謀反単語

ムホン
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謀反とは、臣下が君に背くことである。

概要

上様。軍勢がここを取り囲んでおりまする」

「軍勢!? 何処の軍勢じゃ」

水色桔梗の旗印が見えまする……明智殿の軍勢かと!」

「十兵衛か……」

(中略)この間に小姓がって倒れたり、信長の右肩に矢が刺さったりする

上様……」

「十兵衛……そなたが……。そうか、十兵衛かあ……であれば、是非も

NHK大河ドラマ麒麟がくる』第44回より

謀反とは、このように何がしかの不満や恨をもった臣下が、君に対して反旗を翻す事又はその企て全体をす。時代劇では割りとにする単のわりにあまり漢字が知れ渡っていなかったりするが、漢検2級とかではさらっとでてきたりする。

追放などでも同じようなことを意味するが、兵を用いて脅しかけたり、兵乱を起こす場合に用いられるニュアンスを意味する。

謀反に至る理由を通説のままで列挙してみると

このように多種多様の例があるが、やはり何がしかの危機感や不満の積が爆発した形で行われることが多いようである。

古今東西、謀反は最大級の罪であり、仮に成功したとしても、周囲からの支持を得るのは容易なことではない。建武の乱で後醍醐天皇を倒した足利尊氏は、その後死ぬまで南北朝時代の動乱に苦慮した上、南寄りだった明治政府からは逆賊の汚名を着せられて長く低い評価だったし、嘉吉の変でうまいこ将軍足利義教を暗殺した赤松氏はその後、山名氏を筆頭とした討伐戦(嘉吉の乱)でボコボコにされ、滅亡の憂きを見ている。大寧寺の変で大内義隆を討った陶隆房が、わずか4年後に厳島の戦いで毛利元就を前に敗死した事も、よく知られていることである。

まだこれらは謀反そのものには成功しているから良いものの、失敗した場合は更に悲惨で、織田信長への謀反に失敗した松永久秀荒木村重の一族郎党は全て磔の上死罪となっているし、豊臣秀吉の甥にあたる秀次は謀反を企てた(最近では捏造されたというのが流)とされ、子どもはもちろんのこと、側室や女に至るまでおびただしい数が死罪となった。失敗しても成功しても謀反は最大限のリスクを伴うものということができるだろう。

律令制度と”謀叛”

今から1300年ほど前の中国の王朝・唐ではが定められており、そのうち刑法典にあたるでは、特に酷い悪として十悪をあげている。それは近者との姦通(内)であったり、上を殺めること(不義)だったり、皇帝の所有物を盗み出すこと(大不敬)だったりと様々なものがあげられている。

そしてその中の第一位と第三位にはそれぞれ、謀反と謀叛がそれぞれ分けて記載されている。謀反は皇帝を標的にした暗殺と朝廷そのものの転覆。謀叛は計画的な寝返りと利敵行為というに意味合いが異なっている。謀叛は謀反の書き換えなどではなく、スパイ行為という異なる意味をもっていたことを留意する必要があるだろう。

757年に唐からのを受けて成立した養老でも、八虐という類似の概念が導入された。の場合は謀反(むへん)は天皇の殺(未遂・予備も該当)、謀叛は国家への反乱・外患誘致・亡命が該当する。しかし、現代では謀叛と謀反が同じ用法で使われているように、この2つの運用ははっきりいってガバガバであり、朝廷は、廷臣殺による政権の簒奪や、隼人夷の反乱を謀反扱いにしてしまっている。こんな有様なので、平安時代後期には謀反と謀叛の区別はされず、同義となったのである。

はそもそも隔絶されたなので、敵国を引き込むという形の謀叛がまず発生し得なかったことが理由としてあげられるだろう。

当然ながら、唐でもでも謀反・謀叛いずれにしても首謀者は死罪であり、近者まで連座するのが規定となっていた。しかし、その範囲については情実や犯情によって大きく左右され、賄賂が横行することもあったというのでやっぱりガバガバである。首謀者のみを死罪にして従犯は罪を減ずるというのも慣習で行われており、これは江戸時代の一に対する処罰にも受け継がれていった。

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謀反

1 ななしのよっしん
2022/09/29(木) 00:08:33 ID: OUQ/+ilQV/
格上の同僚、格下の同僚という間柄での「別にお前に仕えてる訳でもないのにお前と戦ったら謀叛なのか?」みたいな話がそれなりにありがち
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2 ななしのよっしん
2022/11/26(土) 18:52:33 ID: N5jfH/qz48
謀叛と謀反が元は使い分けられていた…だと!?
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