ナポレオン(Napoléon)とは、フランス語の男性名。イタリア語の男性名ナポレオーネ(Napoleone)に由来し、旧くはロンバルディア地方の山岳地帯ヴァルサッシーナ(Valsassina)を本拠とする名門貴族デッラ・トッレ家(Della Torre)出身者を指すあだ名であったが、語源については諸説あるものの定説は無い。
転じて、以下のことを指す。
- フランス第一共和制の軍人・政治家、ナポレオン・ボナパルト。ナポレオン1世として皇帝に即位しフランス第一帝政を布く。子孫および兄弟の子孫の多くもナポレオンの名を継承し、帝政崩壊後も子孫の多くは政府に帝位を請求している。以下は主な者。
- ナポレオン2世(ナポレオン・フランソワ・シャルル・ジョゼフ・ボナパルト) - フランス第一帝政第2代皇帝、ライヒシュタット公。1世の嫡男で、百日天下で4歳で皇帝に即位するも僅か半月で廃位。病のため21歳で早世。
- ナポレオン3世(シャルル・ルイ・ナポレオン・ボナパルト) - フランス第二共和政の大統領、第二帝政皇帝。1世の弟であるホラント王ルイの三男。帝政復古を実現するが、普仏戦争初期に捕虜となり廃位。
- ナポレオン4世(ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト) - フランス第二帝政皇太子・摂政。父帝拘束直後の暴動で英国に亡命、後に合流した父共々ヴィクトリア女王の庇護を受けるが、報恩のためズールー戦争に参加し23歳で戦死。ボナパルト家の最後の直系であった。
- ブランデー(コニャック/アルマニャック)の等級名。
- ナポレオン(トランプ) - トランプの遊び方のひとつ。
- ナポレオン(GBA) - ゲームボーイアドバンスで発売されたナポレオン・ボナパルトを題材としたゲーム。
- ナポレオン(ボードゲーム) - 任天堂より発売されたボードゲーム。
- ナポレオン・バロア - 漫画「リングにかけろ」に登場するキャラクター。
- ルイ・ナポレオン - 漫画「キャプテン翼」に登場するキャラクター。
- ナポレオン - ディズニー製作のアニメ作品『おしゃれキャット』に登場する犬のキャラクター。
- ナポレオン - ジョージ・オーウェルの小説『動物農場』に登場する雄豚のキャラクター。
- ナポレオン - ゲーム『スナッチャー』に登場する中国系のタレコミ屋。
- ナポレオンフィッシュ - スズキ目ベラ科最大種メガネモチノウオ(Cheilinus undulatus)の英名の一つ(英: Napoleon fish, Napoleonfish)。ナポレオン時代の士官制帽である双角帽(ビコルヌ、bicorne)を想起させる形状のため。
- いいちこ - 三和酒類の麦焼酎。キャッチフレーズが「下町のナポレオン」
ここでは2.以下の多くの直接および間接的由来となった、1のナポレオン・ボナパルトについて説明する。
ナポレオンとは。
長いし複雑だしこれだけで一冊の本になるものなので、より詳細な内容については各種有名どころの歴史書、ナポレオニックなサイトなど調べてほしい。また、あくまでもマンガであるため随所に脚色・誇張があることをただし書きとしたうえで、長谷川哲也氏の『ナポレオン -獅子の時代-』などで理解を深めるのが良いだろう。
ここでは概略を記するだけとする。
コルシカ島出身。コルシカ語での名前はナブリオーヌ・ボナパルテ(Nabulionu Bonaparte, 現代コルシカ語ではナプリオーネ・ブォナパルテ(Napulione Buonaparte))。トスカーナの下級貴族の末裔であるため、洗礼名は現代イタリア語の母体となったトスカーナ語で貴族号を入れたナポレオーネ・ディ・ブォナパルテ(Napoleone di Buonaparte)としている。しかし生涯の多くをフランスで過ごし数々の事績を成したため、フランス語によるナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte)が最も通用している。
父親のウマい立ち回りで、フランス領となったコルシカからフランスへ移り住み幼年学校、士官学校への道を歩む。当時としても傑出した才能があった…と言われるが、どうだろうか。
砲兵士官の道へ進んだあと、生地であるコルシカ島へ赴任されるがここで騒ぎに巻き込まれ、フランスに家族ともども移住する。
当時フランスは、フランス革命以後の大混乱の渦中の真っ只中にあり、フランス周辺国は革命の余波が自国に及ばないよう第1次対仏大同盟を組んでいた。つまり国内では政争、国外では戦争という状態だった。この中でナポレオンはトゥーロンへ派遣され結果を出し、大尉→少佐→少将という破格のスピード出世を果たす。
その後、さらにヴァンデミエールの反乱でも頭角を現し、一躍フランスの表舞台へと名乗り出ることになった。
以後、イタリア戦役、エジプト遠征の戦いの後、第一執政を経て皇帝の座につく。
一概に戦争英雄と見られがちな側面があるが、数多くの内政面での功績も特筆されるだろう。
何しろ、現代につながる「万人の法の前の平等」「国家の世俗性」「信教の自由」「経済活動の自由」を盛り込んだナポレオン法典の導入や現代でも続くメーターやグラムなど根拠のある度量法の統一など様々な功績を果たしていることは特筆に値する。
その後、トラファルガー海戦の敗北のためイギリス攻略は頓挫したものの、反転してプロイセン、ロシア、オーストリアの各軍を破った「アウステルリッツの戦い」で欧州の覇権を握ることに成功した。
…とはいえ、ナポレオンの絶頂期はこのあたりまでで、のちのロシア遠征失敗を契機に破綻が始まり、部下からも裏切りにあうなどして帝位を失い、エルバ島へと流される。
が、決してあきらめなかったナポレオンはエルバ島を脱出。
再度フランス皇帝の座に舞い戻ったものの(百日天下)、当時の勢いはすでになく「ワーテルローの戦い」ですべてを失い、今度はさらに遠いセント・ヘレナ島へ流され、そこで亡くなった。52歳だった。
ヒ素による毒殺説が根強いが、幼少期の髪の毛からも同等の濃度のヒ素が検出されている。
ナポレオンがもたらした軍事的革新と限界
よく言われることだが、当時フランス軍がどうして精強だったのか。という点についてあげられる国民軍の確立、砲兵・騎兵・歩兵の三兵戦術および軽歩兵による散兵戦術、そしてこれを運用する兵力単位としての師団制度の導入などはナポレオンが編み出したわけではなく、7年戦争後のフランス軍内部の大規模な革新とそれに続くカルノーらが果たした軍制改革によるところも多い。
ではナポレオンがどうして現代に至るも賞賛されているか、といわれれば、スピードを生かした兵力の移動と集中が見事だったからといえるだろう。国民皆兵の士気の高さなどが可能とした昼夜問わず異常なまでの行軍スピードで進軍しつつ、さらに分進合撃、すなわち各師団、軍団をバラバラに進ませ、要所で終結させるという手法は、当時の旧態依然とした歩みの各国軍勢を翻弄した。
1805年においては800kmをわずか5週間で踏破する驚異的な進軍スピードを見せている。毎日徒歩を中心として20~25kmを進軍した計算となり、当時の交通網を考えると驚異的ともいえるだろう。
一人であればさほど難しくないと思われる距離だが、万レベルの人員が動くのである。隊列を維持し、大砲などの重装備を移動させる困難さを考えれば一日20kmオーバーがどれほど驚くべきものか想像がつくだろう。
これらの驚異的な移動速度の速さを確保できたのは当時としては丁寧に構築された兵站システムに負うところが大きいとも言われている。軍隊の携帯食の長期保存などを改善し、缶詰の元祖はナポレオンの軍事革命から始まった。
ナポレオンといわれるとイタリア戦役やロシア戦役などで行った現地調達の話が印象に残り、兵站補給など軽視していたと見られがちではあるのだが、それは当時状況がそれを許さなかったケースだけであった。通常は国内からの進軍などを行う際には事前の見積もりに基づき兵站拠点を準備するなど当時としては手厚い兵站路を構築していた。
(ただし現在では、行軍速度については他国とあまり差がないのではなかったのか、という意見もある)
彼は望むとき、望む場所で相手に戦いを強要した。分進合撃は、敵軍指揮官にしてみれば各個撃破のチャンスであると考えられたが、それ自体がナポレオンの罠だった。分散しているように見える軍勢はナポレオンの緻密な指示のもとで、ある時、ある地点において集合することが可能だった。つまり敵軍は優位と信じて進出し、対峙したときにはフランス軍もまた同程度の軍勢がそこに現れていたという形になる。
また戦場においてもそれは変わらなかった。従来までの戦列歩兵的横列陣形が主体だった会戦に、散兵戦術及び縦列陣形から横列陣形への陣形転換などの新機軸を盛り込んだ。
(実のところ、従来までの横列陣形が運用できる地形があまりにも少なく・・・万単位の兵力が横列陣形をとるために必要な戦場があまりに限られていた・・・ということもあり、このような条件がナポレオンに敵対する諸外国の軍運用に制限をあたえていた、という意見もある)
つまり、ナポレオンは戦場を選ぶだけでなく、戦場においてもポイントを選び出し相手に損害を強いることができたのだ。
同数の兵力で対峙しても巧みな欺瞞と迅速な運動で局所的に兵力の優位を作るほか、砲兵を移動させつつ攻撃させ集中砲火を行い、必要であればアウステルリッツでは有利な丘陵を明け渡す、あるいは自陣本陣をオトリにするなど敵軍の移動方向を制限するなど巧みな手腕をみせたこともある。
ただし戦いが進むにつれ、柔軟で複雑な動きを可能とした経験ある将兵たちが失われていき、ナポレオンの戦術は壮麗さを失って愚直なものとなっていったことも忘れてはいけないだろう。
なにより、このナポレオン戦術は各国により分析されることになる。有名なところではプロイセン(当時のドイツ)の高級士官たち、シャルンホルスト、グナイゼナウ、クラウゼヴィッツたちの参謀集団たちはこの戦術を理解し、従来の傭兵主体から国民兵への転換など様々な軋轢の中、プロイセンの軍政、及び国内改革を促すことになる。
オーストリアも同様に、そしてスウェーデンもナポレオンに敵対したフランスの将軍、ベルナドットを王として向かえて研究を重ねていった。こうしてナポレオンの敵対国は彼の戦いを身につけ、対応策を講じていくことになる。
これは皮肉な結果だといえるだろう。ともかく、彼という怪傑に対抗する為に、欧州中が国民国家を基盤とした近代的な軍隊の成立を急いだのは紛れも無い事実である。
ナポレオンはナポレオン自身が傑物だったために、大陸軍(だいりくぐん、グランダルメ、La Grande Armée)と称されるフランス陸軍の指揮は極論で言えばナポレオン本人が考え、本人が指示を出すことで勝利することが出来たのである。
当時のフランス軍の師団長、元帥号をもつ各軍団長はそれぞれ特徴をもち有能かつ戦意に溢れた指揮官たちだったが、その能力はどこまでいっても前線指揮官としての能力であり、ナポレオンの意図を高次元で理解し、あるいは独自の判断で戦い、勝利を勝ち取ることの出来る将官は…本当に数が少なく、ダヴー、マッセナなど一握りだけでしかなかったのだ。
勇猛を誇ったフランス大陸軍の元帥たちはナポレオンがいない戦場では総じて並、あるいは並以下の指揮官でしかなかった。それはナポレオンが望んでいたことでもあるのだが。
以上のようにナポレオンという偉大な天才がいたことでフランスは強力だったが、それはフランスの弱みともなったのである。逆にプロイセンの秀才たちが集う参謀本部は、シャルンホルストが志半ばで倒れたあとも、なおその他の将官たちが支えることが出来た。 彼らはたった一人の閃きをもつ天才にすべてを委ねるより、貴族、平民問わずに秀才たちを集め、軍事的知識をつけさせた。
これによって集団指導と、委託命令、つまり作戦目的と目標を明確に指示するのみで実施にあたっては各部隊の指揮官-参謀の独自裁量で行うことを可能にできたのである。
フランス側も参謀制度はあったものの、参謀長役を長年務めたベルティエにしても日本で参謀といわれるとイメージの強い軍師的な、あるいはプロイセンの参謀本部的な役目ではなく、ライン&スタッフのスタッフ側、つまり事務方的任務の立場であり、指揮官の戦術立案の補佐という意味合いからは遠い。
これら指揮体制の極端な一極集中化による弊害は没落のはじめとなったスペイン戦線でより一層はっきりすることになった。ナポレオン一人で戦うには欧州大陸は広く、そして戦いの連続はナポレオン自身を疲弊させた。ナポレオンの一族には彼を補佐できる有能な人材はなく、ありていに言えば個人としては善良であったとしても政治的、軍事的には愚物がおおかったのも彼が常に働かねばならぬ一因でもあったのだ。
またナポレオンの天才はどこまでいっても軍事上の問題であり外交上のものではなかったことも没落の大きな一因だろう。数度にわたる対仏同盟などを打開するのに最終的には軍事力にのみしか頼れなかったところが彼の限界ともいえる。
こうしてナポレオンが過度の緊張化におかれ心身を消耗し、年と共に肉体に問題を抱え、判断にキレが無くなっていたとき、彼を支える人材はいなかった。…逆に裏切る者も現れたのである。
ロシア戦役後に行われた「諸国民の戦い」のあと、フランス国内で内線作戦を行いプロイセン軍を迎撃しようとしたナポレオンだったが、首都であるパリを護っていたマルモンが彼を裏切り降伏してしまう。それはすべてを台無しにする行為だった。
マルモンは長年ナポレオンに付き従っていた部下ではあったが、パリを明け渡すということはナポレオンの戦略を理解していれば決してとるべき対応ではなかったのだ。これは部下に対して駒として動くことを求めたナポレオン自身の失策でもあった。こうしてナポレオンの治世は終わっていったのである。
まさしく一人の天才の可能性と限界を示したといってもいいかもしれない。
ナポレオンと26人の元帥たち
ナポレオンが率いた大陸軍の特色はフランス革命のため、軍の指揮官たちが一般の平民上がりなど様々な出自をもった者達が多かったことだろう。無論、生粋の士官教育を受けた貴族たちもいたが、戦場で名を上げ、かつ生き残ることができたのなら出自の怪しい平民でも出世の道はあったのだ。
彼の短い治世の中で、元帥号を受け取ったのは26人におよぶ。
幾人かはナポレオンと共に戦い、倒れていった。生き残った者の多くが長く激しい戦いに倦んで彼を裏切るか彼の元を去っていった。あるいはナポレオン自らが疎んじたものもいる。
最後、ナポレオンがエルバ島から帰還したのち彼に従った元帥はわずか4名にまで減っていた。
各元帥らの逸話・功績・生涯についてはこれまた書き始めると物凄く長くなる。興味のある人はネットやナポレオニックな本、当時の資料などで調べてみると良いかもしれない。一応、以下にそれぞれ少しだけ紹介しておく。
- ダヴー:最年少元帥。指揮官として無敗を誇り、不敗のダヴーの異名あり。日本で最も評価の高い人物。若禿
- マッセナ:海外では第一の元帥として名前の上がる人物。独立司令官も数多くこなし、戦績も多い。銭ゲバ
- ランヌ:ナポレオンの親友であり勇者。当時から元帥第一の人気を誇る。日本でもファンクラブがあるらしい
- ミュラ:ナポレオンの義弟。騎兵指揮は随一で「世界最高」とまで言われた。派手好きの伊達男。脳筋
- ネイ:最強の元帥。勇気が服を着ているような人。ジョミニとのタッグはまさに無敵。ワーテルロー従軍。
- スルト:三帝会戦で大戦功。ワーテルローにも従軍。長命で、晩年はフランス大元帥まで登りつめた。
- ベルティエ:参謀事務。ナポレオンの戦略伝達係。軍人としての活躍も。酷使苦労人
- スーシェ:元マッセナの部下。行政官・将軍・司令官と多方面に功績。ナポレオン曰く最優秀将軍。地味
- ベシェール:騎兵指揮に優れる。各地の戦争に従軍して戦功。???「こいつが元帥なら皆元帥になれる」
- マルモン:砲兵指揮に優れる。最初期からのナポレオンの側近。ユダ明智光秀ブルータス小早川秀秋
- ジュールダン:革命戦争でも名を挙げたベテラン元帥。政治家もつとめ国民皆兵の基礎を制定
- ケレルマン:最年長元帥。革命戦争で数多く従軍。ナポレオン戦争では身を引いた。息子の方が著名
- ポニャトフスキ:ポーランド出身。祖国再興を掲げてナポレオンに味方する。三日元帥は褒め言葉
- オージュロー:初期からのナポレオン側近。イタリア遠征など数多く従軍。最後はナポレオンから背信除名
- ブリューヌ:共和主義者。元帥だが、戦争よりも外交や政治での活躍が多い。地味な上に最後は暗殺、不遇
- グルーシー:騎兵指揮に優れる。26元帥任命順では最後。ワーテルローに従軍。スケープゴート
- ルフェーブル:革命戦争、ドイツ遠征、半島戦争などに従軍。元老院議員も勤める。元祖功名が辻
- サン=シール:共和主義者。防衛戦は無類の強さを発揮し、ナポレオンも唸らせた。ヒキコモリ逃亡癖あり
- ウディノ:元マッセナの部下。革命戦争から数多く従軍。師団長、のち元帥。晩年はマドリードの知事
- マクドナルド:父はスコットランドの貴族。革命戦争初期から一軍を率いる。ナポレオンの皇帝就任に反対
- モンセー:イタリア遠征から従軍。アルプス越えに戦功。その後はスペインやフランスで戦争に従軍。
- モルティエ:革命戦争、ナポレオン戦争に従軍。ナポレオンを含む4王朝に仕える。
- ペリニョン:革命戦争に従軍。のちナポレオンの上司から指揮権移譲。スペイン・ナポリ・イタリア転戦
- セリュリエ:七年戦争以来の古参。革命戦争で数多く従軍したが、ナポレオン戦争では防衛専念。単騎突撃
- ペラン:最初期からのナポレオン側近。1807年元帥就任。ナポレオンの古参側近は大体寝返りか不遇
- ベルナドット:嫁はナポレオンの元婚約者。スウェーデン王。評価が安定しない。
人物名表記
赤字はナポレオン失脚前に死去した人物。桃字は百日天下で中立を貫いた人物。緑字は離反者。黒字はナポレオンに最後まで付き従った人物である。なお、太字は自然死、細字は不自然死(戦死、刑死、暗殺、自殺)である。
ナポレオンが任命した元帥は全部で26名いるが、全員の名前や功績をすらすらと言える人は非常に稀。大体半分の13人くらいから怪しくなり、20人を越えるとほとんどの人は名前が出てこなくなる。タレーラン、フーシェ、ウジェーヌなどなど、元帥にならなくとも有名な人物は他にもたくさんいるので、興味があれば各自いろいろと調べて欲しい。
ナポレオニックとゲーム
ナポレオンが活躍した時代に記述した資料、文献、小説、映画あるいはシミュレーションゲーム(ウォーゲーム)など極めて多岐にわたっており、ひとつのジャンルとして確立している。そしてこのジャンルや好む人々のことをナポレオニックと呼ぶ。まぁ、色々あるので興味のある人は調べてほしい。
ゲームとしては長きにわって紙ベースのシミュレーションゲーム(ウォーゲーム)でも『ナポレオニック』は定番ネタとして扱われており、日本における戦国時代を題材にしたゲームのような形でコンピューターゲーム化も数多く行われている。
ただし日本国内ではあまり知名度が高いとは言いがたく、以前光栄から出ていた『ランペルール』などゲーム化されたものは数少ない(光栄SLGのジャンルとしてみても『ランペルール』バランスに優れた佳品である)。どうしても『ナポレオニック』な、最近定番のリアルタイムSLGとなると海外作品となってくるのが現状である。
ナポレオン時代を描いた作品
有名どころではトルストイの『戦争と平和』は、ナポレオン戦争時代のロシアを舞台にしている。他にも様々なものがあるが日本で手に入りやすい、あるいは読みすいものといえば、池田理代子の『栄光のナポレオン-エロイカ』、長谷川哲也『ナポレオン -獅子の時代-』(続編のナポレオン覇道進撃も含む)など漫画もある。後者はいささか誇張と脚色に過ぎる面もあるのだが、そこらへんは楽しむところといえるだろう。
映像作品では、無声映画のナポレオンなどもあるが、ここは見事にナポレオン最後の戦いを描いた『ワーテルロー』をお勧めするべきだろう。
関連動画
関連項目
- フランス
- フランス革命
- ワーテルロー
- セントヘレナ島
- ナポレオンフィッシュ
- ランペルール
- 戦争論 - プロイセンの軍人、クラウゼヴィッツによるナポレオン戦争の分析(絶対的戦争)
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