低脳とは、「低能の誤変換から生まれたネットスラング」とか「辞書を引いても載っていない」と言われがちだが、実際は明治時代からあり、辞書にも載っていて、太宰治や坂口安吾も使っている日本語である。
卯一郎 どれもみんなおんなじこった。昭和9年発行の『職業』より。適宜現代的表記に改めた。
概要
「低能」は明治時代にドイツ語の訳語として考案された日本語で、当初は「精神病と健康の中間状態(それゆえ責任能力が低い)」を意味する医学用語であった。
「低脳」の最古の用例として、明治時代の文献にて、この「低能」の誤記と考えられる「低脳」の記述(「低脳者」という形ではあるが)を確認できる(『監獄協会雑誌』第15巻第1号、明治35年、13ページ)。
「低能」は医学用語としては定着しなかったものの、明治から大正期の教育界において、特に「低能児」という形で多用され、一般社会にも浸透していったが、一般化した「低能」は当初の意味から変化し「知能が低いさま・もの」を表す語になった。
「知能が低い」という意味で一般化し「バカ」や「間抜け」と類義語になった「低能」は「低脳」とも書かれ、当時の文学作品にも見られる。
「低脳」は、日本最大の国語辞典と呼ばれる『日本国語大辞典』にも収録されている。
そもそも「低能」とは?
現在は「知能が低い」という意味で使われる「低能」だが、つくられた当初はそのような意味ではなかった。
「低能」は、日本法医学の父と呼ばれる片山國嘉博士が、明治時代後期に考案した言葉である。
なぜ法医学(当時は裁判医学と呼ばれた)者の片山が「低能」という言葉をつくったかというと、限定責任能力を日本の刑法に導入するためであった。
当時の日本の刑法には、現行刑法39条に「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」とあるような限定責任能力の規定はなく、責任能力は「ある」か、「ない」か、つまり正常か、知覚精神を喪失して善悪を判断できない状態か、の区別しかなかった。
片山は「ある」か「ない」かの中間の、限定責任能力が日本の刑法に必要だと考え、ドイツの医者コッホによるドイツ語「psychopathische Minderwertigkeit」を訳して(精神病的)「低能」とし、「健康と精神病の中間状態」を意味する言葉として用いた。
つまり、明治時代に考案された当初の「低能」の「能」とは、「知能」のことではなく、「善悪を判断する能力」や「責任能力」のことであった。
片山は新刑法に「低能者」という言葉を盛り込むことを望んだが、結局は採用されなかった。
ちなみに、「低能」の語源になったコッホの概念「psychopathische Minderwertigkeit」は、現在広く使われる「サイコパス」の先駆けとして知られている。
「低能」は片山のもとで助手を務めた榊保三郎によって教育学に導入され、20世紀初頭の教育界で「低能児」という形で多用されることになった。
ただし、教育界における「低能」は片山が考案した当初の意味から変化し、「能力の低いこと」を意味するという共通認識はあったものの、統一された明確な定義付けがされないまま、多くの教育関係者によって、多様な使い方をされていた。
教育界で流行した「低能」は、一般社会にも浸透していったことが、当時の新語辞典類で確認できる。
しかし、一般化した「低能」は、片山の考案した当初の「精神病と健康の中間状態」、「責任能力が低い」という意味から離れ、現在と同様の「知能が低いこと・もの」を表す言葉になっていた。
例えば大正6年の『大日本国語辞典』には「智能の発育の甚だしく不良なること。」、『最新現代用語辞典 大正拾四年版』には「人並みの脳力を持ってゐないもの幼時脳膜炎に罹ったものによくある。普通間抜馬鹿の意に用ひられる。」という語釈が書かれている。
文豪たちも使った「低脳」
「低脳」の確認できている最古の用例は、概要に例示した明治35年の『監獄協会雑誌』に掲載された、「低能」考案者である片山國嘉の講話録中にあるのだが、片山による前後の用例はすべて「低能」になっていることから、これは講話を記録した者による誤記と考えられる。
法医学上の「低能者」の誤記と考えられる「低脳者」は『朝日新聞』明治39年5月6日朝刊にも見られる。
「低能」流行期の教育関係の文章においても、記者等による誤記と考えられる「低脳」が確認できる。
文学においては、青空文庫を手がかりに調べるとわかるが、坂口安吾が「低脳」をよく使っている。
他に、大正末の江戸川乱歩『パノラマ島奇譚』(単行本収録の際、「低能」に書き換えられていることもある)や、太宰治の処女小説集『晩年』に収録された『道化の華』での使用も見られる。
冒頭に掲げたように、「馬鹿」、「間抜け」、「気が利かない」、「ぼんやり」を列挙し、登場人物にどれも同じことだと言わせている岸田國士の例もある。
「低脳」は誤記なのか?
見てきたように、「低能」はすでに明治時代から「低脳」と書かれることがあった。
これは「低能」の「ノウ」の音が精神能力・知能を司る器官「脳」と同じであることによるものと考えられる。
また、「脳力」という言葉も当時使われていたから、「脳力が低い」という意味で「低脳」を使用した者もあるかもしれない。
「精神病と健康の中間状態」を意味する法医学・精神医学用語として考案され、用法が拡大しつつ20世紀初期の教育学界隈で流行した学術用語としては「低能」が正しく、「低脳」は誤記である。
しかし、「知能が低い」という意味になり、「バカ」や「アホ」や「間抜け」の類義語として一般に定着した「低能」は「低脳」と書いても誤記とは言えないんじゃないか、より俗な印象を与えるが、使いたい人は使っていいんじゃないか、というのが私の意見です。
「低脳」の載っている辞典、間違いだと書いている辞典
概要に述べたように『日本国語大辞典』には「ていのう」の漢字表記として「低能」と一緒に「低脳」が収録されている。
「低脳」と書くのは誤りと書いている辞典もある。
ちなみに、『日本国語大辞典』と『新選国語辞典』はどちらも小学館から出版されている。
同じ出版社が出している国語辞典であっても、編者ごとに、辞書ごとに、編纂方針が異なる例と言える。
なお、冒頭に述べた、「低脳」は「低能」の誤変換であるとか、「新しい語なので、国語辞書を引いても載ってない」といった情報が載っていたのは、ニコニコ大百科の当項目の古い版である。
関連項目
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