第68、69代内閣総理大臣/第100、101代外務大臣/第79、80代大蔵大臣/第21、22代内閣官房長官/第31代通産大臣/第9代自由民主党総裁/第17代自由民主党幹事長/第16代自由民主党政務調査会長/第3代宏池会会長などを歴任した。1970年代〜1980年代初頭の自民党の実力者、いわゆる「三角大福」のうちの一人である。
概要
ニコニコでは何故か「大平の人」…オッサン?が多数のMADをあげているという。まさに知る人ぞ知る通な政治家である。
温厚な性格で、「あーうー」をよく話の中で多用するのが特徴。本人曰く、戦後で一番長く外務大臣をしているうちに、北京やモスクワに変な意味で会話を受け取られないように慎重に話しているうちに癖がついてしまったらしい…。
自民党保守本流派閥である宏池会を大平クーデターで前尾繁三郎から奪いry… 譲られて、ライバルの福田赳夫(福田康夫元首相のパパ)と三木政権打倒時に、「政権は2年で譲ってね」という「大福密約」をしたが、あっさり無視されてしまったので友達の田中角栄元首相と保守本流を舐めんなよ?と田中派フル動員で党員による自民党総裁選予備選で圧勝し福田を本選挙辞退に追い込むという経緯で首相に就任したため、のちのち福田派や三木派足を引っ張られる原因になってしまった…orz
クリスチャンであり、1980年のヴェネツィアサミットのついでにローマ法王に会うことを楽しみにしていた。(結局逝去したせいで行けなかったが)
首相就任後は外交ではリベラル宰相として、中国重視の政策なども行なった。ただし防衛力の強化なども同時に行なっており、現実主義的な政治家として評価もされている。
経済政策では消費税増税を解散総選挙前に主張して、結果自民党が公認のみでは過半数を割るという結果になってしまい、党内(福田派・三木派)からは退陣論も吹き出すが続投を表明。この結果、退陣を巡り自民党は主流派・反主流派に分かれて40日抗争に突入してしまう(ちなみにここで大暴れしたのが現悪党党幹事長のハマコー)。対立候補として前首相の福田赳夫が首班指名選挙に立候補し、自民党から2人の首班指名候補が出るという前代未聞の結果に…。
最終的には角栄の手引きで新自由クラブや反主流派の一部議員を寝返らせ、何とか首相に再選する。
しかし当然ながら党内は混乱した状態で、不安定な政権運営が続いた。
そんな状況の中で、会期末恒例の野党が提出した内閣不信任案に反主流派が欠席戦術で事実上同調する結果になってしまい、わずか半年足らずでまた解散総選挙に突入してしまう(反主流派も本気で不信任に賛同する気は無かったらしく、「ハプニング解散」と呼ばれた)。選挙は参議院選挙と同日の選挙になった。
当初は自民党過半数割れ。野党連合による新しい政権も可能性があったが、大平が心臓の病気で入院し自体が急変。そして大平が急死することによって自民党は衆参両院で安定過半数を確保し1980年代を迎えた。
関連項目
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