アドマイヤコジーン(英:Admire Cozzene、香:喜高善)とは、1996年生まれの日本の競走馬・種牡馬である。芦毛の牡馬。
早くに栄光を掴むも2度の骨折で長期休養を余儀なくされたが、挫折を乗り越えて再び輝いた不屈の馬。
主な勝ち鞍
1998年:朝日杯3歳ステークス(GI)、東京スポーツ杯3歳ステークス(GIII)
2002年:安田記念(GI)、東京新聞杯(GIII)、阪急杯(GIII)
父Cozzene、母アドマイヤマカディ、母父ノーザンテーストという血統の持ち込み馬。母を海外に持って行ってCozzeneを種付けし、帰国後産まれたのが彼である。
祖母ミセスマカディーは1977年の英1000ギニー馬で、母を引退後即海外で種付けした背景にはこの血統と、当時の繋養先が種付けされた1995年当時、○外で有名だった大樹レーシングの拠点牧場である大樹ファームだったことが大きい。
1998年の秋にデビューすると2戦目を圧勝し勝ち上がると、格上挑戦の東京スポーツ杯3歳ステークス(当時は旧馬齢表記の上GIII、現在は東スポ杯2歳ステークスでGII)を勝って臨んだGI朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)でも武豊騎乗エイシンキャメロンを撃破し連勝。武豊のGIコンプを長きに渡り阻むことに成功した。ケチの付かない見事な成績で最優秀3歳牡馬に選ばれる。なお、朝日杯3歳ステークスで騎乗していたのは短期免許で騎乗していたマイケル・ロバーツで、この勝利によって彼は「日本馬でJRAのG1を勝利した史上初の外国人騎手」になった。
これでNHKマイルカップや皐月賞に向けて楽しみが増えた……と思った矢先の翌年1月に右後脚を骨折。ボルトが埋め込まれるほどの重傷だったが、なんとか手術は成功した。テンポイントやサクラスターオーでの経験はこうして生きているのである。
ともあれ傷も癒え、復帰を目指したのだが、今度は左後脚を骨折。結局1年7ヶ月もの長期休養を余儀なくされてしまった。
重篤な骨折から復帰した馬たちの中にはタニノチカラのように復帰後も活躍した例はあるにはあるのだが、当然ながら普通はヤマニングローバルのようにかつての輝きを取り戻せないことの方が多いものである。そして彼もまた復帰後は連戦連敗、オープンで2着が一回だけというボロボロっぷりであり、5歳シーズンは7月で切り上げ休養。このまま終わってしまうのであろうか…
6歳を迎えた2002年はマイルの重賞・東京新聞杯(GIII)で約7か月ぶりに復帰。長期休養や鞍上が後藤浩輝に変わったりで心機一転した効果があったのか、10番人気と軽視されながらも約3年ぶりに重賞勝利を挙げた。続くスプリント重賞・阪急杯(GIII)では2着に3馬身1/2差をつけて圧勝。高松宮記念でついにGIの檜舞台に返り咲き、2番人気に支持された。久方ぶりとなったGIの舞台では軽快に逃げるショウナンカンプの2番手を追走、猛烈に追い込んできたスティンガーやトロットスターらの追撃をしのぎきったものの逃げたショウナンカンプはとらえることができず、最後は突き放されての2着だった。
その後は安田記念(GI)に向かうが、メンツが揃ったことや阪急杯の鮮やかさからスプリンターと思われたのか7番人気と人気を落とす。しかし先行して粘り、追い込んだダンツフレームを封じきってGI・2勝目を挙げた。
実に3年半ぶりのGI勝利で、これはJRAにおけるGI勝利間隔の最長記録だった。鞍上の後藤浩輝はゴールドティアラで交流GIの南部杯を勝ってはいたが、中央G1はこれが初勝利だった。後藤は号泣、陣営もコジーンの頑張りに感動したことであろう。オーナーの近藤利一氏と鞍上の後藤が泣きながら抱き合ったという逸話も残る。こういう所あるから近藤氏は過剰に憎まれなかったんだろうなあ。
余談だが、勝利して大きなガッツポーズを作って喜んだ後藤浩輝の画が印象的だったからか、この安田記念の映像はかなり長いこと競馬ブックのCMに起用されていた。ユアソービューティホー
その後は中山競馬場の改修に伴い新潟開催となったスプリンターズステークス(GI)に向かい、高松宮記念で苦杯をなめたショウナンカンプと上がり馬ビリーヴとアドマイヤコジーンでの三強決戦となる。ビリーヴを馬場の悪い最内に押し込み、好スタートで勢いよく逃げるショウナンカンプを追走、ゴール前でショウナンカンプを外から手応え良く交わして先頭に立ったが、最後の最後で押し込めたはずのビリーヴがびっくりするような勢いで伸びてきて、差し切られての2着。三強が4着以下を4馬身突き放し、三者三様のコース取りが繰り広げられた名勝負だった。
次のマイルチャンピオンシップ(GI)では春秋マイルGI制覇を期待され1番人気に推されるも先行できずに7着。引退レースとなった香港マイル(GI)では鞍上武豊で挑み4着と善戦した。香港マイル4着は例年なら褒められてよい内容だったのだがステイゴールドとエイシンプレストンとアグネスデジタルで開催GI3競走を総なめにした前年の快挙が記憶に新しかったせいかあまり評価されなかった。
引退後は種牡馬として活躍。初年度はアストンマーチャン(スプリンターズステークス)を筆頭になかなか好調だったが、当たり外れが激しくその後は不振気味で2010年に社台からレックススタッドに移動、2015年からはクラウン日高牧場に移動、功労馬として、また細々と種牡馬としての余生を送っていた。
2017年6月6日、大動脈破裂により息を引き取った、21歳。関係者も驚くくらいであったから急死であったのだろう。
現在では彼の直系はGIを勝った唯一の牡馬であるスノードラゴンが細々と種牡馬活動を続けているのみである。母父としては彼の引退レースとなった香港マイルの開催地となったシャティンで光り輝いたウインブライト(父ステイゴールド)という特大の一発を繰り出して見せた。
他にも夭折したもののコウソクストレート(父ヴィクトワールピサ)あたりが重賞を勝つなど母父としてはサンデー系との相性がそこそこ良いようである。
今後はディープインパクト産駒のウインエクレール(ウインブライトの妹)に注目だろうか。
Cozzene 1980 芦毛 |
Caro 1967 芦毛 |
*フォルティノ | Grey Sovereign |
Ranavalo | |||
Chambord | Chamossaire | ||
Life Hill | |||
WRide the Trails 1971 鹿毛 |
Prince John | Princequillo | |
Not Afraid | |||
Wildwook | Sir Gaylord | ||
Blue Canoe | |||
アドマイヤマカディ 1991 栗毛 FNo.14-b |
*ノーザンテースト 1971 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Lady Victoria | Victoria Park | ||
Lady Angela | |||
*ミセスマカディー 1974 鹿毛 |
*トライバルチーフ | Princely Gift | |
Mwanza | |||
Hanina | Darling Boy | ||
Blue Sash | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Lady Angela 5×4(9.38%)、Nasrullah 5×5(6.25%)
掲示板
5 ななしのよっしん
2019/12/09(月) 20:13:29 ID: BzRo9vnhAQ
最近似てきた孫のウインブライトが香港で花開いてるのを見るとコージンを思い出すよ
コージン孫の勝利おめでとう
スノードラゴンからもいつかコージンを思い出す仔が出てくるのが楽しみだな
6 ななしのよっしん
2022/05/15(日) 19:16:14 ID: fIqLDPwQbD
記事本文
> タニノチカラやヤマニングローバルのように重篤な骨折からも復帰し活躍した馬もいたのだが、
復帰後すぐ勝ち上がったタニノチカラを挙げるのは分かるんだけど、復帰後に連敗続きで最後まで復活できなかった感があるヤマニングローバルの名前を挙げるのはヤマニングローバルの復活に期待していた者からすると少し違和感が……
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最終更新:2024/11/08(金) 06:00
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