僕は僕の仕事をするだけ」という姿勢を崩さない。
また、監督に「一度休め」と言われて登録抹消されたのに普段の倍練習するという練習の虫でもある。登板の翌日もランニングしているとか。こういうところも山本昌に似ている。
成績
- (2021年終了時点)
通算投手成績
通算:8年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
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MLB:5年 | 103 | 0 | 0 | 7 | 7 | 2 | 4 | .500 | 140.1 | 49 | 147 | 81 | 80 | 5.13 | 1.33 |
NPB:3年 | 65 | 2 | 0 | 17 | 24 | 0 | 0 | .415 | 404.2 | 122 | 279 | 183 | 157 | 3.49 | 1.27 |
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関連項目
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