オープンマインド 単語


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オープンマインド

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オープンマインドとは

  1. 自分自身をオープンに保ち、異なる意見にもを傾け、相手を尊重する心構え。対義語はクローズマインドで、自分の外側に不要な情報を出さない状態。
  2. 1986年生まれのアメリカ競走馬本記事で詳述する

オープンマインド(Open Mind)とは、1986年生まれ米アメリカ競走馬である。栗毛

通算成績19戦12勝(うち1戦繰り上がり優勝)[12-2-2-3]

な勝ち
1988年:ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズ(米GI)、デモゼルS(米GI)
1989年:ボニミスS(米GI)、ケンタッキーオークス(米GI)、エイコーンS(米GI)、マザーグースS(米GI)、CCAオークス(米GI)、アラバマS(米GI)


1988年エクリプス賞最優秀2歳
1989年エクリプス賞最優秀3歳
アメリカ競馬殿堂入り(2011年選出)

概要

Deputy Minister、Stage Luck、Stage Door Johnnyという血統。
デピュティミニスター1981年エクリプス賞最優秀2歳であり、本2世なのでまだ種牡馬としては駆け出しであったが、本を皮切りに活躍を多く出し、現在は大種牡馬の一頭と評価されている。
ステージラックは20戦6勝、ステークス競走は2勝しているが重賞は未勝利
ステージドアジョニーは3歳5月の初勝利から3連勝でベルモントSを制し、1968年の最優秀3歳二冠馬フォワードパスと並んで受賞した。

ニュージャージー州で生産され、本が産まれた年の年度代表馬となった「鉄の女レディーズシークレットなどの馬主であるユージン・ヴィクタークライン氏の所有馬となった。

クォーターホース調教師出身でサラブレッドでものちにリーディントレーナー14回を重ねることとなるダレル・W・ルーカス調教師に預けられた。

2歳時(1988年)

2歳時は8月デビュー戦を圧勝すると、ステークス競走を2戦し1着→2着であった。戦となるアンヘル・コルデロJr.騎手と初コンビを組んだフリゼットS(GI・1マイル)では同営のSome Romanceハナ差で敗れ2着だった。

続いてチャーチルダウンズ競馬場で開催されたブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズ(GI・8.5ハロン)に出走した。直線入り口までは後方だったが外に持ち出すと一気に差し切り、同厩のDarby Shuffle以下を完封して快勝した。続くデモゼルS(GI・9ハロン)もクビ差で勝利した。

2歳時は6戦4勝で、この年のエクリプス賞最優秀2歳を受賞した。

3歳時(1989年)

3歳時はボニミスS(GI・8.5ハロン)を含む3連勝を挙げ、BCジュヴェナイルフィリーズから数えて5連勝でケンタッキーオークス(GI・9ハロン)に臨んだ。これを2馬身1/4差で快勝すると、続くニューヨークトリプルティアラ第1戦のエイコーンS(GI・1マイル)も4馬身半差で圧勝した。続くマザーグースS(GI・9ハロン)もアタマ差で勝利し、トリプルティアラに王手をかけてCCAオークス(GI・12ハロン)に挑んだが、エイコーンS4着・マザーグースS3着という結果に終わっていたNite of Funが走し、本は同に次いで2位で入線した。
しかしNite of Funが本に対する進路妨を取られて2着降着となったことから、本は繰り上がりによってではあるが史上7頭ニューヨークトリプルティアラ達成となった。

続くアラバマS(GI・10ハロン)もクビ差で勝ち、初の古対戦となるラフィアンハンデキャップ(GI・9ハロン)に駒を進めたが、ここでアルゼンチンから移籍しGI4勝をマークしていた2歳上のBayakoaの3着に敗れ、連勝は10でストップ。続くベルデイムS(GI・10ハロン)でも同世代のTactileから7馬身差を付けられたブービー5着に終わり、ブリーダーズカップ・ディスタフ(GI・9ハロン)でもBayakoaの3着だった。

それでも、この年はGI6勝を含む11戦8勝という好成績を残し、エクリプス賞最優秀3歳を受賞した。

4歳(1990年)

ブリーダーズカップの後、馬主クライン氏が折から体調を崩していたために、彼の所有馬は全てキーランドセールに上場され、本中村夫氏(中村畜産代表、後に「モエレ」の冠名を使用。*ミルジョージを導入した人)に460万ドルで購入された。

4歳時は8月にバレリーナS(GI・7ハロン)から始動したが1歳上のFeel the Beatの5着に敗れ、続くマスケットハンデキャップ(GI・1マイル)では大物3歳Go for Wandの6着最下位と精を欠き、そのまま引退した。
通算19戦12勝・GI8勝。古混合戦では1勝もしていないが、この世代の中ではトップクラスの実力を持っていたことは疑いようがいであろう。

引退後はEasy Goerと交配された後に輸入されて日本で繁殖入りしたが、初イージーマインドを産んだ後は不受胎が続いた上、1998年にようやく*ミルジョージを受胎した矢先の同年12月死亡してしまい、イージーマインド以外のは残せなかった。その後2011年米国競馬殿堂入りを果たした。
忘れな草賞を勝ったイージーマインドを含めて牝系からOP勝ちは何頭か出ているものの重賞は出ていないが、イージーマインドののモエレオープンヒメを通して現在でも牝系は細々ながら維持されている。

血統表

Deputy Minister
1979 黒鹿毛
Vice Regent
1967 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Victoria Regina Menetrier
Victoriana
Mint Copy
1970 黒鹿毛
Bunty's Flight Bunty Lawless
Broomflight
Shakney Jabneh
Grass Shack
Stage Luck
1972 栗毛
FNo.A29
Stage Door Johnny
1965 栗毛
Prince John Princequillo
Not Afraid
Peroxide Blonde Ballymoss
Folie Douce
Take a Stand
1966 栗毛
Amerigo Nearco
Sanlinea
Self Control Better Self
Alibhai Rose

クロスNearco 4×5(9.38%)、Bimelech 5×5(6.25%)

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