タニノハローモア 単語

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タニノハローモア

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タニノハローモアとは、日本の元競走馬種牡馬である。
元祖「怪物タケシバオーや、そのライバルたちをせせら笑うかのように逃げ切った、七夕ダービー覇者。 

な勝ち
1968年:東京優駿(八大競走)、朝日チャレンジカップ京都盃
1969年:中京記念

スパルタ教育過ぎて毎日が辛い

は大種牡馬Fairwayで、半Dante、Sayajirao兄弟がいるハロウェー、はジヨオーという血統。
まあ、彼にとっては血統は大した問題ではない。生まれた牧場カントリー牧場ということに意味があるのだ。
 カントリー牧場2012年3月末に閉まってしまったが、彼が生まれた頃は開場したばかりの牧場だった。オーナーブリーダーである夫氏の信念「鍛えに鍛えて強くする」という信念の元
過酷なトレーニングを幼駒の頃から強いるという方針で活躍を輩出していた。…というか、毎日3000m走らすのはちょっとやり過ぎじゃないでしょうか…
あんまりにやり過ぎて死んでしまうも結構出たという。 そんな過酷な育成を生き延びたのだから彼は幸運である。入厩した厩舎が戸山為夫厩舎でなければ…ね…
ちなみにカントリー牧場同期にはタケシバオーライバルとして立ちはだかったマーチがいる。

戸山為夫厩舎でまたもスパルタンな教育を受け、8月デビューすることになったが勝ち上がりに4戦を要し、連闘も当たり前でビシビシ走らせる方針のため休みなく走りに走り
12月までに10戦し5勝を挙げた。後の低評価からすると意外なほど頑っている。レコード勝ちしたこともあるし、当時の西の三歳最強決定戦阪神三歳ステークスでは一番人気に推されていた。
さらに特筆すべきは逃げでありながら掲示板は外さないという安定感であろう。スピードタフネス・安定感をえた前途洋々たる逃げにしか見えない。 見えないんだが…

現実の高い壁にぶつかって毎日が辛い

阪神三歳ステークスで一番人気に推されたくらいの実績は残したが、論休養なぞ用意はされない。新年はシンザン記念からスタートである。ここは3着と微妙スタートを切った。
府中スタンド築工事のダービーが1ヶ順延で7月になったということでレーススケジュール自体が間延びしたため、3歳の時より間隔詰められることはなかったのだが
不思議と勝てなくなってしまったのである。きさらぎ賞と特別戦で2連続2着した後は掲示板は外さないが見せ場なし。
5月に行われ名実ともに皐月賞となったクラシック第一戦ではついに掲示板も外し6着に敗れてしまう。勝ったのは同期生のマーチスであった。
しかし、6月に順延していたNHK杯ではマーチス・タケシバオーにはちぎられたが、3着と復活の気配を見せる。
そして迎えた七夕ダービー、一番人気皐月賞で前走NHK杯タケシバオーとついでにハロモアを負かした同期マーチ
二番人気に”野武士””怪物タケシバオー、三番人気には皐月賞戦線で急浮上した”子”アサカオーと当時の三強か並び
ハロモアは九番人気であった。ファンや関係者も三強のどれかで決まるだろうと皆が思っていた。忘れ去られた逃げほど恐ろしいものはないというのに… 

棚ぼたじゃないよ、ダービー馬だよ

レースが始まるとハロモアはサッと前につける。最内を活かし、当時良くいたテレビも制して単騎逃げに成功する。
後続はタケシバオーアサカオー、マーチスを警してつつきにも来ない理想的展開である。平成時代から見てるとアイネスサニブを思い浮かべるくらいドハマりしていると言っていい。
そして直線、馬場のいいん中に持ちだすと再加速、捉えにかかったタケシバオーや伸びあぐねるマーチス、アサカオーをせせら笑うかのように突き放し
結果として5身差をつけ圧勝。タイムも極端なスローというわけではなく、当時のレコードであるメイズイタイムからはだいぶ遅いが当時としては準級の範疇であり
決して棚ぼたではない。ちまちま牽制しあって自分のレースをしなかった三強がアホなだけである。
とはいえ、ハロモアはこれが重賞勝利ありこれから実を示さねばならなくなった。もちろん休みはない。
ダービーにも慈悲はないのが当時の戸山クオリティである。 

その後

ダービー逃げ切って勝利したのが18戦というのは今も昔も空前絶後の最多出走記録であったが、それでも休みはない。
スパルタンですね戸山さんミホノブルボンもこんだけ走らされたら耐え切れんかったろうが、420キロ台と小柄なこともあってかタフに走り続ける。
は勝ち切れなかったが、に入って朝日チャレンジカップで古を、菊花賞トライアル京都盃でもアサカオーを撃破。
さすがダービーと思わせた。しかし菊花賞では前に行くしかない逃げの悲しさ、ハイペースに巻き込まれ6着に敗れてしまった。
先行最先着ではあったため、負けてなお強し!フロックなんかじゃなかったな!と世間は高評価した。

しかし、ずっと走り続けた弊かまた勝ち切れなくなってしまった。年明けに中京競馬場武邦彦が乗って麗にレコード勝ちしたのが最後のきであった。
その後3戦して脚を壊し引退種牡馬入りした。通算30戦9勝。なんか6歳くらいまで長く走ったような成績だが4歳の3月までの記録である。おいおい
種牡馬としては内不遇の時代ということや、天皇賞など古戦線での活躍がなかったためまたもまぐれ勝ちで評判が固まってしまい
大した成績も残せぬまま、1985年に20歳でこの世を去った。

競走馬種牡馬としての評価は決して高くはないが、戸山イズムの初の結晶であり、彼がいなかったなら後のミホノブルボンフジヤマケンザンレガシーワールドの活躍はあったか否か。
スパルタであり申し子、それがタニノハローモアというであった。彼の成功があったからこその戸山イズムであり、カントリー牧場の栄があったと言っても過言ではあるまい。 

血統表

ハロウエー
Harroway
1940 黒鹿毛
Fairway
1925 鹿毛
Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Rosy Legend
1931 黒鹿毛
Dark Legend Dark Ronald
Golden Legend
Rosy Cheeks St. Just
Purity
ジョオー
1954 栗毛
FNo.12-f
Borealis
1941 栗毛
Brumeux Teddy
La Brume
Aurora Hyperion
Rose Red
ダーバリー
1946 鹿毛
Scottish Union Cameronian
Trustful
Chaser Foxhunter
Blanquette
競走馬の4代血統表

クロスFairway=Pharos 2×5(28.13%)

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