オーストリア帝国(1804-1867)とは、かつて中欧に存在した、ハプスブルク=ロートリンゲン家を君主とする帝国である。
概要
神聖ローマ帝国の形骸化は三十年戦争以降、明らかであった。また、ナポレオン戴冠以前は、(西欧では)皇帝は神聖ローマ皇帝只一人という暗黙の理解があったが、それも覆された。更に、ナポレオンの活躍によって、神聖ローマ帝国の構成国は次々と脱落していき、ライン同盟の結成をもって、ついにはオーストリア大公国ただ一つとなった。そのため、当時のオーストリア大公だったフランツは当時のハプスブルク家を君主とする領邦をもって、帝国を形成することを宣言した。後に、神聖ローマ帝国解体を宣言した。
その後も、普墺戦争後、北ドイツ連邦成立まで、ハプスブルク家はドイツ連邦議長として、形式的に全ドイツの君主であったが、その地位も普墺戦争で失った。また、ドイツ人が主要民族であったが、人口の四分の一にも満たず、ハンガリー人、チェコ人、ポーランド人、ルテニア人、ルーマニア人、クロアチア人、セルビア人、スロベニア人、イタリア人など、多数の民族が入り混じり、ナポレオン後の民族主義の高揚のなかで、帝国の統治は安定性を欠いた。
此れを解消するため、ドイツ人に次ぐ、大勢力ハンガリー人(マジャール人)との妥協(アウスグライヒ)をして、1867年に帝国はオーストリア=ハンガリー帝国へと改組した。
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関連項目
- オーストリア
- 神聖ローマ帝国
- オーストリア大公国
- ハンガリー王国
- ボヘミア王国
- ドイツ連邦
- オーストリア=ハンガリー帝国
- ハプスブルク(ハプスブルク=ロートリンゲン)
- 神よ、皇帝フランツを守り給え(国歌)
- 世界史
- 現存しない国の一覧
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