レガシーワールド 単語

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レガシーワールド

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レガシーワールド(1989~2021)とは、日本の元競走馬である。
同期・同厩舎のミホノブルボン天才なら、泥の中から這い上がった雑草といえる存在。 日本騸馬として初めてGIを獲得したである。

な勝ち
1992年:セントライト記念(
GII)
1993年:ジャパンカップ(GI)

レッツゴーレガシー行け行けゴーゴー

血統評論家に血を汚すクソと言われたが一時代を築いたモガミドンナリディア、リボーの末裔ジムフレンチという血統。
幼駒時代、牧場に後に管理することになる戸山為夫師と森秀行助手(後に二代管理調教師となる)が訪れた際、こいつは走る!と大絶賛したほどのであった。

そして戸山厩舎に入厩。特有のスパルタ調教を施され、1991年8月デビューするが才を補って余りある物凄い気性でろくにレースも出来ぬまま5連敗。終いに骨折して休養を余儀なくされた。
そしてこの休養中についでだからというわけではなかろうが、もうこんな気性じゃ競走馬足り得ないと判断されタマを切られせん馬として生きることになった。しかし復帰後初戦、騎手を振り落としで爆走した果てに除外を食らう。 気性難はあまり善していなかった。

この結果を受け1992年は戸山師が組んだヘビローテーションで次々レースに出される。暴れる気力があるならレースだ!その中で競馬覚えろ!出来れば勝てや!と言わんばかりの連続出走であった。

しかしレガシーの旺盛な生命はそれを苦にするどころか糧にし、福島北海道開催で一気に3勝を挙げ、古オープンでも互に戦えるまでに成長するとセントライト記念ではライスシャワーの実を図るための偵察要員として駆り出されたが、そのライスシャワーを抑え重賞制覇を果たす。しかし、戸山師の心にはが差していた。ライスシャワーの実が想像以上に高まっていたのを感じたのであろう。そしてその懸念は現実のモノになるのだが…

そんなことはタマがないからクラシックに出られない彼には関係なし。古相手のオープンを連勝し3連勝。意気揚々とジャパンカップに臨む。
このジャパンカップトウカイテイオーがかろうじて5番人気になったものの、外現在でも史上最強メンバーと言われるメンツがったため、レガシーはその煽りで10番人気となった。しかしレガシー、故障でここに出られなかったミホノブルボンの代わりと言わんばかりに積極的に逃げて4着に食い込む。
次走有馬記念ではメジロパーマーダイタクヘリオスバカコンビ逃げを鋭い差し脚で猛追するが、僅かに届かず2着となる。確実に、GI級の実は備え始めていた。ちなみにここまで16戦して6勝。
タニノハローモアあたりとべるとそうでもないように感じるが、骨折及び去勢手術の経過観察で半年以上を棒に振ったことを考えると、ペースで走ったことが分かるであろう。 

タマをください

年が明けて々にアメリカジョッキークラブカップで2着に入るが骨折。しばらく休みを余儀なくされる。復帰後初戦となった1993年京都大賞典ではメジロマックイーンの最後にして最高のパフォーマンスの前に屈するも2着に入り健在をアピールした。 

その後のジャパンカップでは、当時古馬王道路線を行く有馬記念優先で回避しやすいレースだった上に、
大将を担うべきマックイーンが引退トウカイテイオーが復帰できる態勢ではあったが万全を期して有馬記念で復帰を決めて回避。クラシック組も当時は菊花賞からの間隔が少ないため、ダービーウイニングチケットがやってきてはいたが、日本の層が非常に薄くなっていた。

海外最強芝古コタシャーン、コタシャーンや翌年ジャパンカップにやってきたパラダイスクリークと戦を繰り広げていたスターオブジーン、前年トウカイテイオーに食い下がった南半球の雄Naturalism、凱旋門賞で2着するなどしたイタリアダービーダンシングブレーヴ息子ホワイトマズルらなメンツがった。特にコタシャーンは実で飛び抜けているとの評判で、レガシーワールドはというと前走マックイーンが鮮に負けすぎたのも焼き付いていたのか6番人気とかなり軽視されていた。 

その評判に反発するかのように、 メジロパーマー逃げを二番手で追走すると直線パーマーの逃げが鈍ったところで抜け出し先頭に立つ。しかし、一番外からコタシャーンが凄まじい末脚で迫る。一気に飲み込む勢いすら感じたが、ケント・デザーモが、当時府中に設置されていた残り100m標識ゴールと見間違う痛恨のミスを犯しコタシャーンを一止めてしまい、そのスキにレガシーゴールに飛び込んだ。

こうしてせん馬によるGI勝利トウカイテイオーに続きジャパンカップ日本馬連覇を果たしたのであった。ただ、コタシャーンがあのまま追っていたとしてもハナ差くらいは残せたくらいの勢いはまだあったように見える。そのくらいの走であった。

しかし、その場に戸山師はいなかった。前年から患っていた食がんで彼が休養中の5月に亡くなっていたのである。この時には、もう師匠を引き継いだ森秀行師の管理に変わっていた。 
戸山師がここまでに成長した彼を見たらどういう感想を覚えたのであろうか…
ちなみに、府中の残り100m標識はこの事件後撤去された。デザーモの犠牲は駄にはならなかったのである。 

その後、有馬記念トウカイテイオー奇跡復活を見届ける5着に終わると、脚部不安で2年近くの休養を余儀なくされた。タマがあったなら、もしかすると種牡馬として暮らすもあったかもしれない。
しかし、せん馬はもう採算が一切取れなくなると判断されるまで走り続けるしかないのである。ということで復帰したものの、かつてのあふれんばかりの生命で他者をねじせる走りは全く見られず、復帰後一年で13戦したが連対すら出来ずに引退

その後は生まれ故郷のへいはた牧場に戻り、穏やかな余生を送っていたが、2021年8月18日に老衰により、32歳で死去。2021年2月17日エイシンサニーな勝ち1990年優駿牝馬)の死亡後は最年長の存命GIとなっていたが、レガシーの死去をもってGI勝利最高齢の座はウイニングチケットに引き継がれた。

血統表

*モガミ
Mogami
1976 青鹿毛
Lyphard
1969 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
*ノーラック
1968 黒鹿毛
Lucky Debonair Vertex
Fresh as Fresh
No Teasing Palestinian
No Fiddling
ドンナリディア
1983 栗毛
FNo.4-d
*ジムフレンチ
1968 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Dinner Partner Tom Fool
Bluehaze
ダイゴハマイサミ
1966 栗毛
*チャイナロック Rockefella
May Wong
ハマイサミ *ヴイーノーピユロー
ミスヒガシ
競走馬の4代血統表

クロス:5代内アウトブリード

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