米騒動とは、一般的には米の不作や買い占めなどによる価格の高騰などにより、民衆が蜂起して起こす騒動(食糧騒擾)の事を指す。1918年(大正7年)に富山県を発端に全国に広がった大正7年の米騒動が有名で、単に「米騒動」と言えばこの年の出来事を指すが、「米騒動」と呼ばれる事件は他の年にも度々起こっている。特に明治23年(1890年)の米騒動は富山県から各地に波及し、大正7年に次ぐ大規模なものであった。 [1]
現在はその意味から派生して、「お米」に関して起きた何らかの騒動や事件についてもこのように呼ばれることがある。
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背景
大正3年(1914)に勃発した歐洲大戦(第一次世界大戦)は日本の工業製品の輸出増をもたらし、日本の産業界に空前の好景気を現出させた。財閥は巨利を上げ、成金を続出させた反面、インフレーションも激しく、生活物資の物価騰貴により労働者の生活はかえって厳しいものになった。ハイペースの物価高騰が賃金の上昇を上回ったために、所得分配は不平等なものとなり、社会の緊張をむしろ激化させたのである。
そうした中、大正6年(1917年)にロシア革命が起こり、翌大正7年(1918年)から日本を含む列強各国がチェコスロバキア軍捕虜救援の名目でシベリアに軍隊を送った(シべリア出兵)。これに伴い米価が異常に高騰する。大阪堂島の堂島米会所の記録によれば、1918年の1月に1石15円だった米価は、6月には20円を超え、翌月7月17日には30円を超えるという有様だった。
しかしこれは凶作が原因ではなく、価格高騰により利益が上がる「投機」を目的とした地主や米商人たちの買い占め、売り惜しみによるものであった。 [2]
米騒動勃発
米騒動は大正7年7月23日、富山県魚津町に端を発するとされる。北海道に向かう米の輸送船・伊吹丸が魚津に寄港した時、漁師のおかみさんら数十人が米の積み出しを止めるように要求し、米の搬出を中止させたのが発端であったとされる。この事件は、富山県の地元紙に「女一揆」として報道され、全国に飛び火することとなる。
なお、これに先立つ6月下旬~7月上旬ごろに東水橋町(現・富山市)などで米の搬出に抗議する人々が押し寄せる騒動が起こっており、魚津町が「米騒動発祥の地」と呼ばれるのは最初に新聞報道されたのがこの事件であったためらしい。いずれにしろ米価高騰への民衆の不満は一触即発の状態であり、騒動が全国に波及するのは時間の問題であったろう。
8月に入ると同県の高岡市、西水橋町、滑川町で相次いで騒動が起こり、「大阪朝日新聞」などの特派員により県外にも報道され、各地に波及する。
結果的には青森県・秋田県・岩手県・栃木県・沖縄県をのぞく1道3府37県で騒擾が起こり、騒動に参加した者は100万を超え、軍隊が107箇所に出動したという。
この騒動の責任をとって寺内正毅内閣は9月21日に総辞職。「平民宰相」原敬内閣が発足する。
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関連項目
脚注
- *「平成の米騒動(こめそうどう)」があったということを知りましたが、これより昔にも米騒動はあったのですか。:農林水産省
- *大正7年(1918)8月 米騒動が全国に広がる | 日本のあゆみ(国立公文書館)
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