「薬丸兼将」(やくまる・かねまさ 1517 ~ 1576)とは、チート一族・島津家の隣に位置する大隅国の肝付兼続より肝付氏四代に仕えた重臣であり、いらない子の肝付兼亮の追放に協力して肝付家の衰退に加担してしまった大隅の原住民のやっくん。
全くと言っていいほど知られていないが、薬丸自顕流の源流である伴氏家伝の野太刀術の伝承宗家である。
もちろん歴史マニアにも知る人はほとんど居ないので、薬丸一族の武勇や武力の評価がされることもない。
概要
大隅国の戦国大名・肝付兼続に仕えて島津貴久と戦い、一時は鹿児島城を陥れんとした。
一代の傑物である肝付兼続が没した後は、子の肝付良兼→肝付兼亮→肝付兼護と、歴代当主である肝付兼続の子供たち仕えたが、肝付良兼が戦死して、実質的に信長の野望革新PKの最低能力キャラに定評のある肝付兼亮が後を継いだ後に、あまりの肝付兼亮のいらない子ぶりに嘆いたのか、島津忠良の娘である肝付兼続の妻・御南らが肝付兼亮を追放するのに加担し、肝付兼亮の弟の肝付兼護を当主に据えた。
その後、肝付兼亮から肝付兼護に権力が移管される混乱に乗じて攻め込んできた伊東義祐との戦いにて戦死した。
※その他「薬丸兼将」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
この物語はフィクションです
やっくんの逸話としては、島津氏の重臣である伊集院忠朗が開いた宴会に主君・肝付兼続の名代として参加した際に伊集院忠朗より、
「宴の羮(あつもの)は鶴であるか」
と肝付氏の家紋である鶴の肉と野菜を混ぜてつくった吸い物をすすめられたことから、侮辱されたと怒ったやっくんからの報告をうけた大隅国の英雄・肝付兼続は、島津氏と抗争する道を選んだというものがあるが、実のところはこの頃はすでに肝付氏と島津氏は争っており、後世の創作と言われている。
関連動画
▼「パシリだな」「パシリですな(笑)」「便利屋って感じで」・・・要するにパシリな「肝付の野望」
補足
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
嵐世紀 | 采配 | 34 | 智謀 | 38 | 政治 | 43 | 野望 | 28 | ||||||||
蒼天録 | 統率 | 45 | 知略 | 38 | 政治 | 46 | ||||||||||
天下創世 | 統率 | 45 | 知略 | 36 | 政治 | 47 | 教養 | 37 | ||||||||
革新 | 統率 | 50 | 武勇 | 47 | 知略 | 40 | 政治 | 53 | ||||||||
天道 | 統率 | 50 | 武勇 | 47 | 知略 | 40 | 政治 | 53 | ||||||||
創造 | 統率 | 47 | 武勇 | 52 | 知略 | 44 | 政治 | 53 | ||||||||
大志 | 統率 | 46 | 武勇 | 51 | 知略 | 47 | 内政 | 52 | 外政 | 47 |
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関連項目
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